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[木曜セミナー・リポート]第280回日文研木曜セミナー「形態学と江戸後期の民衆文学」(2024年7月18日)

2024.09.02

 2024年7月18日(木)、「形態学と江戸後期の民衆文学」と題し、第280回日文研木曜セミナーを開催しました。発表者はマリオ・タラモ外国人研究員(日文研)、コメンテーターは中尾和昇氏(奈良大学准教授)でした。

 マリオ・タラモ研究員の報告は、ロシアの昔話の研究者であるウラジーミル・プロップの形態学を江戸後期の民衆文学に適用する試みを中心に構成されています。形態学は生物学から派生した概念で、プロップはそれをロシアの昔話に応用しました。今回の報告では、形態学が江戸時代の民衆文学にどのように適用されるかということがテーマとなりました。

 形態学は、文学作品を分類する際に役立ちます。近世の日本文学の研究においては、黄表紙や合巻といった草双紙の出版形式の違いに応じた分類がこれまでなされてきましたが、文学のジャンルに主軸をおいた分類もまた重要になってきております。特に江戸後期の民衆文学は多様なジャンルに分かれています。これにプロップの形態学を用いることで、物語のプロットが整理され、作品間の共通点や相違点が明確になるため、ジャンルの分類が容易になります。報告では、『敵討義女英(かたきうちぎじょのはなふさ)』『敵討住吉詣(かたきうちすみよしもうで)』『天下茶屋誉乃仇討(てんがちゃやほまれのあだうち)』などの江戸後期の敵討物のテキストが対象となりました。

 そして、これらの敵討物には、共通する展開が見られるとタラモ研究員は述べます。敵討物はまず、主人公たちが平和に暮らす牧歌的な風景から始まりますが、敵の登場により牧歌的な風景が終焉し、殺人が行われます。そして主人公による犯人の特定と復讐への決断がなされ、苦労と経済的困難を乗り越えて、補助者と出会い、最終決戦に向けて旅立ち、復讐を遂げ、帰参するという構成を取ります。このように敵討物の物語の基本構造が形成され、物語の展開を予測可能なものとします。

 また、出版形式の違いにもタラモ研究員は着目します。『敵討貞女鑑』のように、合巻として出版された敵討物は、先に紹介した黄表紙よりも長いことが特徴であり、主人公の苦労と経済的困難、移動のフェーズが繰り返されるのが特徴です。また、登場人物も多岐にわたり、様々な役割を果たします。

 次いで、膝栗毛物や人情本とも比較し、膝栗毛物や人情本は、同時代性や日常生活である現実との新しい関係や人物の性格や成長を表現するのに対して、敵討物は過去との関係、非日常的な復讐の過程を重視するという違いがあるとも述べました。

 最後に、敵討物は、敵対者の幸運と主人公の困難、補助者との出会いによる命運の逆転という対比を取る砂時計構造から、後年に入るにしたがって、主人公に注目して元の平和な生活を取り戻すために困難を乗り越え、補助者と出会うことで復讐を遂げ、平和な生活に回帰するという円環構造へと変わっていくということを明らかにしました。

 このタラモ研究員の報告に対して、中尾氏は、敵討物の広がりは、今回タラモ研究員が取り上げた版本だけでなく、手書きで流布した実録体小説も含めて考えることができるのではないか、たとえば黄表紙で流行したものが写本小説でも似たような作品が展開しており、逆に写本小説が版本の内容に影響しているものもみられる。そうした広がりや相互関係も踏まえるべきではないかとコメントをしました。また、フロアからは現在プロップを取り上げる意味や、江戸時代以前の『曾我物語』などの軍記物や中国の白話小説との比較、敵討物の読者たちはどのような読書体験を得ていたのかについても質問がありました。

 セミナー終了後の懇親会では、江戸時代の敵討物の受容と、現在我々がライトノベルやマンガ・アニメでよく目にする「なろう系」や「異世界転生もの」との共通性にも話題が及びました。主人公の活躍が約束された物語において、その展開の中身を楽しむという点については、たしかに江戸時代の庶民と我々にも近しいものがあるのかもしれない。そんなことを考えるきっかけとなった、面白い報告会となりました。

 最後に、今回の報告に関連する論文として、日文研が発行している英文雑誌であるJapan ReviewのVol.38に、タラモ研究員の論文「Evolutions of Ethical Paradigms and Popular Fiction : The Case of Late Edo Tales of Vengeance」が掲載されています。そちらもぜひお読みいただけますと幸いです。

(文・西田彰一 プロジェクト研究員(第280回日文研木曜セミナー司会))

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