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日文研の話題

シンポジウム「日本宗教・思想文化の接合域と多面性を考える ――「他者」とどのように向き合ったのか――」を開催しました(2024年3月23日~24日)

2024.04.11

 シンポジウム「日本宗教・思想文化の接合域と多面性を考える」を、日文研にて二日間に亘り開催しました。テーマは日本の宗教であり、近世から近代までのさまざまな視点から発表がありました。初日には、二つの講演があり、二日目には若手研究者によるワークショップが行われました。オンラインを中心に多くの人が参加し、活発な議論がありました。  

 このシンポジウムは、昨年度実施されたワークショップ「多極化する世界における「普遍的価値」の解釈―日本とキリスト教を事例に」の後継企画で、昨年度は、近世に新しく日本に来た宗教であるキリスト教を主な対象にして、日本の宗教について議論しました。  

 本年度のシンポジウムでは、幅を広げて、仏教や神道儒教の事例を多く取り上げました。 宗教を時代的にも種類としても幅広く取り上げることには、理由があります。日本には、さまざまな宗教や思想が「外」からやってきました。古代においては仏教や儒教が、近世にはキリスト教が伝来しました。また、日本は「外」からやってきた宗教や思想を受容するだけでなく、特に近代において「外」に向けて発信した歴史もあります。一方、日文研は現在「国際日本研究」の開拓に取り組んでおり、「接合域と多面性」というキーワードのもと、「日本」という言葉の意味の広さや深さをグローバルな視点から探求しています。そこで、本シンポジウムでは、人々がいろいろな異なる宗教や文化に触れて、どのように「日本」について理解してきたのかを問うています。

 初日には、小俣ラポー日登美氏(京都大学特定准教授)が、「中近世ヨーロッパ殉教伝のテキスト・マイニングから見る日本─イメージと言説の再生産が紡ぐ歴史」と題する報告をしました。長崎の二十六聖人の殉教など江戸時代始めのキリシタンの殉教が、ヨーロッパにてどのように理解され利用されて殉教伝として広がったのかについて、テキスト・マイニングの手法を用いて論じました。17,18世紀、日本人キリシタンの殉教は、劇などのかたちでカトリック教会によりヨーロッパのみならず世界各地で活発に伝えられました。それは日本の本当の様子を伝えるというより、プロテスタントに対抗するカトリックの正しさや信仰の強さを訴えることが重視されていました。いわゆる鎖国をした日本を離れて、ヨーロッパの殉教伝のなかで日本が独自の視点で語られたことを報告しました。

 つぎに、守屋友江氏(南山大学教授)から「近代仏教史における「日本」を相対化する視点」と題する報告がありました。鈴木大拙と柳宗悦のほか、1932年に亡くなるまでハワイで活躍した日系人浄土真宗僧侶の今村恵猛を取り上げ、今村がどのように差別される日系人を励まし、差別する人々に対してアメリカの価値観をもとに反論したのかを紹介しました。今村は、日本の伝統とアメリカの伝統を対比して、日系人がアメリカの社会に参加する権利があり同化できることを主張しました。これら講演をうけて、フレデリック・クレインス教授(日文研)、ダニエル・シュライ外国人研究員(日文研)、そして末木文美士名誉教授(日文研)がコメントをして、活発な議論が行われました。

 二日目のワークショップでは、殷暁星氏(広島大学助教)が、「日中琉における教化思想の交差――琉球王国の明清聖諭受容について」の題名で発表しました。明清王朝の皇帝が頒布した民衆の道徳教化に関する勅諭の解説書の一つである『六諭衍義』(りくゆえんぎ)が、江戸時代、どのような意図のもとで琉球にて翻訳され利用されたのかを解き明かしました。日本での翻訳と普及と対比することにより、琉球という視点が、東アジアでの思想交流の理解に不可欠であることを示しました。

 続いて、齋藤公太氏(北九州市立大学准教授)が「渡瀬常吉の「日本神学」」で、洪伊杓氏(山梨英和大学准教授)が「海老名弾正の帝国神道的キリスト教」という題名で発表を行いました。1930年代ごろから「日本的キリスト教」と呼ばれる、日本の文化・精神とキリスト教の一体性を強く訴える主張が現れました。齋藤氏は、海老名の弟子にあたり朝鮮での宣教に取り組んだ渡瀬のキリスト教理解が、平田篤胤の国学につらなる昭和初期の神道研究に影響を受け、独自の解釈によって、キリスト教と神道を同一視したことを述べました。洪氏は、近代日本を代表するプロテスタントの牧師の一人である海老名弾正が、黒住教に関心を持っていたことや、朝鮮でのキリスト教宣教にて、大日本帝国とキリスト教の「神の国」という理想を同一視したことを紹介しました。

 最後に坂知尋プロジェクト研究員(日文研)が「弥彦神社神宮寺の妙多羅天女像」というテーマで、新潟県の弥彦村にある民間信仰について説明しました。宝光院の阿弥陀堂には妙多羅天女像が秘仏として祀られており、妙多羅天女の伝説の形成過程や、本像が江戸時代中期に安置されたこと、その後の像をたどった経緯などを紹介し、本像が奪衣婆信仰とは別物であるものの、奪衣婆と混同され、像の姿が似ていることも指摘しました。諸発表につづいて、星野靖二氏(國學院大学教授)、伊東貴之教授(日文研)、芦名定道氏(関西学院大学教授)がコメントと質問を出し、聴衆を交えて質疑応答と総合討論が行われました。

 以上の二日間のシンポジウムを通して、宗教の視点から「日本」というイメージの「接合域と多面性」を見出すことができました。日本のイメージが、狭く日本社会のなかに限定されず、ヨーロッパという「外」や、琉球、帝国の本土と外地、そして移民や民間といった様々な視点から作り出され、互いに影響しあっていました。本シンポジウムによるこのような見解は、グローバルな文脈での日本の文化の発展や理解の促進に貢献すると考えられます。

(文・西田彰一 プロジェクト研究員、藤本憲正 日越大学講師)

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