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[木曜セミナー・リポート]第276回日文研木曜セミナー「日本近現代文学の英訳にみる地霊(ゲニウス・ロキ)の変奏 ― 大佛次郎から大江健三郎、柳美里まで ―」(2023年7月20日)

2023.08.23

 「日本近現代文学の英訳にみる地霊ゲニウス・ロキの変奏 ─ 大佛次郎から大江健三郎、柳美里まで ─」と題する本年度第2回の日文研木曜セミナーでは、本年度日文研に着任した片岡真伊准教授が英語圏における日本文学の翻訳問題についての研究成果を報告し、上智大学の河野至恩教授と日文研のデンニッツア・ステファノヴァ・ガブラコヴァ外国人研究員からコメントを得ました。

 地霊ゲニウス・ロキとは、土地に宿る文化的・歴史的・社会的記憶や性格のことを指します。この地霊について、片岡准教授は、芸術家の平野淳子氏による国立競技場のある千駄ヶ谷の変容と記憶を題材にした一連の作品を例に取り上げ、消そうとしてもどこかに必ずその性質を残してしまう、その土地の固有の記憶や霊感であると説明しました。ここに、翻訳研究という新たな視座を結びつけて、日本文学の英訳における地霊の表象と翻訳の問題について、大佛次郎、谷崎潤一郎、大江健三郎、柳美里の作品を例に挙げて、研究報告をしました。

 日本文学を、日本語を母語とする人が読むときは、地名から多くの情報を得るのに対し、欧米の読者にとって地名は無意味な言葉であり、また直訳すればいいわけでもないところに、地霊の翻訳の問題が生じます。近代日本文学の翻訳者や編集者たちは、この問題に頭を悩ませ、さまざまなアプローチを試みました。

 大佛次郎の小説『帰郷』(1949 / 1955)は、クノップフ社の日本文学翻訳プログラムの第一弾として翻訳された際に、漢字の意味を訳出することで主人公が日本を離れていたことを強調し、京都を異国情緒豊かに描写するというアプローチがとられました。一方、谷崎潤一郎の『細雪』(1944 - 48, 49 / 1957)の翻訳では、原文のリズムや読者の意欲を損なわないように、大阪と東京の一部の地名が省略されました。これに対して、江藤淳は地名や具体的な場所の意味を軽視していると指摘しましたが、翻訳者であるサイデンステッカーは、地名を構成する漢字を直訳したのでは地名の持つ意味合いが欧米の読者には伝わらないと述べて反論しました。

 そして大江健三郎の『個人的な体験』(1964 / 1968)の翻訳では、日本関連の文化要素が極限まで削減され、西欧の文化要素が積極的に組み込まれることで、異文化圏でも感情移入しやすくなるように工夫されました。地霊そのものではなく場の力が対象とされ、英語圏でも読みやすい小説へと翻訳されました。

 一方で、近年の日本文学の翻訳においては、「場所性の喪失」から「場所」への関心の再生が見られます。柳美里の『JR上野駅公園口』(2014 / 2019)の翻訳では、地名や固有名詞が細かく訳出され、地霊の持つ力や土地にまつわる経験がより豊かに伝えられるようになりました。このような事例から、著者や読者たちの「土地への感受性」が時代と共に地霊と人との交わりと交差し、翻訳によってどのように開かれてきたかが示されました。

 片岡准教授の報告に対して、河野教授は、本報告を理解するための2つの補助線として、地霊研究が都市論の文脈に根ざしていることと、文学的方法として土地の記憶を呼び覚ますことの意味を提示しました。まず、地霊研究という概念が都市論の文脈に深く根差したものであることを指摘され、地霊という概念の翻訳可能性を問われました。次いで、文学の方法として、本報告で扱われた作品とはまた異なった文学的手法で、土地の記憶にアプローチした作品として、大江健三郎の『雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』(1982)や多和田葉子の『百年の散歩』(2017)を取り上げました。

 ガブラコヴァ研究員は、地霊について考えるには、地霊がどのように翻訳されてきたかということに注目すると同時に、文学において地霊がどのように位置づけられてきたのかを分析する必要があるのではないかと指摘しました。特に地霊とは歴史の記憶と深く結びついた存在でもあるので、近現代日本文学における歴史の記憶の役割や、「日本的空間の形成」についても触れるべきではないかとの意見を示しました。また、このほかに、戦後の日本における文学の社会的な役割の変化や、グローバリゼーションの影響が地霊の扱いにどのような変化を与えたのか。さらには、翻訳者と作品の舞台のフィールドワークが与える影響とは何かについてコメントしました。

 地霊の翻訳問題は、文学作品の特徴を正確に伝えることと、異なる文化圏において読者の理解を促進することの両立を求める難しい課題です。翻訳者は常に葛藤を抱えながら、独自の工夫を凝らして作品を新たな言語や文化に適応させる必要があります。片岡准教授の報告は、日本文学における地霊が、英語圏に開かれていく過程を考察する興味深い内容でした。


(文・西田彰一 プロジェクト研究員(第276回日文研木曜セミナー司会))

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