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[Evening Seminarリポート]「“Ruinous Garden” Formats: Decay, Erosion and Waning in Contemporary Visual Culture」(2023年10月5日)

2023.11.09

 2023年10月5日、第254回日文研イブニングセミナーが開催されました。今回の発表は、日文研のガブラコヴァ外国人研究員による「“Ruinous Garden” Formats: Decay, Erosion and Waning in Contemporary Visual Culture」でした。コメンテーターは日文研名誉教授で京都精華大学教授の稲賀繁美氏が、司会は日文研のエドワード・ボイル准教授が務めました。

 ガブラコヴァ氏は、原子力と核被害の解釈や開発による環境衰退において、多様な資料収集に基づいた叙述に関心を寄せ、著書『Memory and Fabrication in East Asian Visual Culture: Ruinous Garden』(Routledge、2023年)を刊行しました。その着想の発端となったのは写真家・東松照明による写真集『廃園』であったといい、表紙には、小説家・日野啓三の死後に発刊されたエッセイ集『落葉 神の小さな庭で』を再現したイメージが採用されています。エッセイ集の表紙は菊地信義によってデザインされており、松永伍一による詩と二重作曄による写真で構成された『ローマングラス』の画像が転載されています。『ローマングラス』と『落葉 神の小さな庭で』には通じるところが多々あり、そのため画像が表紙に使用されたのだといいます。そしてその共鳴こそが、表面(表紙)と深層(衰え)の間の緊張感をもたらしているのだといいます。例えば、松永は詩の中で、何世紀にもわたって地中に埋まったローマングラスが銀化してゆく場所の宗教的な面について言及しています。これは『落葉 神の小さな庭で』というタイトルに通じるところがあり、また、このエッセイ集は、日野の近所の空き地の記憶や、脳卒中後の日野の肉体が衰えていく記録でもあることも、ローマングラスの銀化と重なるところがあります。

 開発に取り残された環境や破壊の結果、植物が育ち朽ちる場所としての廃園は、記憶や腐朽、空間を考える方法である一方で、虚構としての記憶を投影する装置として考える手段となるといいます。発表では、万華鏡を覗くように、梁秉鈞、北原白秋、戸田ツトム、鈴木一誌、魯迅、大庭みな子、柄谷行人、須田悦弘、ヤノベケンジ、李 家昇などに触れられ、これらの作家や芸術家が廃園的アプローチを模索するうえで鍵となったことが、ガブラコヴァ氏の別の著書『雑草の夢:近代日本における「故郷」と「希望」』(世織書房、2012年)とからめて述べられました。

 コメンテーターの稲賀繁美氏は、濃密な議論であったと評し、発表で触れられた作品や人物の背景を、時には実際の書籍を示しながら解説しました。

 質疑応答では、発表で触れられた作家や芸術家には「もののあはれ」等の前近代的な概念の影響が見られるか、何故「廃園」を「Ruinous Garden」と訳したのか、などの質問に加え、ガブラコヴァ氏の、人文科学の衰退にまで及ぶ新たな研究についての議論も交わされました。

(文・坂知尋 プロジェクト研究員)

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