閉じる

日文研の話題

[Evening Seminarリポート]「Japan’s Fertility Century: How Reproduction Became National Policy(日本の少子化の世紀:国策となった日本人の生殖)」(2023年6月8日)

2023.06.29

 2023年6月8日(木)、「Japan’s Fertility Century: How Reproduction Became National Policy(日本の少子化の世紀:国策となった日本人の生殖)」と題し、第253回日文研イブニングセミナーを開催しました。今回の発表者は、日文研のミケーラ・ケリー外来研究員、コメンテーターは同じく日文研のジャミラ・ロドリゲス外来研究員、司会は日文研のエドワード・ボイル准教授でした。

 本セミナーの中心的テーマである「少子化」は、本来の総出産数の低下という意味に加え、晩婚化、未婚率の上昇、高齢化など人口変動に伴う現代日本の社会問題に関連して使用されます。生殖は、産むあるいは産まない選択といった個人の選択に関わるものですが、これらの社会問題に関連づけられることで政治的な意味合いを帯びています。

 日本における子どもの出生率は第一次ベビーブームの最中にあった1947年の4.54から低下を続けています。出生率が1.57となった1989年に少子化対策推進が表明され、90年代からは出生率の上昇を目指した様々な施策が国や自治体による公共事業として始まりました。しかし、出生率は年々低下しており、2022年には出生率が1.26となりました。

 国家事業・公共事業としての出産育児の奨励の事例は過去にもあります。例えば、1920年代には、帝国日本の資源としての人口を増やすという点から、出産が奨励されました。この時期のプロパガンダは当時のカルタからもうかがうことができます。発表では、出産・育児がナショナリズムに結び付けられ、理想的な子ども像・母親としての女性像が投影されたカルタの事例(「良い子 強い子 御國の宝」「良い子 子育て 御奉公」「この子 育てて 御國へつくす」)が紹介されました。15年戦争期(1931―1945)にも出産が奨励され、それに伴って人口も増加しました。しかし敗戦後、植民地からの帰還民などの問題から政府は方針を一転させ、結果、出生率は低下しました。そして、約40年後、出生率が少子化現象として再び問題視されるようになり、90年代から推進されている少子化対策につながっていきます。このような歴史的経緯からもわかるように、現代の少子化対策は政治的争点であり、個人の関心や決断に沿ってなされたものではありません。そのため、個人レベルでは、子どもを産もう・家族の規模を拡大しようという動きはみられないことが指摘されました。

 ケリー氏が過疎・少子化する東北の町で行ったフィールドワークからも、日本の少子化対策が対象者たちのニーズに応えられていないことや、子どもをいつ何人持つかという決断に影響を与えていないことがうかがえたといいます。例えば、自治体等による子育て支援施設開設の際、将来的な利用者の発言力は必ずしも高くなく、彼ら彼女らの声が反映されているのか疑問があるといいます。子どもを持つ女性らへのインタビューでは、個人個人がそれぞれの必要に応じてネットワークを構築し子育てを行う姿が浮かび上がり、少子化対策として行われる公共事業の存在感はそれほど顕著ではなかったといいます。また、女性たちの社会的ネットワークには、独身時代や出産前からの友人が含まれており、女性が妻や母としての役割に制限されない自意識を保持するうえで重要な繋がりであることが指摘されました。

 コメンテーターのロドリゲス氏からは、韓国やイタリアなど外国の少子化現象と日本の少子化現象の類似点・相違点は何か、日本の出生率の高い地域にはどのような特徴があるのか、女性の自意識は少子化現象とどのようにつながるのか、より効果的に政策立案者と当事者を結び付けるには何をすべきか等の質問がなされました。

 今回は登壇者すべてと出席者の大半がオンラインで参加しての開催となりましたが、それを感じさせないほど和やかに、かつ活発な議論が交わされました。

(文・坂知尋 プロジェクト研究員)

トップへ戻る