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明石博高史跡マップを公開しました(※2023年10月10日追記)

2022.10.31

 国際日本文化研究センター所蔵の近代京都古地図「京都府組分細図」と現在の地図情報を連動させ、明石博高ゆかりの地を巡るイラストマップを制作、公開しました。このマップは、2022年5月に開催された企画展「明石博高―京都近代化の先駆者」開催記念シンポジウムとの連動企画により、総合情報発信室が制作したものです。明石博高が携わった京都舎密局、療病院など、計28箇所のスポット情報を写真とともに紹介しております。明治時代に書かれた古地図を使って、京都の街歩きが楽しめるマップとなっていますので、是非京都の観光や散歩のおともにご活用ください。

明石博高史跡マップはこちら(Strolyのサービスに移動します)

https://stroly.com/viewer/1659403020?zoom=3

近代京都古地図「京都府組分細図」はこちらからご覧になれます。

https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002147932

■明石博高史跡マップの使い方(画像をクリックすると拡大します)

<※ 2023年10月10日追記>
2023年10月現在、オープンストリートマップや衛星写真との切り替え表示が可能です(Google マップとの表示切り替え機能は2023年9月末で終了しました)。詳細はこちらをご覧ください。

pic_0001.jpg

■明石博高とは?

 明治元年(1868)新政府が成立したのち、翌年の東京奠都に伴って京都の経済は大きく衰退しました。その京都の低迷期を、西欧諸国の技術・学問を取り入れ、文化や産業の振興で脱却しようと尽力したのが、当時、京都府の参事(後に知事)であった槙村正直、顧問の山本覚馬、そして青年蘭方医の明石博高です。彼らは、日本初の学区制小学校設立を皮切りに、驚異的なスピードで革新的施策の推進を図っていきました。とりわけ明石博高は、明治3年(1870)年から約10年間、殖産興業時代の京都府官僚として、京都舎密局や療病院など近代医療・理化学関連施設を創立し、科学技術教育や医療制度の整備に心血を注ぎました。明石の活躍により、療病院には医師ヨンケル、マンスフェルト、ショイベ、舎密局には薬学者ヘールツ、応用化学者ワグネルなど、お雇い外国人が次々に赴任し、京都の近代化に貢献しました。しかし、明治14年(1881)、明石は京都府の殖産興業政策転換とともに退官し、その後種々の事業に関わりながら、市井の開業医として生涯を終えました。

 明石博高についてもっと知りたい方は、是非こちらもご覧ください。

オンライン企画展「京の近代科学技術教育の先駆者たち―明石博高と島津源蔵」

https://www.nichibun.ac.jp/online/akashi_hiroakira_and_shimadzu_genzo/

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