閉じる

日文研の話題

[Evening Seminarリポート]「軽み」に隠れた三島由紀夫の批評家精神を翻訳する(2022年7月7日)

2022.07.19

 7月7日、近代日本文学を専門とするスティーブン・ドッド外国人研究員(ロンドン大学SOAS名誉教授)を講師に迎え、英語によるイブニングセミナーがオンラインと同時開催されました。

 今回は、“The Serious and the Shallow: The Task of Translating MISHIMA Yukio’s Life for Sale (“Inochi urimasu”)”(重厚で軽薄──三島由紀夫『命売ります』の翻訳という仕事)と題し、三島由紀夫の長編小説『命売ります』(1968年)の英訳を例に挙げて、その実作業の過程で理解を深めた、三島作品の底に流れる意味の重層性と不可解さ、矛盾、それゆえの魅力について詳細に解説してくれました。

 ドッド教授は近年、三島の翻訳書として『命売ります』の英語版 Life for Sale (Penguin Classics, 2019) と、Beautiful Star (Penguin Classics, 2022; 原著『美しい星』[1962年]) の2冊を相次いで刊行しています。三島とは45年前、初来日時に実際に対面したことがあるそうで、その文体に好感を持ち、さまざまな「顔」を持つ人間・三島のなかでは特に批評的側面に惹かれると語ります。

 『命売ります』は、1970年に三島が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる2年前に『週刊プレイボーイ』で連載した小説です。自殺未遂を起こした一人の男、羽仁男(はにお)が、新聞の広告欄に「命売ります」と投稿したのをきっかけに、それを読んだ尋常ならぬ依頼人たちとの間で数々の騒動が巻き起こります。作品全体のトーンには、雑然としてキッチュで、セクシーで通俗的といった表現が似合いそうですが、ドッド教授は、そのような「軽佻浮薄」なスタイルをあえて採用することにより、作家は敗戦後の人間関係の崩壊を鋭く批評した、と読み解きました。テクストに見えるサド・マゾヒズム的な関係性も、三島にとっては些細で無味乾燥な空想物と映った、戦後日本の消費生活に抵抗する一つの手段だったのではないか、と。

 同時に、一見通俗的な作品の深みを知れば知るほどの、翻訳の困難についても、次のような疑問形で紹介しました。「重厚さと軽薄さを効果的につなぐ翻訳はどのように可能か」「軽重のコンセプトは時代によって変化するか」「別の伝統を持つ文化圏に同様の文体力学を認識させることは果たして可能か」──。そして「翻訳の要諦とは、語句の選択の問題なのではないか、それがすなわち、ある文化の想定の一端を別の文化圏へ提示するということではないか」と締めくくりました。

 冒頭で「年をとるほどシンプルになる」と述べていましたが、簡潔な構成ながら奥の深い、洞察力に富んだ講義は、プレゼンテーションのお手本と呼ぶにふさわしいものでした。

(文・白石恵理 総合情報発信室 助教)

トップへ戻る