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日文研の話題

[木曜セミナー・リポート]文明としての Athletics: 『文明と身体』の一事例(2020年2月20日)

2020.04.01
 2月に開催された木曜セミナーには、比較文化・文明論を専門領域とする牛村圭教授が登壇。自身が進める最新の研究動向について語りました。
 
 英語の「Athletics」――通常は「筋力を用いる肉体運動の総称」を示すこの言葉。狭義には「陸上競技」という意味も持ちます。今回の発表で牛村教授は「Athletics=陸上競技」と位置づけ、イギリスやアメリカでプロからアマチュアへと展開していった陸上競技が、その後、近代日本に受容されていく。その道のりを概観することからスタートしました。 
 
 明治初年、西洋にわたった岩倉使節団は日本と西洋諸国との「文明の落差」を40年と認識。その後、日本は実際に約40年かけて不平等条約を改正し、「一等国」=「文明国」の仲間入りを果たします。ところが、文明の尺度は伸縮自在。完全な平等を到底のぞむことはできませんでした。しかし「同一ルールが適応されるスポーツの場への参加こそが、文明国への仲間入りとなる」という見方ができるのでは、と牛村教授は考えます。当時の日本で「文明国のスポーツ」の祭典と位置付けられた1912年の「オリンピック(第5回大会:ストックホルム)」への初出場こそ、その舞台だったのです。
 
 第5回オリンピック大会には、三島彌彦(短距離)と金栗四三(マラソン)の2選手が参加。三島の記録が第1回オリンピック大会(アテネ)の記録に近かったことから、このとき《16年の「時差」》という認識が新たに誕生しました。その後、日本が初めて金メダルを獲得したのは偶然にも初出場から16年後の1928年(第9回大会:アムステルダム)。それは日本陸上界の目標が達成された瞬間でもありました。
 
 本発表で、オリンピックと並びカギを握ったのは、短距離種目で行われる「クラウチングスタート」。手を地面につき、通常は利き足を前においた姿勢でのスタートです。日本で陸上競技指導書の刊行がはじまったのは1900年代。牛村教授は、初期の指導書には1880年代後半に導入された新しい技術「クラウチングスタート」が紹介されたことを指摘します。そして指導書の叙述から、その典拠となった英米の指導書を推測しました。さらに、「クラウチングスタート」の起源に言及する英語文献や関連写真も示し、当時スターティングブロックはなく地面に穴を掘って出走、技術的にはまだ未熟な段階だったということにも言及しました。
 
 本発表は、2018年刊行の『文明と身体』(臨川書店)に収録されたご自身の論考をさらに展開させたもの。実演を伴った臨場感あふれる解説に、会場は終始沸き、発表後の質疑応答でも白熱した議論が展開されました。
 

(文・光平有希 総合情報発信室 特任助教)
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