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第164回日文研レクチャー "The Aesthetics of Animation in Early Modern Japanese Portraiture" を開催しました(2024年2月13日)

2024.02.19

 2月13日、Radu LECA 氏(Hong Kong Baptist University)を迎えて第164回日文研レクチャー "The Aesthetics of Animation in Early Modern Japanese Portraiture" を開催し、オンラインを含めて37名が参加しました。以下は、当日の司会を務めた、Edward BOYLE 准教授(日文研)の報告です。


 Radu LECA 氏は、日本の近世(特に1680年から1710年にかけて)の肖像画(姿絵)の表現に焦点を当てて、自身の著作を紹介しました。この時期の肖像画がいかにして「生命を吹き込まれる」ようになっていったのかを検証するとともに、こうした取組を通じて美術史における浮世絵の位置付けの再考を促しました。

 レクチャーでは、当時のさまざまな資料を深く掘り下げつつ、いきいきとした肖像画では表現と現実との間隙がどのように埋められていたのか、その方法を四種類あげて、詳しく説明しました。

 続いて、討論者の Timon SCREECH 教授(日文研)は、東洋と西洋では絵画や表象の概念が異なることについて、幅広く概観しました。自らの芸術作品に「文字通り」生命を吹き込んだという練達の画家たちの逸話が示すように、中国の伝統芸術では「写生」、つまり表現を通して生命を与えるという概念が尊ばれてきましたが、これは、生命は神からの贈り物である西洋とは対照的です。したがって西洋の芸術家たちが追求できたのは、生命の創造ではなく、生命の完璧な表現でした。

 LECA 氏の取組は、生命とその表現のあいだのあいまいな境界の分析を通じて、これら2つの芸術的な認識を結びつける可能性を秘めていると、SCREECH 教授は指摘しました。

 質疑応答では、西洋における生命の創造(フランケンシュタインやドリアン・グレイ)と、東洋における生命力-物質的存在の関係について、活発な議論が交わされました。本レクチャーでは、グローバルな視点からの日本研究という新たなアプローチが紹介され、芸術へのまなざしやその系譜を融合させることで、日本の近世初期に対する新鮮な見解が示されました。

(文・Edward BOYLE 准教授)
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