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日文研の話題

[人コミュ通信 vol.20]近代日中美術交渉の歴史を紐解く―戦暁梅先生にお話をうかがってきました―

2023.02.15

2022年10月に国際日本文化研究センター(日文研)に着任した人文知コミュニケーター、郭佳寧〔郭)〕です。日文研の活動や教員、そして所蔵資料の魅力を定期的にお届けしている「人コミュ通信」は今回で20回目を迎えました。節目となる今回は、2022年10月に日文研に着任された戦暁梅先生〔 戦)〕に、お話を伺ってきました。


郭)まず、先生のご専門分野についてご紹介いただけますでしょうか。

戦) 私の専門分野は一言でいうと、近代における日中美術交渉史となります。つまり、美術活動を通して日中関係を考察することです。日本と中国の間の美術交流は非常に長い歴史があって、近代に入ってからその関係はより複雑となり重層的なものとなってきています。例えば、文人画(文人が余技として描いた絵画のこと。南画。)という日中共通の絵画ジャンルがありますね。西洋美術の新しい表現に直面する時に、文人画を含む日本と中国の伝統画壇がほぼ同じような悩みを抱えていました。また、日中間の美術交流も非常に多様化しています。そうした日中の間の美術をめぐる活動や人物を対象にして研究しております。

郭)ありがとうございます。先生のご研究を語る上で、美術交流活動を通して近代における日中関係を見るという視点にご関心をもたれた最初のきっかけについて、また研究テーマに辿り着かれた経緯についてもお教えいただけますでしょうか。

戦) そうですね。もともと視覚的なものが好きで、小さい時は、実際作品を見る機会があまりなくて、雑誌や画集などに触れる機会があればよく見ておりました。大学で日本語を専攻していて、その後修士課程は日本文化を研究するコースに入ったんです。そこで研究課題を決めるために図書館でいろいろ本をめくって悩んでいたら、たまたま手に取った画集に富岡鉄斎(1837~1924、文人画家)の作品が載っていました。そこである作品を見て即座に釘付けになったんですね。今でもよく覚えていますけど、それは赤い牡丹を描いた作品でして、牡丹といえば富貴を象徴するもので、一般的には大輪で華やかなイメージで描かれることが多いです。ところが、鉄斎の牡丹は非常に抑えられた赤と墨で描かれていて、美しいというよりも、重厚感があってそこから何か精神的強さを感じました。そしてその絵に添えられた「富而不驕(富て驕らず)」という『史記』の中の言葉が心に残って、その大きな印象が私を鉄斎研究に向かわせることになりました。つまり、私にとって、美術史研究とか文化史研究よりも富岡鉄斎を研究するためにこの道に入ったような感じでした。

郭)なるほど。実は私も先生と似たような経緯でした。仏塔の造形に心が引かれたので今の宗教文芸の研究を始めました。

戦)郭さんもそうでしたか(笑)。やはり引かれるものがあったほうが研究のモチベーションを保ちやすいですね。

郭)ところで、先程先生がおっしゃったように、近代に入ってから日本と中国の美術交流活動がより重層的なものとなってきていますね。近代中国美術の発展における日本的要素は様々な形で確認できると思いますが、具体的にどんな要素があるのか、その中でも特に中国の近代美術の発展・変遷に大きな影響を及ぼしたものは何でしょう。

戦)そうですね。近代中国美術の発展・変遷において日本はなくてはならない存在でした。絵画の理念や様式に限らず、美術教育の体系や展覧会制度、また、西洋美術を学ぶ媒介として、いろんなところで中国美術に影響を与えていたもので、どれか一つ挙げるのは難しいぐらいですね。でも、これらを可能にした極めて重要な背景として、近代日中間の人的交流が盛んになったことが挙げられます。留学を例にして言えば、近代中国では西洋美術を学ぶのにフランス留学と日本留学の二つのルートがあり、日本留学の場合は距離が近くて経済的、そして漢詩文の素養がある人なら交流もしやすいなどといった利点があって人気でした。そして、私が関心を持っているのは、西洋美術の衝撃を受ける中で、中国の伝統美術界が日本と似たような境遇に直面していたことです。つまりそれまでの伝統美術をどのように発展させるのかという共通の悩みを抱えていたと思います。その伝統美術の近代へと転換するプロセスを見ると、日本は時間的に中国より若干早いのもあって、中国の「鏡」のような存在、つまり一つの参照物として機能していたと言えるように思います。

郭)なるほど。西洋美術を勉強する場合、日本に行くルートが優先的に選ばれるのはなかなか面白いですね。日本における美術教育の充実、また伝統美術が近代へと転換するプロセスのあり方は当時の中国人にとっては魅力的なところでしょうね。ところで、近代に入ると、画家、美術留学生、またコレクターなど、いわゆる芸術創作と美術活動に携わる人たちの来日が多く見られる一方、文学者の魯迅(1881~1936)や京劇俳優の梅蘭芳(1894~1961)など一見美術とは関係なさそうな知識人たちも日中の美術界と交流がありましたね。近代中国において美術・美術品への関心は、辛亥革命以降に展開された新しい思想や文化などとの綯い交ぜも潜んでいたと思われますが、当時の中国の知識人たちは日本における一連の美術交流活動をどのような認識に基づいて参加・関与していたのでしょう。

戦) そうですね。これはとてもありがたい質問です。郭さんの中で魯迅や梅蘭芳はそれぞれ文学者と京劇俳優というイメージがあったから意外に感じたと思います。中国画の場合は、知識人に限らず、いろんな層の人が嗜みとして絵を描いていましたし、また知識人や文学者が美術活動に関心を持って、自らも創作することは決して中国に限ったことではないですね。例えば、同じ近代でいうと日本の白樺派の文学者武者小路実篤(1885~1976)は絵を描いていましたし、川端康成(1899~1972)は古美術品の有名なコレクターでもありました。また、例えばシュルレアリスム画家の古賀春江(1895~1933)の場合は若い時に詩を書き、前衛詩人たちと親しく交流していたんですね。彼らにとって何かを表現するために、詩を書くことと絵を描くことは厳密に区別していなかったかもしれません。

それから、中国書画に関して言えば、これに関連して二点お伝えできればと思います。一つは、中国は歴史的に「文」を大切にする社会ですよね、今もそうだと思います。『論語』には「志於道、據於徳、依於仁、遊於芸(道に志し、徳に據り、仁に依り、芸に遊ぶ。)」という君子(立派な人)の理想的な生き方が説かれています。「遊於芸」というのは教養を重視する意味となります。例えば、文人画という日中共通する絵画ジャンルでは、そもそも絵を描くことは教養のある文人が余技として、自娯つまり自ら楽しむために描くものであるという様な考え方がありました。もう一つは、中国書画は、歴史的に社交の道具の一つという側面もあります。中国では昔から文人の雅集というものがあって、気の合う友人が自分の描いたもの、あるいは自分の所蔵品を持ち寄って品評し合ったり、その場で合作したりして、交流の手段として書画というのは非常に有効に機能していました。つまり知識人にとって、書画はとても身近な存在だったのです。そういう意味では、近代中国で伝統的中国絵画を改めようとする動きは、画家からではなくて、文人や思想家の間で始まったわけです。これは中国書画の特殊なところでもあるのですね。

郭)書画が社交の手段として使われていたことはある意味で合理的ですね。文人や思想家が伝統美術の改革を導いたことは、当時において美術という分野は単なる芸術のみではなく、近代の先進的思想の先頭に立つような分野であったことを改めて思いました。ところで、先生が調査研究を遂行される際、特に難しいと感じたことを是非教えてください。例えば資料が少ないとか、あるいは資料が多すぎて選別するのは難しいとか。

戦) 両方ありますね。一次資料に辿り着くことはなかなか難しいことです。まず、作品自体が戦乱の中で紛失したりすることが多くて、そういう作品がない状況でどのように美術活動の実態を見るのかということが困難の一つだと思います。一方で、一次資料そのものにも間違った情報が多く、惑わされることもありますね。粘り強く研究を進めるしかないと思います。研究資料を探す時に、今の感覚でいうと、美術家だったら美術関係の雑誌のみから資料を探そうということをしがちですが、実際、研究対象とする人々の活動は多岐に渡っていることがほとんどです。だから、自分の中で決めつけないで、より広い範囲で資料を探すことは心がけたいと思っています。すると、あれっ、こんなところにこういう資料があったんだという偶然の出会いもあります。

郭)ありがとうございます。いよいよ最後の質問になりますが、日中美術交渉史の研究を目指す学生と若手研究者へのメッセージ、あるいはアドバイスがありましたら、ぜひ伺わせてください。

戦)まずこの分野の研究が面白いと感じてくれる人がいれば、それだけですごくありがたく、嬉しく思います。私がアドバイスを言える立場では決してありませんが、これまでの限られた経験から申し上げますと、この分野の研究はまだそれほど多くの蓄積があるわけではないですね。なので、先入観や先行研究の結論にとらわれないで、とにかく自分の感覚を信じて丁寧に資料に当たることを心がけてください。そうするときっと先行研究を超える良い研究ができるかと思います。ぜひ興味を持っていただける若い方々に研究仲間に入ってもらいたいです。

郭)戦先生、本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきどうもありがとうございました。

戦)こちらこそ、どうもありがとうございました。

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