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日文研の話題

[人コミュ通信 vol.19]「対話」が紡ぐ古典文学の魅力 ―荒木浩先生にお話をうかがってきました―

2022.08.24

日文研の人文知コミュニケーター、光平有希〔 光)〕です。国際日本文化研究センターの活動や教員、そして所蔵資料の魅力を定期的にお届けしている「人コミュ通信」。19回目となる今回は、日本の古典文学を研究されている荒木浩先生〔 荒)〕にお話をうかがってきました。


光)どうぞ宜しくお願いいたします。まずは、先生のご専門分野についてお話をうかがえますか。

荒)日本の平安時代から鎌倉・室町時代に作られた文学作品の研究をしています。平安時代の文学では、『源氏物語』や『枕草子』のほか、『今昔物語集』という、芥川龍之介も愛読した作品を専門としています。中世の文学では、最近は『方丈記』や『徒然草』などを中心に読んでいます。私は、高校の古典の授業を通じて様々な古典文学作品に出会いました。そののち現在に至るまで、実際に様々なテキストを読み、その中で特に興味深く感じた作品と向き合い、それを一つひとつ細かく詰めていって論文にしていく――そのような形で今まで研究を進めてきました。

光)「授業を通じて」というお話がありましたが、具体的にいつ頃から古典の魅力を感じられたのか、それに関連するエピソードもありましたら教えてください。

荒)古典というものを初めてきちんと勉強したのは高校生の時で、『万葉集』からでした。『万葉集』のなかには飛鳥時代の歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌もいくつか収められているのですが、その歌がなんだかとても心に響いた。教科書に載っていた恋の歌をノートはもちろんのこと、卓上ライトの白いシェイドなど、とにかく色んなものに書きましたね。それが高校2年生の時で、その後『枕草子』や『源氏物語』にも触れた経験が、古典と向き合うきっかけとなりました。私は新潟の出身で、同時期に修学旅行で奈良や京都を巡ったんです。ちょうど自分が関心を持ち始めていた古典の時代のまさに現場へ行くということで、とても興奮しました。それも古典の道に進む直結的な体験となりました。

光)とても興味深いお話をうかがわせていただき、ありがとうございます。続いて現在の研究内容や活動を教えていただけますか。

荒)専門は昔から意外と変わっていなくて、今も『今昔物語集』という説話集を対象としています。この作品は、内外の文献の翻案を含む1,000余りの説話を収め、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)における仏教の世界観を基軸としながら、正にグローバル的な視座のもとに描かれた説話集です。大学の卒業論文のテーマにこの作品を据えた時から現在に至るまで、ずっと興味を持ち続けています。ある時は仏教に焦点を当てて考察を深め、またある時はインド、中国、朝鮮半島といった各地の様子の描かれ方に興味を抱きました。さらに、この作品は単に仏教の話に留まるのではなく、世俗部があって、インド・中国・日本の歴史や政治、戦争、また芸能や笑い、悪行なども併記し、11~12世紀における日本の世界観も垣間見ることができるので、それらの描写にも関心をもっています。

光)様々な観点から、長きにわたりこの作品を見続けていらっしゃるんですね。

荒)そうです。その作品に対する関心がゆるやかにずっと続いており、博士論文や最近出版した著書でも、やはり『今昔物語集』をテーマにしました。ある程度長さがある作品を、常にそして完全な形で自分の中に置いておくのは難しいことです。しかし、その時々の関心や知識から、それまで無意識に読んでいたものが鮮明に蘇ったり、ふとした時に連鎖して深く追求できるようなところもあって、そういう面も文学の魅力だなと思います。

光)先生のお書きになっているものを拝読していますと、国内外のまなざしをすごく大切にしながら日本の古典文学作品と対峙されているような印象を抱くのですが、そのあたり何か想いがおありですか?

荒)そうですね、そこには海外での経験が大きく関わっていると思います。個人的に印象的に残っている体験の一つ目は、大学院在籍中の1984年に中国へ行ったことです。現地で様々な大学に出向き、多くの学生たちと語り合いました。海外の人が日本やその文化・文学に興味をもち、勉強をしているということ自体に感銘を覚えました。しかしそれ以上に、同じ作品でも私とは全く異なる視点から読んでいることに驚きました。私の原点として、文学を研究するということは、そういう自分の内在的なことと、外からの視点を交差・対比させ、さらには海外からの視界で読んでみる必要があると気づかされた瞬間でもありましたね。

光)先生の研究に対する国際的なまなざしは、学生時代にすでにおありだったんですね。

荒)はい。そして二つ目の経験は、1999年にコロンビア大学で在外研究をした折、ハルオ・シラネ先生のところへ行ったときのことです。先生を含め学生たちもごく普通に『源氏物語』などを読んでいたのですが、そこで学んだのは、彼らには、まずセオリーが必要だということです。日本人はテキストを注釈的に読んだりしますけれど、彼らは文学作品の受容者である読者の役割を積極的に評価しようとする「受容理論」のようなことも理解しなければならない。また、自身が取り組んでいる研究が、現時点でのアメリカでの研究動向のどういう理論と交差しているのかまで知る必要がある、そうしたことを教えてもらいました。もう一つは、2007年のインドでの客員教授の経験ですね。インドと聞くと、それまでは「『今昔物語集』で最初にブッダが登場するところだ」とか「仏教の起源がそこにはある」など、いわゆる幻想のインドを頭の中につくっていたんですね。しかし、実際に現地に立って暑い中で暮らしてみると、そんなことを全て超えて、「インドとはこういう所なんだ!!」ということを体中で実感しました。そして幻想ではなく、この地で現実にブッダが生まれ、そのブッダの存在から様々な文化が産み出され、そして『今昔物語集』も誕生したのだということをリアルに体感しました。

光)対話や体感を通じて構築されたご研究の原点にも通じるお話、詳しく教えていただきありがとうございました。「対話」といいますと、現在と過去との対話、あるいは「時間」へのご関心も先生のお書きになっている文章から感じるのですが、その点いかがですか?

荒)大学院生の時に真木悠介(見田宗介)が書いた『時間の比較社会学』という本に出会って「時間」への興味を強く持つようになりました。この本は、『古今和歌集』など文学作品も使いながら、例えば世界には、あるいは歴史の中には、どんな時間があるのか――まっすぐ過ぎていく時間がある、振り子のように繰り返される時間があったり――そういう時間のパターンと重層、また可能性みたいなことの面白さを教えてくれました。実は、今でも研究室の机に置いてあるんですよ。

光)面白そうな著作ですね、私も早速読んでみます。

荒)ぜひ読んでみてください。この本との出会いが、その後の様々な文学作品を読むときにも影響しています。例えば、日本文学では中世になると作品の形を面白がる時代になっていきます。そこに「時間」の視点を入れていくと、ずいぶん色々な事が浮かび上がってくる。このことは、鎌倉時代13世紀の作品で『今昔物語集』とも関連の深い『宇治拾遺物語』や、14世紀の兼好法師の随想『徒然草』などでもそうです。『徒然草』では、作者の8才の頃の描写が最後に描かれ、父と太古の仏教の起源をテーマに語らう、そうしたことを、シニカルだけど面白く説いています。一方、冒頭には「つれづれなるままに」ってありますよね。有名なのであまり違和感なく読むけれど、本来、あのような文章は、作品の最後に置くものです。「ああ、自分の書いてきたものは、なんて仕様もないものなんだ」というふうにね。謙遜の表現です。しかし『徒然草』では、明らかに意識的な時間の入れ替えが行われていて、終わりがもっとも若い著者で、作品の冒頭が終わりのように始まる。そういった逆転も、作品の味わいを増す要素になっています。このように、文学における「時間」というものを、ことあるごとに考えるようになり――コロナ禍の時間経験も大きいですね――、そういったことから派生して、「過去」と「現代」の往来や、「時間」を超えた対話といったものの魅力にも関心を抱くようになっています。

光)作品に内在化する「時間」の魅力、とても興味深くお話をうかがわせていただきました。ありがとうございます。今回は「対話」がキーワードになっているようにも感じます。ここで少し話は飛躍しますが、コロナ感染症の影響拡大を受け、ここ数年の研究活動でも「対話」の在り方に変化が出ているかと思いますが、先生はいかが思われますか?

荒)そうですね、ここ数年は学会などでもオンラインが主流になっていますよね。確かにオンラインは便利です。どこからでもアクセスできるし、面白くないと思うものは聞かないですますことだってできる。それは合理的だけども、まさに合理っていうのは、色んなものを切り捨てることでもあるなと感じています。体力的・時間的に大変であっても、対面の学会で目が覚めるような面白い発表や、渾身の力を振り絞った議論の場が目の前で展開されると、自由時間にその人のところへいって話をしたいと思うし、そういった人との直接的な交流や対話が、さらなる研究の深化に繋がることも大いにありますよね。でも、オンラインでは難しい側面が大きい。コロナ感染症の影響を受けはじめて3年目、非常に危機感を持っています。こうしたことって研究だけじゃなくて、例えば伝統芸能の継承など、多岐にわたる文化に大きな影響を与えていると思います。

光)オンラインの利便性ももちろんあるのですが、直接的な対話・交流の必然性、そしてそこから生み出される双方向のコミュニケーションが研究や文化創造・継承の深まりにも繋がるというご意見、私も全く同感です。さて最後の質問になりますが、今後の研究の展望、挑戦してみたいことをお聞かせいただけますか。

荒)直近では、一般の方々に自分の専門分野の話を分かりやすく伝える、ということに正面から取りくんでみたいと考えています。10年前と、ここ数年、ついこの間までの2回、『京都新聞』で連載をしていたことがあり、その連載をそれぞれ書籍化することが決まりました。新聞に古典を書くというのは、とても面白い経験です。一見難しく思われがちな古典文学を、いかに楽しく親しみをもって読者に捉えてもらうか、そのための工夫や新聞社の方との対話はとても勉強になりました。書籍化する際も、記事をいくども推敲し、順番を入れ替えたり自ら編集したりして、より分かりやすく伝えられるよう努めたいと思っています。それから、今後は、書下ろしにも挑戦したいと考えています。

光)ご著書、拝読できる日を楽しみにしています。本日の対話から多くのことを学ばせていただきました。荒木先生、本当にありがとうございました。

荒)ありがとうございました。

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