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日文研の話題

[人コミュ通信vol.15]国際的・学際的な日本研究を体現、そしてその重要性を繋ぐ。――ジョン・ブリーン教授へのインタビュー

2021.03.15
国際日本文化研究センター(日文研)の人文知コミュニケーター、光平有希〔 光)〕です。日文研の活動や教員、そして所蔵資料の魅力を定期的にお届けしている「人コミュ通信」。15回目となる今回は、本年3月末に日文研を退職されるジョン・ブリーン〔 ブ)〕先生に、日文研で過ごされた12年を振り返っての想い、そしてこれからの日本研究者に託す願いなど、たっぷりとお話をうかがってきました。

光)

今日はお時間をいただきありがとうございます。まず、先生のご専門領域についてご紹介いただけますか?

ブ)

わたしは日本の近代史、とりわけ19世紀の日本史を中心に研究に取り組んできました。明治維新を軸に、天皇(王権)の研究、神社・神道の研究、そして近代京都の研究を行ってきましたが、そのほか戦後の象徴天皇制や戦後の神社(靖国と伊勢神宮、日吉大社など)についても論文を書いてきました。これまで重視されなかった方法論をもって、注目されてこなかった問題に着眼することで、近代日本史の理解に貢献ができた、いや、できたかもしれないなと思っています。

光)

これまでの研究の取り組みについて教えていただき、ありがとうございます。そもそも、どうして神社や神道研究、日本文化にご関心をもたれたのか、研究テーマにたどり着かれたいきさつや背景などについても教えていただけますか?

ブ)

実は、ケンブリッジ大学の博士課程では、江戸時代の隠れキリシタンのことをやっていたんですが、史料をたどっていくと、江戸幕府が幕末期に実施したキリシタン弾圧が大きな外交問題に発展していたことに気づいたんですね。外交問題は明治初年に持ち越されましたが、「万国対峙」や「文明開化」を目指す当時の新政府はもはや昔のような弾圧・迫害をもってキリシタンを抑えることができない、キリスト教を禁じることすらできないわけです。そこで日本の宗教「神道」を一種の防波堤としてキリスト教と向き合い、包摂していくことを考えました。要は、明治初年に展開された神社、祭祀、教化をはじめとする「神道」政策は、キリスト教問題を抜きにしては理解できない、ということにその時気づいたんですね。

光)

そこでキリシタン研究から神道、神社の研究に舵を切られたわけですね。

ブ)

そうです。それから今に至っています。

光)

では、先生がご研究を遂行される上で特に配慮したり、気を付けてこられたことがありましたら是非教えてください。

ブ)

分かりました。これについては三点述べさせてください。
まず一つ目は、私は文化人類学者・社会学者が開発した空間論、儀礼論、モノ論をつまみ食いしてそれらを近代日本史の研究に応用する試みをしてきました。私が研究で目ざす「学際性」はそうした試みに表れていると思います。それぞれの理論を応用したごく最近の研究の具体的な事例をあげると、空間論を念頭に置いた近世における伊勢の研究や、京都の近代化と三大祭りの研究、儀礼論を展開した明治期の宮中儀礼や戦後の代替わり儀式の研究、また、モノ論としての伊勢神宮の大麻の研究が挙げられます。
そして二つ目は、これは本当の意味での「国際性」と言っていいかどうか分からないけれど、日本語で書く論文はかならず英語版も出す、また英語で書くものの日本語版を必ず世に出す、というふうにしてきました。英語で考える・書く自分と、日本語で考える・書く自分とはかなり異なっているため、論文の英語版と日本語版もいろいろな意味で違いがでてきます。また、口頭発表も、日本語と英語と両方で行ってきました。

光)

日文研が目指す国際的・学際的な日本研究の神髄を、ブリーン先生は体現されてきたんですね。

ブ)

どうでしょう?(笑)。そして最後三つ目は、研究は学者同士だけでなく、一般の方々のためにも発信するのも極めて重要だと思い、その辺の努力もしてきた。例えば『神社新報』や『京都新聞』などに連載記事を書くほか、百科事典、ハンドブック、雑誌などに原稿を掲載した。また、例えば丸善、歴彩館、霊山歴史館、国際文化会館などで一般の方々を対象にたくさんの発表をしてきました。

光)

なるほど、これは研究現場と社会を繋ぐことをミッションとする人文知コミュニケーターにも通じることで、多岐にわたって分かりやすくご研究内容を発信されてきたブリーン先生の活動には本当に頭が下がる思いです。さて、これまでの研究の歩みをお聞かせいただきましたが、今度は、とりわけいま取り組んでおられる研究課題・内容についても教えていただけますか?

ブ)

ついこの間、オックスフォード大学出版会と契約を結んだので、ある著書を執筆しています。今手掛けている著書は、グローバル的な観点から近代日本の王権を捉え直す試みです。ヨーロッパの19世紀は、「革命の世紀」だとみなされがちですが、実は「王政復古(レストレーション)の世紀」でもありました。ヨーロッパの王権はレストレーションを行い、憲法を発布して、民衆に一定程度の権利と自由を与え、自らを改革する。日本の王政復古の意味をそうしたグローバルな文脈に位置付けて考え直すのが、本書の狙いです。
また、これまでに近代伊勢の研究をしてきましたが、それの延長線上で伊勢講の研究をしたいとも思っています。伊勢講については、個別的な研究がないわけではないですが、伊勢神宮の近代化過程を、伊勢講という周辺的な観点から見直してみたいと思ってるんです。それから、私が一番最初に書いた論文は、津和野藩の国学者大国隆正(おおくに たかまさ)の研究だったんですけど、今一度、大国隆正に戻ってみたいとも考えています。私は人物に焦点を当てた研究をこれまであまりやってこなかったので、幕末維新を生きた隆正という人物に迫ってみたいと思っています。最後に、実現できるかどうか分からないけれど、新書を書きたいですね。日本の皇室とイギリスの王室の交流をテーマとしたものと、神職と戦争をテーマとしたものを構想として温めているところです。

光)

これからも先生のご研究にますます目が離せそうにありませんね。私自身、まだまだこれから先生の御著作や発表から学ばせていただくことを楽しみにしています。さて、話は少し変わりますが、ブリーン先生は長きにわたり日文研発行の学術雑誌Japan Reviewの編集にもご尽力くださり、多大なる功績を残されてきたと思います。Japan Review刊行に対する想いや、編集などにまつわるエピソードがありましたらうかがわせてください。

ブ)

Japan Reviewについては、私の前任の業績を踏まえつつ、かなり抜本的な見直しを行なってきました。一研究所の紀要っぽい性格をまだ持っていたJapan Reviewを、国際的に認められる学術雑誌に育てていく、というのが私の課題でした。しかし全てが順調に行ったのではなく、実に大変なこともありました。でも、結果としてJapan Reviewは今や日文研が誇りに思ってもよい、なかなか立派な学術雑誌になっていると個人的に思っています。
そして、いうまでもないことですが、Japan Review刊行に際しては、出版編集室のスタッフが一貫して本当の意味での縁の下の力持ちだと常々思っています。この場を借りて、感謝の意を表したいです。私が行ってきたのは、装丁のデザインを変えた、紙も変えた、フォントも変えた、厳正で堅固な査読体制も導入した、書評コーナーも設けた、そして「春画」「世俗」「戦争とツーリズム」などをテーマとする特集号も出した。こうしたことです。そして、Japan Reviewの可視化を計らい、JSTOR、EBSCO, Web of Scienceのオンライン・データベースへの登録も行ないました。それから、若手の研究者にJapan Reviewを案内する努力もしてきましたね。ただ、少し遺憾に思うのは日文研の教員からの論文投稿が少ないこと。いずれにせよ、12年もJapan Reviewの編集をしてこられたことは、私にとって楽しい、充実した仕事でした。手放すのは寂しいです。

光)

Japan Review 発展の歩みや、先生の熱い想いが伝わってきました。ありがとうございます。さて、先生は今年度末に御退任されますが、2008年より日文研でご研究を進め、また教鞭をとってこられたなかで、特に印象に残っている思い出がありましたら教えてください。

ブ)

これについては、喋り出すとキリがないので、一点だけ言わせてください。日文研に着任してからかなり多くの研究ができ、またその研究を多くの場で発表することができました。それは日文研のおかげで、感謝の気持ちでいっぱいです。この前調べてみたら、着任してから種々の学術企画に百数十回登壇して、日本国内のみならずアメリカ、ヨーロッパ、中近東、アジア、オーストラレーシアで研究成果を発表してきたことが分かりました。また、そうすることによって多くの方々と学術的、社交的交流ができた。これは大変ありがたいことです。

光)

国内外で百数十回も!?それはすごいですね。そのほか、後進の研究者や日文研にメッセージがありましたらご自由にお話しください。

ブ)

後進の研究者や日文研に贈りたいメッセージが特にあるわけではありませんが…、楽しかったのは院生との交流ですね。三人の学生の指導教員も務め、一回は博士論文の主査も務めるほか、何人かの院生の論文を読ませてもらい、大変いい勉強になりました。彼らにメッセージを送るとすれば、「研究の国際性・学際性を忘れないようにして下さいね」ということに尽きるかもしれません。
私がここで言う「国際性」は、次のようなことです。一つには、日本国内だけでなく欧米・アジアなどの研究者による実証的、理論的仕事を自覚して、それを批判しつつ、それに学ぶこと。二つ目は、自らの研究成果を海外の研究者を対象に(口頭発表、論文などの形で)発信すること。そして三つ目は、そうした営みの前提としては、英語など外国語を積極的に取得すること。これは決して安易な課題ではないですが、極めて大事なことです。こうした意味での国際性を目指すことは、大きな知的な刺激になり、新たな研究者ネットワークの形成にも繋がるので、是非とも挑んでもらいたいです。

光)

一方の「学際性」についても教えてください。

ブ)

そうですね。「学際性」とは、文字通り異なった学問、例えば、歴史学、文化人類学、社会学などを横断して越境することに始まるでしょう。私の研究は決して本格的な学際性を有するのではなく、他の学問をつまみ食いしかしていません。でも、つまみ食いだけでも新しい研究課題を創り出し、新しい切り口、視点を見出すことも可能です。ぜひ挑戦してみて下さい!

光)

最後に、読者の方々にメッセージがありましたら、ぜひうかがわせてください。

ブ)

読者の皆さん、私は今月末で定年退職を迎えますが、京都に残ります。京都の伊勢講に関する研究の他にも、これから崩し字解読の勉強もしたいと思っています。さらに「京都検定」も取るつもりです!いずれ、京都のどこかでお目にかかることがあるかもしれません。その日をとても楽しみにしています。

光)

ブリーン先生、本日は非常に重みのある、そして興味深いお話をうかがわせていただきありがとうございました。先生のますますのご活躍を心からお祈り申し上げます。

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