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日文研の話題

[人コミュ通信vol.14]企画展「CHINA GRAPHY―日本のまなざしに映った中国―」にかける想い――本展企画者・劉建輝教授にお話をうかがってきました

2020.12.25

日文研の人文知コミュニケーター、光平有希〔 光)〕です。国際日本文化研究センターの活動や教員、そして所蔵資料の魅力を定期的にお届けしている「人コミュ通信」。14回目となる今回は、10月より大阪大学総合学術博物館にて開催されている企画展「CHINA GRAPHY―日本のまなざしに映った中国―」の企画者である劉建輝先生〔 劉)〕に、本企画展にかける熱い想いや資料の見どころについて、たっぷりお話をうかがってきました。

光)

本日はどうぞよろしくお願いいたします。まず、劉先生のご専門(研究)について簡単にご紹介いただけますか。

劉)

私は日中文化交流史を研究しています。もともと近代文学を専門としてきましたが、ここ20年くらいは、写真・絵葉書・地図・旅行パンフレットなどの日中関係史に関する非文字資料(画像資料)を積極的に収集し、明治以降から昭和戦前期(終戦まで)の日中関係史を画像で辿るということに力点を置いて研究をしています。非文字資料を対象とした研究については、一昨年まで画像研究班を立ち上げて、共同研究会等も継続的に行ってきました。

光)

ありがとうございます。20年蓄積されてきたそのご研究が今回の企画展にも繋がっていると思うのですが、企画展にいたったいきさつや、会場となる大阪大学との関わりなどについて教えていただけますか。

劉)

共同研究会の班員の皆さんと私の研究動向を日ごろから共有するなかで、とりわけ大阪大学の深尾葉子先生が非常に興味を示してくれたんです。深尾先生は、今の阪大・外国語学部の前身である大阪外大におられた頃より中国経済史の研究を続けられていて、長年、中国の環境や生態についての調査、特に黄土高原の生態環境や生活習慣などのフィールド調査を行ってこられました。大阪外大はもともと中国語学科が強く、優秀な卒業生を沢山輩出し、外交官やジャーナリストなどの職を得る人たちも多く、その人たちが撮影した新中国の写真が沢山残されているんですよ。そこで、戦後については阪大にある写真資料を、戦前については私が集めてきたコレクションを使って企画展を行おう、なかでも日本人のまなざしに映った中国を辿ろうという話になりました。

光)

展示会に至る経緯について詳しく教えてくださりありがとうございます。続いて、今回の展示会の構成をしていく中で、特に配慮されたことを教えていただけますか。

劉)

今回の展示は4部構成で、第1・2部は戦前、第3・4部は戦後です。私は戦前の第1・2部を担当しましたので、そこを中心にお話ししますね。今回特に配慮したのは、多種多様な画像資料を使うということです。画像資料というと、写真を指すことが多いのですが、第1部では地図や鳥瞰図、そして旅行パンフレット、第2部では絵葉書や写真といった多岐にわたる資料を積極的に展示するということに気を配りました。ところで、「日本人のまなざしに映った中国」というテーマに思いを巡らすとき、光平さんならまず何をソースとして思い浮かべますか?

光)

文字資料や写真集でしょうか…。

劉)

普通はそうですね。でも他にも色々あるんですよ。たとえば戦前期の日本では、地図は日本の庶民にとり中国に対する空間的な認識を図る上で非常に重要なツールでした。日清・日露戦争以降の中国と日本の間での様々な事件や事変を把握するには地図は必需品だったんです。各出版社、雑誌・新聞社などがこぞって多くの地図を発行しました。私は長年そうした地図を集めており、今回の企画展では、当時の日本国民がいわゆる中国認識の中で、一体どういうふうに空間を捉えていたかということを伝えたいと考え、まず地図を大々的に展示しました。

光)

地図といえば、近年の日文研の活動では鳥瞰図をめぐるものがありますよね。

劉)

そうですね。鳥瞰図は地図をデフォルメしたかたちで描出しているものです。忠実に描く地図に比べ、見ている側のイメージが反映されやすく、作り手の認識を受け手に提供できる、それが鳥瞰図なんですよね。鳥瞰図だと作者個々人の強調したい部分が出てくるので、さじ加減ができる、鳥瞰図はイメージ形成に非常に大切なものだったと考え、今回も展示しています。

光)

多種多様な画像資料を使うということを先ほど指摘されていましたが、他に着目なさった点をぜひお聞かせください。

劉)

もう1つ大きなテーマは、旅行ですね。中国のイメージや認識の形成は、ツーリズムとも非常に深い関係があります。明治以降、中国各地への日本の進出に伴って、満州や朝鮮などにも日本人旅行者が増えていくんです。特にJTBが斡旋し、新天地での活動を応援する形で、たくさんの旅行団やツアー商品を提供しました。修学旅行などで中高生たちも多数行かせたのですが、それらの地域には日清・日露戦争の戦跡がたくさん残っており、愛国教育としての行先にはうってつけだったからです。

光)

ツーリズムとも関係があるかと思いますが、今回の企画は旅行者だけではなく現地で生活していた日本人にも着目されていますよね。

劉)

そのとおりです。戦前、終戦の時点で、海外にいる日本人は330万人くらい。そのうち約155万の日本人が満州にいて、その他、例えば上海10万人、天津7万人とか青島4万人とか、ざっと計算して大体200万人の民間人が中国にいました。当時、日本の人口はおよそ7000万人なんですよ。つまり滞在者に旅行者を加えると、ほぼ20人に1人が当時中国へ行っていた、これはとんでもない数です。20人に1人海外へ行くというのは、1980年代後半の海外旅行になって、ようやく達成した数字なんですね。

こんなに多くの人が中国に行って現地を見てきた、そしてそれを記録したものにはとても大きな意味のあることだと思います。ツーリズムの担った役割は、やはりきわめて大きい、そこを強調しておきたいですね。ツーリズムの発展が背景にあったから、質の高い、レベルの高いパンフレットがたくさん生まれたんです。地域ごとに、漫画風に作ったり、地図をいれたりして、どれもデザインが斬新で、本当に完成度が高いです。パンフレット類も、中国のイメージ形成の大きな一助となったと思っています。

光)

私も企画展を観覧してきましたが、第1部の最後には明治・大正期の写真集も展示されていますね。

劉)

そうなんです。当時は、満鉄の事業展開初期に当たり、租借地には多くの日本人が進出しました。写真館も多数開業していたので、個人経営の写真館や満鉄などが主導して日本人向けに現地紹介の写真集などを積極的に刊行したんです。そうした写真集の中からも数十枚ほど選んで、明治・大正期の中国に対するまなざしとして紹介しています。

光)

第1部では、空間の認識や空間をデフォルメしたまなざし、旅行ツーリズムとの関連とのまなざし、そして最後は、当時の組織と個人との間で作り出された、いわば日本人がみせたい中国といった視点が紹介されているのですね。続いて第2部の展示についても教えていただけますか。

劉)

昭和に入るとツーリズムの発達によって、絵葉書がたくさん刊行されるようになりました。これはさっき触れた旅行の中で生まれたまなざし、あるいは現地の写真館や満鉄などの組織がテーマを決めて作ったものですね。それを第2部前半の骨子にしました。満州事変、日中戦争、太平洋戦争につながる厳しい情勢の中で、中国に対する観察が沢山描かれているわけです。時局の厳しい時に、彼らが何を見て、何を記録したかということに関しては、私は実像と虚像両方あると考えているので、写真の裏にあるもの、彼らが見せたい、または隠したい背後の真意のようなものを伝えたいと努めました。

第2部後半は、従軍画家による作品です。1937年に日中戦争が、7月の盧溝橋事件をもって始まり、その直後の9 ・10月あたりから、従軍記者、従軍作家、従軍画家などがもう現地に派遣されました。従軍画家の存在についてはあまりその全体像が語られてきませんでしたが、様々な戦時中の歴史資料を収集する過程で、私は約2000枚の従軍画家による絵葉書作品を集めることができました。原画はもうほとんど残っておらず、美術館などもまったく取り扱っていないため、全て絵葉書という形でしか世に伝わって残されていないのですね。1937年から1945年までの間、延べ1000人近くの画家が中国へ赴きました。これは世界史的にみてもきわめて稀な現象で、交戦国の一方の画家が一度に何百人も敵地に行き、相手国を描くというのは非常に珍しいことです。

そして従軍画家による作品にはもう1つ重要な点があるんです。中国は当時戦乱が続いたので、中国の画家たちが自国の風景を描く余裕はほとんどなかった。むしろ日本人の画家の手によって当時の風景が描き残されたという意味で、非常に貴重な資料になり得ています。従軍画家は、もちろん任務として戦場や戦闘を描かなければならなかったものの、私が持っている約2000枚の作品をざっと見てみると、戦闘や戦跡を描いたものはほんの2割ほどです。その他は、陣中生活という兵隊の日常を描いているものや、中国人との融和や友愛というような平和な場面を描いているものが2割ほど、その他の6割は全て中国の風景と生活風俗なんです。

光)

なぜ従軍画家はそれほどたくさん中国の風景を描いたのですか?画家ゆえにやはり風景は描いてみたい画題となったということでしょうか?

劉)

多分そうでしょうね。目の前に広がる雄大な中国の風景を、どうしても自分の筆で描きたかったのでしょう。洋画家が多かったので、学んだ西洋由来の技法を余すところなく発揮できる原色的なもの〔例えば、黄色い大地や大河の濁流など〕がその行く先々で視界いっぱいに広がっており、描きたいという衝動に駆られたはずです。他方、顕現と隠蔽という宣伝上の理由で、あまり激しい戦闘の部分を銃後の一般国民にみせたくないという気持ちも画家たちに働いていたのではないかと考えます。

描いた作品は、軍事郵便用の絵葉書となって兵隊に無料配布されます。1937~1941年の軍事郵便の配達数は年間約4億通だったと言われています。もちろん全て絵葉書というわけでなく無地の葉書や手紙などもありましたが、それでもすごい数字でしょ。つまり、画家の描いた1つの作品に対し、絵葉書が何万から何十万枚の単位で印刷されるので、大衆性が高く、流布する範囲が大きいんです。この影響力のことも考慮して、私は、画家たちがあえて戦争の悲惨さではなく風景を沢山描いたのではないかと考えています。第2部では、このような背景も分かるように作品を選びました。

最後に――第3・4部は大阪外大時代の卒業生たちが写した戦後の中国、特に1980年代のいわゆる改革開放期の中国をどのようにとらえていたかをテーマにしており、なかでも第4部は深尾先生による黄土高原のフィールド調査を展示のメインに据えています。

光)

展示を拝見して、今回の企画展では資料解説が可能な限り削ぎ落されているな…という印象を受けたのですが、それは意図的なのでしょうか。

劉)

そうです、意図的にそのようにしました。それには2つの理由があります。1つは、できるだけたくさんの資料を見ていただきたかったからです。1つの作品に集中すると、その作品への観察や知見は深くなるけれど、全体のイメージがかえってわかりにくくなってしまいます。資料をたくさん出すことで、時代の流れや多様性や重層性を理解してほしかったのですね。それから、1つの分野ではなく、多ジャンルの資料からそれを感じていただきたかった。今回展示している資料は、地図や鳥瞰図、絵葉書、パンフレット、写真などと多岐にわたっています。普通の展示企画だったならばどれかに絞るでしょうけど、あえてその多様性、重層性を強調して、中国へのまなざしや認識というものは、何か1つのメディアによって構成、形成されたのではなく、むしろメディアミックスじゃないですけど、色んな媒体から成り立っていることを伝えたかった。本当は、文学作者や新聞記者たちの作品など文字資料を入れるともっと重層的に分かる、というのは絵も、文学作品も、ルポルタージュも、全て通底しているからです。今回は非文字資料を展示しましたが、ぜひ文学研究者にも見ていただきたいし、またいわゆるエリート層の、つまり今までずっと国の政策とかで中国を理解して自己の認識を築いてきた人たちにも、大衆のまなざしにはこれだけ重層性があるということを横断的にみていただきたい、そのように願っています。

光)

これまでのお話からは、「重層性」「横断的」な資料の見方ということがキーワードになっているかと思います。そのなかで特にこの資料を見ていただきたいというものがありましたらご紹介くださいますか。

劉)

地図と従軍画家による作品ですね。これはぜひともご覧いただきたいです。

光)

私も、とりわけ従軍画家による作品には目が釘付けになりました。では最後に、先生が本企画展でアピールしたいことや、これからご来場くださる方々にメッセージがあればお願いします。

劉)

いま、日中関係は非常に厳しい状況にあります。打開するために何が必要かというと、両国民一人一人の相手国に対する正しい理解だと思うんです。これは私が言ったことではなく、先人のとある研究者がおっしゃったんですが、戦前の日本の最大の失敗は、中国認識を間違えたことだと。これに私の解釈を加えるならば、日本側の文化背景でもって相手を理解しようとすると、それは中国からみれば、やはり非常に歪曲されてしまうということです。国家の成りたちや民族性、文化土壌、そういったことが全く異なる相手について、日本人の列島の中で形成された文化認識を基に理解しようとしても、それは実態とは全然違ってくるわけです。

中国は、歴史的にも民族的にも空間的にも非常に重層的で、多様性があり、さらには近代化の過程でも様々な紆余曲折を経てきました。こうした中国の事情を理解することも、大事なのではないかと思うんですよね。これは日中間のことに留まる話ではもちろんありませんが、まずは相手を正しく知ることが大切なのではないかと思います。そういう意味で、1つの歴史的な教訓としても、今回の企画展をご覧いただけたらなと考えています。大事なのは、なかなか難しいことなんだけれど、単に自分の立場に立って物事を見るのではなく、相手の立場にも立って見ることです。

光)

相手の立場に立ってみるという「まなざし」が理解へとつながるということですね。

劉)

そう、それです。そういう「まなざし」による理解が非常に重要な示唆を含んでいるのだと思います。歴史を振り返ると、日本は長きにわたる中国との関わりの中で、時に中国認識を誤り、またそれがもとで悲劇に繋がったという経験があります。断っておきたいのは、私は、中国を賛美するのがいいということを申し上げているわけでは決してありません。正しい理解とは何かということを、今一度考える必要があるということなのです。私は日文研で20数年、アジアの中の日本というテーマをずっと追求してきました。それは、つまり日本単一じゃない、一国中心でなく、常に我々の学問をアジアや世界に解き放ち、その中でもう一度捉え直す、それが日本への真の理解に繋がると考えてきたからです。

そのなかで、私は相互認識への整理と検証というものが、過去の、そしてこれからの日本や中国の在り方を考える上で非常に重要な作業だと理解しています。繰り返しになりますが、その中国認識というのは、偉い人が何を言ったとか、著作のなかでどういう主張が多くみられるとか、そういったエリート層の話ではなく、むしろ一般庶民がどういう中国認識を持っていたかという視点が大事だと思うんですよね。画像資料は大衆文化の一環であり、誰でも見たり手にしたりするものです。画像資料を通して、当時の庶民の中国認識を確認、検証できたらいいと思って本展を企画しました。ぜひそれらの資料を間近で見ていただけたらと強く願っています。

光)

本日はお話をうかがわせていただき、本当にありがとうございました。



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企画展「CHINA GRAPHY―日本のまなざしに映った中国―」は2021年1月30日(土)まで開催していますので、みなさまぜひこの機会にご観覧ください!!
https://www.nichibun.ac.jp/ja/topics/announcements/2020/10/22/s001/

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