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日文研の話題

[人コミュ通信 vol.5] 疫病と日本人――江戸の知が伝えること――

2020.04.03
新型コロナウイルス感染症の影響が日本国内でも多方面に出ている昨今、日本に生きる現代の私たちへ歴史資料だからこそ語ってくれるメッセージがあるのではないか――。そう考え、日欧交流史を専門とし医学史にも造詣が深いクレインス教授()に、近世・近代日本の音楽療法を専門とする人文知コミュニケーターの光平()がインタビューしてきました。


光)

宜しくお願いします。クレインス先生は今の状況、どのように見られていますか?

ク)

今回のコロナウイルス感染症の広まりについて、日本当局は感染を最小限に抑えるために、専門家の見解を踏まえてクラスター対策の抜本的な強化を行いましたよね。そして、感染者の急増に備え、重症感染者への医療に重点を置く医療提供体制の整備に全力を挙げて取り組みました。また、感染を完全に防ぐことは不可能だと認識して、ウイルスとの共存を前提に重症者の医療に重点を置きましたよね。これは非常に現実的な対応だったと考えています。


光)

なるほど。感染が拡大しないように、「3つの密」の回避も呼びかけられていますね。

ク)

そうですね。それから、早い段階でとられた対策のひとつに学校の休校要請がありました。これは集団感染を防ぐためのものでしたが、休校になってから面白い現象が起こりました。それは、子どもたちがこぞって外で遊ぶようになったことです。意識的か無意識的なのか、彼らは日光に当たり免疫を高めていました。


光)

確かに、日光に当たると免疫が高まるといいますね。

ク)

また、政府や地方自治体は感染を広げるようなイベントの開催についても可能な限り自粛するよう要請しました。これにより、可能な範囲内で感染を最小限に抑えてきたとわたしは捉えています。各種イベントも軒並み中止になって、外食も控えられ、その結果、時間的なゆとりが少しばかりでてきた人びとは、公園など屋外に出るようになった。少し前ですが、私の家の近くの河川敷では、多くの人々がそれぞれ思い思いに楽しんでいました。久しぶりに春の太陽を漫喫している多くの日本人の姿を目の当たりにしましたよ。そのとき、ふと幕末の「ええじゃないか」運動を思い出したんです。


光)

なるほど、「ええじゃないか」。慶応3年(1867)頃、主に江戸以西の各地で起こった大衆騒動ですね。民衆が囃子言葉の「ええじゃないか」などを連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊ったという。これは、当時先行きの見えなかった時勢に対し、「ええじゃないか」と唱えながら踊ることにより、精神的なストレスの発散やカタルシスを自然に行っていた――ある種、日本の音楽療法とも捉えることのできる現象ですよね。

ク)

そう。日本人は、このように知らず知らずのうちに楽しみながら外的な要因に対応してきました。また、楽しむことにより免疫を高めることで、ウィルスへの抵抗力をもつけてきたんです。これも危機に際してみられる個々の日本人の対応力ですよね。このように未曾有の危機に直面しても冷静さを保てるのは、日本人に特有な国民性のひとつであると感じます。言い換えれば、自然を完全にコントロールしようとする西洋人に対して、日本人は現実をありのままに受け入れる性質があるようにも思います。この点において西洋人の国民性と大きく異なっていますよね。


光)

それって、まさに病と共存するということにも繋がりますね。ふと、文久2年(1862)の麻疹流行時を中心に多く作成・出版された「はしか絵」を思い出しました。

ク)

「はしか絵」には、麻疹の予防や心得、麻疹にかかっても軽くするまじないとか、食べてよいもの悪いものや、日常生活の摂生、病後の養生法などについて書き添えてありますよね。そういった具合に、日本人はうまく疫病と共存する道を模索していたわけです。


光)

クレインス先生は、江戸時代に日本を訪れたオランダ人たちが残した文書なども、一次史料として使われていると思うんですが、同時代のオランダ人は日本で起きたこうした災害のようなことについて、何か書き残していますか?

ク)

江戸時代に日本を訪れたオランダ人は災害に遭遇すると、たびたびパニックに陥っていました。その際、日本人が死を恐れずに非常に冷静に対応していたという記述はオランダ人の日記に散見されます。災害に怯えるオランダ人を笑う日本人もいたといいます。笑うような態度は、オランダ人からの批判の対象にもなっていました。危機的な状況にもかかわらず、日本人がそれをまったく気にしていないようにオランダ人の目には映っていたんですよね。しかし、それは表面上そう見えるだけなんです。危機に遭遇しても、日本人はその状況の現実を受け入れて、我を失わずに被害を最小限に抑えるよう努力するんです。

今回の新型コロナウイルスの危機でもそのことが当てはまるのではないでしょうか。ほとんどの国民は、各当局が出しているガイドラインに沿って行動し、パニックに陥らず日常生活を全うしています。この現場における対応力こそ、古くから日本人が培ってきた精神性だと思います。


光)

なるほど、そうですね。クレインス先生、本日はありがとうございました。



〔2020年4月21日追記〕
新型コロナウイルスのその後の感染拡大という現況に鑑みて、クレインス教授から提言を含めた続報が届けられましたので、その要旨を追記します。

感染症の先例としては、1918年前後世界で大流行したスペイン風邪が直ちに想起されます(註1)。死因は新型コロナウイルス感染症と同様、主に肺炎や重症急性呼吸器症候群であり、感染拡大に伴い各国で医療崩壊が発生。日本では特に近畿地方で猛威を奮い、全国で50万人近くの死者が出ました。
合衆国ボストンでは、1200人の船乗りが集団感染し、病床不足のためテント利用の野外病院が設置されます。担当軍医は、換気が悪い船内環境こそ肺炎多発の原因と考え、治療に日光浴を積極的に導入。重症感染者の致死率が国全体では40%の一方、野外病院では13%に。日光浴による免疫力向上が、感染や重症化を防ぐ一因となったというのが医学史上の見解です。その後50年代まで結核治療等で用いられた野外治療法は、薬物療法の発達と軌を一にして衰退していきます。
前掲インタビューののち、日本政府は、感染者数急増を受け、外出自粛を国民に強く要請する施策への移行を決定。去る4月7日に緊急事態宣言を7都府県に、その後17日には対象地域を全国へと拡大します。外出自粛が必要なのは言を俟ちませんが、過度に閉じこもると免疫力向上に不可欠な日射時間の減少につながります。晴天時にはソーシャル・ディスタンスを保ちつつ、散歩などで屋外へ出て、免疫力向上に努めていただきたい。スペイン風邪流行時の先例を思い起こす、つまり歴史に学ぶという人文学のアプローチが、現下の感染症抑制にも適応できると考えています。

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註1
スペイン風邪については、元日文研教授の速水融先生も『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』〔2006〕というご著書のなかで、膨大な資料をもとに国内外におけるスペイン風邪の流行を多角的観点から考察しておられます。また、本著作はNichibunken Monograph Seriesの一冊として英訳されていますーー(The Influenza Pandemic in Japan, 1918–1920: The First World War between Humankind and a Virus)〔2015〕
  • 今回お話をうかがったクレインス教授今回お話をうかがったクレインス教授
  • 河鍋暁斎が描いた「ええじゃないか」の様子【所蔵:国立国会図書館】河鍋暁斎が描いた「ええじゃないか」の様子【所蔵:国立国会図書館】
  • 歌川芳幾が描いた「はしか絵」(『はしか養生草』)【所蔵:国際日本文化研究センター】歌川芳幾が描いた「はしか絵」(『はしか養生草』)【所蔵:国際日本文化研究センター】
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