(ヘビヨケノジュモン) 1940年 岩手県 蛇除けには「花淵善兵衛通りゃんせ」と唱えるという。花淵善兵衛という水澤藩士が、狩りに出た帰路に腹部の腫れ物に苦しむ蛇を助け、その礼に伝授された「蛇除けの呪符」は広く世人に分けられたという。
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ヘンジョウナンシ 1973年 東京都 文政年間に、神田和泉橋通りに住む善八が、旅の途中、前方から15、6歳ほどの娘が急いで来たが、その娘が目の前で気絶した。善八が介抱すると目を覚まし、誘拐されて逃げてきたという。善八が彼女を送り帰したところ、恩を忘れぬようにと善八の所持品を所望したので、浅草観世音の御影を与えた。善八が江戸に帰ると家の新婦が出産していたが、孫の手にはかの御影が握られていた。書状を出して尋ねると、先の娘はそれ以前に病死していたという。観音の慈悲によって男子に生まれた変わったのだろう。
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キツネツキ 1930年 北海道 寛政12年、小僧に妙善という日蓮宗の僧がとりついた。妙善は仏学に慢じ、天狐道に落ちた笹山直満という狐だという。昼は働き、夜は妙善がつく、という小僧は評判となった。
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ウマレカワリ 1944年 福井県 五兵衛という足りない男が松岡の殿様に生まれ変わった。背中にはっきり「丑ケ谷 五兵衛」と書いてあった。五兵衛の家はどんな家かと思ってか、後に殿様の家老が見にきたことがある。
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ネコ 1931年 福島県 穴沢善右衛門が小屋に泊ったとき、姥に化けた巨猫がやってきたが、正体を見破りこれを斬った。次の日、善右衛門の妻が噛み裂かれて木にかけられていた。そばにいた樵夫がいたが、それは斬った猫の夫で、復讐のために善右衛門の妻を殺したのだとい、善右衛門の妻の死骸を咥えて去っていた。善右衛門は郎党を引き連れて山狩りを行い、洞穴の中で怪猫を見つけてこれを殺したといわれている。
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タロベエキツネ,キツネ 1929年 島根県 悪戯をする太郎兵衛狐がいた。あるとき和尚が林の中にある太郎兵衛の家に行き、和尚の持つ寶頭巾と、太郎兵衛の変化自在の「玉」を交換しないかと持ちかけた。寶頭巾で何にでも化けられると思った太郎兵衛は、その話に乗った。しかし、「玉」を奪われ頭巾も効力がないと知り、無念の日々を送るようになった。
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キツネ 1922年 茨城県 治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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テング 1982年 群馬県 力五郎兵衛とまで言われた力持ちの五郎兵衛は、天狗と相撲をとって負けた。
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ザシキワラシ 1974年 岩手県 佐々木喜善が破産して仙台に移る前、この家からザシキワラシが抜け出して隣のはねと(家号)という家に入りこんだ。喜善では田畑山林を売り、蔵まで売ることになった。
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(ゾクシン) 1982年 新潟県 蝮に咬まれたときの呪的療法。蝮の頭を咬めば負けない。蝮を捕まえてその汁をつければ負けない、など。
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ジロベエサマ 1977年 静岡県 次郎兵衛という者が名主たちの悪事を書いた書付を見たため首を斬られることになった。当日、親しい家の前で次郎兵衛が「首を斬られに行くよ」と言ったが、家人は気の毒で顔が見られず、家から出なかった。それから、その家には障りがあるという。
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リュウグウノヒメ,ロクベエイワ 1993年 岩手県 六兵衛という美男がお伊勢参りに出かけ、渡し舟から落としてしまった笠がきりもみして水に引き込まれた。お伊勢参りから帰ると病にかかり、危篤になった。その夜、重病の六兵衛がガバッと起きて小さな穴のある岩に入ってしまい、六兵衛岩になった。竜宮の姫が気に入って、自分の元に呼んだのだった。
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フナダマ 1937年 福井県 若狭日向では舟玉は十六善神であるといわれている。これを売りにくる寺谷の法心寺の坊さんはトシバケツと呼ばれている。十六善神はお札で、船のトモか寝る場所に貼り付けておく。
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ネズミニコロサレタハナシ 1956年 宮城県 享保の頃(1716~1736),仙台城下での話。享保5(1720)年4月新妻胤信より採集。伊藤氏の家来の六兵衛が鼠の妖災によって病に臥し,危篤になった。ある夜亥の刻頃,伊藤氏の義兄新妻胤信が様子を見に行くと,六兵衛は毎夜安眠できずすっかり疲労していると嘆いた。胤信が慰めていると,何処からともなく大小の鼠が6,70匹ばかり現れ,寝床の辺を這い回る。六兵衛がいくら追い払っても効果がなく,家人が来てようやく追い払った。六兵衛の話では,毎夜このような状態で医師も祈祷も効かず殆ど寝られないという事であった。間もなくして六兵衛は死んでしまった。鼠の祟りか何か,その辺の事情は不明である。
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オニ 1936年 岩手県 善平という男が牛2匹で鰯を運んでいると鬼に出会う。鬼が隠れているところに湯を注ぐと、鬼はそれを鼠の小便だと勘違いする。最後に善平は鬼の栗を取って長者になる。
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タヌキ 1996年 香川県 中山の和兵衛さんが菓子を背負って玉越村へおろしに来た。すると狸に化かされ、東の峰へ登らずに南の方へ登っていった。和兵衛さんが大声をあげたら、村の若い衆がかけつけてくれた。和兵衛さんは足を血まみれにして座り、菓子は食べられていた。
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ダイジャ 1956年 宮城県 館崎は、花渕岬の城跡で、留守氏の臣花渕紀伊が住んでいた。紀伊があるとき助けた傷ついた大蛇が、報恩のため女に化け、使っても尽きない光絹と昆布苗を贈る。菖蒲田の北の諏訪明神は紀伊が大蛇を祀った所という。子孫がのちに水沢に移り、蝮の咬傷に効くという蛇除護符を伝える。また、「一女子、女陰に蛇入り花渕氏に到るに、門を入れば蛇忽ち走り出づ」とある。
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ゼンカクイナリ 1983年 岡山県 かつてチフスが流行したときに善覚稲荷を勧請した。
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キツネ 1943年 山梨県 善右衛門が毎日町に炭を売りに行く。帰り道に狐が出、孫への土産をいつも食べてしまうので、ある夜孫に化けた狐を騙して連れ帰り、釜茹でにするぞと脅したところ正体を現して謝罪するので放してやった。翌朝、狐が「あな恐しやの善ねんぼう」どなっていた。
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カミキリ 1982年 東京都 本所緑町に住む善兵衛が下女・はなが、雪隠にいったところ、そのなかで俄にめまいを起こし、倒れかかった。そして外にたち出たら、はなの髪の毛が曲げ際の根元から切り下ろされていたという。
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フクロウ 1974年 京都府 京のかまや下立売下る町に、丹後屋佐兵衛という絹屋がいた。訳あって絹屋仲間から憎まれていたが、丹後屋に絹を織らせないとの内談を聞いたので、佐兵衛は丹後に人を遣わして絹糸を買い占めてしまった。その頃佐兵衛が所持していた機織器に鴟がとまっていた。すると翌日一機の糸が何故か切れていた。佐兵衛は犯人を捜したが見つからず、それから毎日切れ続けた。そこで色々と加持祈祷を頼んだが、愛宕山に祈願することでその災難は起きなくなった。
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