国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

オツゲ
1973年 愛知県
篠島西方寺でみつかった「善光寺如来略縁起」によると、山本某が如来の御かげで病気の治癒後、剃髪して尊像を背負い諸国行脚で伊勢神宮に参拝した。其の夜「我は当国篠島へ至りて海士魚人を済度せん速やかに有縁の地に誘うべし」とお告げがあり尊像をこの寺に安置すると幾多の霊験を現じ給うた。

類似事例(機械学習検索)

オウゴンノソンゾウ
1973年 愛知県
篠島西方寺改修の際にみつかった「善光寺如来略縁起」によると、武田信玄公の家臣山本某が難病にかかった際、信玄公が黄金でつくらせた三体の尊像を祈念すると全快した。
類似事例

ゼンコウジニョライ
1973年 愛知県
篠島西方寺改修の際にみつかった「善光寺如来略縁起」によると、享楽元年武田信玄公が善光寺如来を拝せられたところ、両眼をわずらい、このため大いに嘆き七日七夜祈念して満願を果たして快癒した。
類似事例

ニョライノタタリ
1975年 京都府
慶長元年、京都大仏方広寺の仏像が大地震で壊れた。その後信州善光寺から如来を請じてこの殿の本尊とした。この時、残暑が厳しかったが、にわかに飛雪が天に満ち、寒気が人を侵した。これは如来の祟りであるという。秀吉は8月18日に死ぬが、その前日に如来を善光寺に返した。
類似事例

ゼンコウジニョライノショ
1974年 奈良県
法隆寺の霊宝の一つに信州善光寺如来の御書がある。これは勅使が善光寺に行って通夜をしていた時、内陣から如来の仏勅があり、それを勅使が書き留めたものだという。
類似事例

(イケカラシュツゲンシタホトケ)
1976年 大阪府
東成郡天王寺村の五条の神社の前にある毘沙門池は、この池の中から尊像が出現したことからその名がつけられた。その尊像は、池から西の方にある竜泉寺に安置されている。
類似事例

ジゾウボサツ
1974年 東京都
深川の地蔵坊正元は16歳で剃髪受戒したが、25歳に病気で死にかけた。その時正元は地蔵ぼさつに祈願して、父母よりも先に死ぬ事がなければ、生涯菩薩の利益を勧め、尊像を造り、衆生を帰依させると誓ったところ、その夜不思議の霊験によってたちまち平癒したという。
類似事例

フドウミョウオウ,ダイソウジョウ
1928年 千葉県
成田不動尊の不動明王は、弘法大師が自ら彫刻したものであった。平将門の反乱に怒った朱雀天皇は、大僧正に朝敵幸福の祈祷をするようにと命じた。僧正は尊像を持って下総に赴き、護摩をたいて調伏を祈り、将門は降伏した大僧正が帰洛しようとすると、尊像は重くて持ち上げられなくなったうえに、霊夢のお告げもあり、この地に留まった。
類似事例

(リンシタイケン)
1964年 滋賀県
臨終の際、ある人が、「如来さんの橋が折れたので行けない」と叫んだ。
類似事例

セイカンゼオンボサツ
1972年 愛知県
慶長年の頃一人の賊が奥之院本堂から尊像を盗み取り、逃走して久村浜から船で運び出そうとしたのだが、不思議にもその船は少しも動かず大地に釘付けされたようである。ふとその時賊の心に閃いた霊感があり、元の奥の院に尊像をかえし、ついに発心し出家した。
類似事例

(ミガワリジゾウ)
1976年 大阪府
安堂町壱丁目の油洒地蔵尊に祈願する者は、油を注ぐ。その由縁は、尊像を信仰していた娼妓が主に折檻され、体に沸かした油を注がれたところ、尊像が身代わりとなって娼妓の命を救ったことによるという。
類似事例

フドウミョウオウゾウ,ニョライ,ユメ
1932年 東京都
荘厳寺の不動明王像は、将門討伐の際に藤原秀郷が勝利を祈誓し、霊験を示した霊像である。幾多の戦乱を経て様々な武将に奪われ、遂には武蔵国多摩郡の三光院に移されたが、ある夜住職の夢に如来が現れ、霊像を荘厳寺に返すようお告げがあった。調べるとその通りだったので、盛大な法会を営んで返した。
類似事例

レイム
1967年 福島県
小手五岳の1つ、女神山に信夫城主左藤庄司の娘が薬師の尊像を背負い登ったところ、糠田村の村民18軒が一同に霊夢を蒙り、互いに奇異の思いをなしてこの峰に上ったところ霊夢に見たように女が薬師尊像を仮堂をいとなんでいた。その後この地に薬師堂を建立した。
類似事例

カンノンサマ
1973年 富山県
魚津市経田の後藤某の網に仏像がかかった。家の仏壇に安置すると、其の晩「われを小川寺に安置せよ」とのお告げがあったので、翌日小川寺に移した。
類似事例

アジャリイケ
2005年 長野県
建久9(1198)年正月18日,皇円阿闍梨が弥勒菩薩の来迎を待つため龍神となって善光寺如来堂に来た。混同を7度巡り,傍らにあった沼(阿闍梨池)に入った。この沼は今は小さくなっているが,毎年如来印文の行事の後3日から17日の間,必ず満水になる。これは,この池の水が遠州の桜ヶ池に通じていて,皇円阿闍梨がはるばる善光寺に参詣した証拠であるという。
類似事例

リュウ,アオヤギノモクタ
1932年 新潟県
天正16年、徳川幕府の命を受け幡随意院上人が九州の切支丹退治をなす諸国行脚のついでに善導寺にたちより、百日説法をした。そのとき青柳の竜神が御殿女中の姿で参詣していた。満願の日、竜神が上人に「妻は上州館林のつつじが池に住んでいて、あなたの済度を受け得脱した。自分も済度してもらいたい」と願って言う。そこで上人は済度してやった。この龍を町の人は「青柳の杢太」と呼んだ。
類似事例

ヒカリモノ,ミダ
1974年 滋賀県
親鸞聖人が近江国を行脚している時、湖水に光物が現れて、漁師が困っていたのを聞き、舟に乗って一心に称名して、光が出るところを袈裟ですくったところ、弥陀の尊像が舟に飛びのったという。
類似事例

キフネミョウジン,ハクバ
1983年 京都府
山城国鞍馬寺は、藤原の伊勢人が建立した。この人物は普段から観音を信仰し、観音を安置する場所を探していた。するとある夜の夢に白髪の老人が現れて、自分は貴船明神であり、かの地に安置せよと告げる。そこで伊勢人は白馬に鞍を乗せ、この馬が留まる所に建立しようとする。そして留まった場所は夢に見た所と同じで、近くにあった毘沙門天像を安置したのが鞍馬寺の始まりだという。
類似事例

ジゾウ
1982年 京都府
享保15年7月、両替町通竹屋町上る町西方町の家の主人の夢にある人が現れ、我は土蔵の内にいるので早く出せと言った。翌日主人が土蔵を見たところ特に何も無いので、地面を2尺程掘ったら石仏の地蔵像が出てきた。背中を見ると弘法大師作、西方寺とあった。西方寺は新地に移っていたが、昔はこの地にあったことがこの為に判明した。石像は安置して当年より地蔵祭を始めた。
類似事例

コクウゾウソンゾウ
1967年 福島県
虚空蔵堂の尊像は、昔ある僧都が虚空蔵求聞持法を修しようと百日参篭し、5月頃明星が東天に出る時、前川で閼伽水を汲んだら光炎が輝き明星が天堂の内に来影し忽ち虚空蔵尊像として現れたものだという。
類似事例

レイケン
1975年 東京都
武蔵国多摩郡芝崎村鎮守八幡宮の本地仏は弘法大師御作で霊験あらたかである。昔火事で堂守が消失した時尊像がどこかへ飛んでいった。宝永の頃堂を再建すると境内の松の根元が輝いているので掘るとそこから現れた。盗まれた時もある日突然帰ってきた。
類似事例

ダイボダイジュ,ユメ
1956年 宮城県
出羽寒河江の慈雲寺の覚明阿闍梨が京都の仏師安阿弥快慶に頼んで笈分如来を作ってもらった。その笈分如来の夢の告げにより、泉ヶ岳のふもと、金畑に菩提樹を植えた。のち、南の川崎に移るが、ここにも植えつぎの同じ木がある。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内