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検索対象事例

(ゾクシン),ビシャモンサマ
1936年 京都府
平屋村では他人にむやみに反対する者には、毘沙門様が罰を与えるという。

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(ゾクシン),オニ
1936年 京都府
平屋村では節分の夜に便所に行くと、鬼に尻を撫でられるという。
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(ゾクシン),シンバツ
1936年 京都府
平屋村では蚯蚓に小便をすると神罰があたる。
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(ゾクシン),シンバツ
1936年 京都府
平屋村では敷居を踏んだり、女子が綱や肥柄杓をまたぐと、神罰を受ける。
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アマノジャク
1993年 岩手県 
毘沙門さまが一晩で橋を掛けようとしていたが、あまのじゃくが一番鶏の真似をして鳴いたので果たせなかった。そこで毘沙門さまは怒ってあまのじゃくを踏みつけにしている。
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(ゾクシン)
1942年 不明
櫛を投げて、それを取った者は、血縁者でも他人に変わると信じられていた。
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(ゾクシン)
1974年 宮城県
毘沙門様に関する俗信。毘沙門様は欲深な神さまなので、金を借りたら倍にして返さなければならないという。また、作神様であり、1月13日の朝にためしというものをする。豆を20粒ほどを炉に入れ、全部黒くなると豊作であり、半分黒くなると半作だという。6月15日にキュウリを供えると、豊作になるという。
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オヤ,シ,(ゾクシン)
1915年 栃木県
他人に胸を叩かれると親が死ぬといわれている。
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ビシャモンサン
1988年 宮城県
貧乏寺に来て難儀ばかりして気違いになった時毘沙門さんに憑かれた。
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(オヤノシ),(ゾクシン)
1915年 栃木県
他人に胸をたたかれると親が死ぬといわれている。
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アラマチノビシャモン
1956年 宮城県
栗野大膳の北目城が常に黒雲に覆われて攻めにくいのは、城の守護神毘沙門のためだというので、伊達政宗は「今より立派なお堂を建てて奉斎するからお力を貸してほしい」と願をかけたら、雲が晴れて城を落とせた。約束通り仙台に移すとき、敵味方どっちの願いも叶える毘沙門ではあてにならぬと、荒町で捨ててしまった。近所の子供がかついで遊ぶのを見つけ、大人たちが堂を建て、梵鐘を奉納したが重くて吊るせない。子供たちの知恵で鐘の下に板を差し込み高くして吊るすことができた。毘沙門はお礼に、子供達の「赤ん坊のお守をさせないで」との願いを聞き、それ以来荒町では子供に子守をさせない。祭には毘沙門の好きな子供角力を奉納する。
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ヤクシサマ
1990年 長野県
下金井のお薬師様は女性だといわれ、子供の神様であり、子供がどんなにいたずらしても罰が当たらないという。但し、大人がいたずらすると罰が当たった。いたずらをして泥だらけになって薬師様と遊んでいる子を叱った大人が病気になったという。
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(ゾクシン)
1984年 新潟県
動物に関する禁忌。屋敷蛇は殺してはいけない。ムカデは毘沙門様のお使いだから殺してはいけない。ムカデは福神様でもある、など。
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(ゾクシン)
1976年 宮城県
食事中に便所に立つと、ゴク様の罰があたる。
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スイジンサマ・ミズガミサマ
1940年 山口県
長門の俗信。水が三合あれば水神様がいるので、水中に小便をすると罰が当たるという。
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(マジナイ)
1957年 山梨県
疣ができたときは、他人の手にうつすと治る。
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ヤマノカミ,テング
1963年 群馬県
三叉になっている木は、山の神が遊んだり天狗様が腰掛けたりする木である。だから伐ったりすると罰があたる。
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トキビ,ホトケサマノトシトリ,カラス
1995年 新潟県
新潟県では一月十六日に精進料理を作り、一人分を烏に与える。もしこれを食べないと、不幸があるという。反対に食べれば今年の作が良いという。
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イチジャマ
1996年 沖縄県
イチジャマは、他人に凶事を引き起こす力があるとされた。そのためにこの系統の者との婚姻は忌まれた。
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(コウジンサマノソナエモノ)
1940年 長崎県
荒神様に供えた物は、何であろうとも、女性には与えない。多くの子を持つからだという。
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コウデンニカンスルゾクシン
1939年 千葉県
間違って他人に自分の田を耕されると、人が死ぬといわれ、非常に嫌がられるという。
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ウシノコクマイリ
1984年 新潟県
丑の刻参りには、お宮の杉に5寸釘でわら人形を打ち込む。「お宮の杉にはのろいがかかっているからやたらに伐るものでない」といわれた。人形を川に流したり土に埋めるものもある。こういった方法で他人からのろわれなくても、神様が罰をあててくれることもある。
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