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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カワノカミノタタリ
1980年 熊本県
肥後国の城下に平川円蔵という者がいた。ある時彼が神社の神木を、迷信だとして切り倒したところ、女房に神木に住んでいた球磨川の神が憑依し、様々な奇怪を現したという。

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キョボクノセイ,マショウ
1935年 大分県
孝徳天皇の白雉年間に草壁春里という長者がいた。広大な邸宅でこの世の浄土のような生活をしていた。長者は権勢に任せて串川の上流にある千条の枝を持つ栢の霊木を切り倒した。その巨木の霊に祟られたのか、一家ことごとく魔性のためとられていった。筑後の国草野の庄に草野太郎衛門という弓の名人がいて、狩の道すがら残された長者の末娘、玉姫に会い、事の仔細を聞いて妖怪退治の決心をした。魔性に1矢を放つと雷鳴とともに空はかき曇り大豪雨になって小川は忽ち氾濫した。
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カモコノスイジンノタタリ
1984年 新潟県
昔、加茂村に武右衛門という者がおり、物好きで新奇なことを好んで、新田作りなどをした。ある年のことムラの者と連れ立ち、相川からの帰り道すがら長江川の近くまで来ると、釜屋村に住むという見なれぬ女と道連れとなる。武右衛門はやがてその女に手を引かれて水の上を浮かれたような調子で歩き続けてやがて見えなくなる。翌朝、湖水をくまなくさがしてみると、死体が現れてきたので、村人たちは加茂湖の水神の祟りであろうとおそれおののいた。
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ジュンレイムスメ,ヘビ
1961年 山梨県
昔、釜無側の下流の浅原村に3人暮らしの親子がいた。ある年の夏に、1人の巡礼娘が雨宿りを乞い、そのまま逗留した。息子の浅吉とその娘は夫婦となるが、2、3年過ぎたある夜、妻が行燈で障子にうつるが、それは人間の女の姿ではなかった。1家は怖くなり、暇をやると、嫁も承諾し、暴風雨の日に釜の蓋を貰い受けて、釜無川の濁流の中に投げ入れ、その上にとび乗り、蛇身と変じて姿を消してしまった。すると俄かに洪水は引いて水害は免れ、その後も水害は起こらなかった。沿岸の人たちは恐れをなしてしばらく釜を使わなかったので釜無川という。
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(シャボク),シンレイ
1981年
肥後の野原八幡の社木が大風ですべて倒れたのだが、一夜の間に震動して、倒れた木がみな起きたという。それは不思議なことではなく、神霊がその木を起こさなければならない理由があったのだろうと考えられた。
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ゲドウグモ,オンナヤマンボウ
1981年 愛知県
尾州但馬郷幡豆崎(現師崎)のある漁師が容姿端麗で気立てのよい娘を嫁にもらったが、実はその嫁は頭の口から三升余りのおにぎりを投げ入れあっという間にたいらげる女山ン坊だった。驚いた男が別れを切りだすとその嫁に風呂桶ごと縛り付けられ、命からがら連れ去られる所危うくスキを見て逃げ出した。その後怪物女は化道蜘蛛に化けて男の家に襲いに来たが、待ち伏せた村人に火と棒で殺された。
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ヒノウ,メン
1929年 長野県
神原村にあるいくつかの面のひとつに「ひのう」という神が彫られている。恐ろしいので神意に触れないようにしていたが、百年前に禰宜が面に顔を当てると、日本国中が一望できた。驚いた禰宜が家に帰ると、馬と婆さんが狂い、女房は子供を殺して死んでいた。禰宜もその後死んだ。その後、この屋敷に住むものには狂う人が多いといわれている。
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キツネ
1978年 山梨県
山に薪取りに行った男が、馬頭観音の前で転んだ拍子に狐が憑いておかしくなった。着物の裾を狐の尻尾にしたり、囲炉裏の炭で顔に落書きしたり、何も食べずに夜な夜な座敷を飛び回ったりした。拝んでもらうと狐は離れた。女狐で、自分の子どもが心配になったから出て行ったのだという。
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ツルギ
1976年 熊本県
肥後の国で山の木を切って中を見たら、一振りの剣が出てきた。これを祝って社を建てた。
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キツネ
1955年 岡山県
ある家に後妻に来た女が狐憑きになった。話してもいないことを知っていて全く不思議だった。後に杵築に連れていって拝んでもらったら落ちたという。
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カイブツ
1937年 京都府
約800年前、大雨の夜に八坂神社で頭に太い針を束ねたような形相の怪物が現われ、平忠盛りのお供の武士を恐れさせたが、よく見ると麦稈を束ねて頭に被った神主であった。
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モッコク,ハクバ
1963年 愛媛県
肥島の荒神様の境内に大きなモッコクの木があり、手をつけると神のたたりがあると信じられていた。ある時、ある人が境内を無断で開墾し、モッコクも切り倒してしまった。翌夜、1人で船に乗っていたところ、白馬が海岸に現れて上陸させなかった。それ以来、1人では夜間島に上陸できないという。
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カミノタタリ
1944年 宮崎県
神はカゼやクサという病気を憑けることがある。カゼは谷の口のような所を流れている山の神の気にふれたときにかかるものである。クサは草についている悪霊による災いだという。このかかる神を押さえるのが各家の屋敷内に祀る神である。この神は肥後から落ちてきた時、背負ってきたきたものだといわれている。
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タタリ
1935年 三重県
弘化2年、弁天島と呼ばれる島の近くを舟で過ぎていた庄屋の兼次郎は、一條の水柱が立っているのを見て、島に近づいてみると何かの頭が見えたという。その三日後に弁天島に渡った親子の木こりが谷に落ちて死んだ。これは神の祟りと考えられた。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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ウツクシイオンナ,ユメマクラ,イトナガドノ
1947年 鹿児島県
昔、金持ちの男が良い妻が欲しいと神に願を立てたら夢に女が現れ長い糸を付けた針を置いていった。目覚めてもその針はあった。播磨の糸長殿を訪ねよという事だと考えそこに行き、風呂焚きとして雇われた。やがてその家の娘と結婚した。
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アクリョウ
1977年 東京都
忍ばずの池の端に住む山名勘十郎の母は生首を見ないと食事が進まず、いつも死骸を側に置いていた。この母がある時乗り物を担がせ乗り込み、山王の西の池辺に降ろさせて下人を帰させた。下人が戻ってみると女はいなかったので家に帰ると、彼女は馬で帰ってきてそのまま忍ばずの池に入った。馬の持ち主がいうには、山王の西の池から女が出て来て馬に乗り、池の主になろうとしたが先に鯉がいてだめだったといった。その後怪異が起きたので、勧学院の了翁僧都が悪霊を鎮めるために島をつくり、弁財天を安置した。鐘楼が地震で倒れて鐘は沈んだ。この霊が鐘を取ったと言われた。一切経を島に安置すると怪しいことも絶えた。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
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エビス
1974年 徳島県
阿州和食に古くからあった恵美酒神の祠を、築城を理由に他所へ移築したが、一国一城の定めによってその城は破却されて、阿州殿の家臣山田織部の領地となった。すると山田の家来だった岡作兵衛の下人に恵美酒神が憑き、以前は城主のためだから移築を許したが、その必要がなくなった今は元に戻せと言った。怒った作兵衛は下人をなぐったところ、下人は自分の言葉を疑うならば、三日の内に竹林が枯らすといい、実際枯れたので元に戻したという。
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ヘビ,ダイジャ,ウロコヅカ
1939年 京都府
ある農家の娘が池に飛び込んで蛇に変わった。数日後、木戸源治という男が蛇に呑まれそうになって蛇を撃つと、池は真赤に染まり、大蛇の死体が浮かんだ。逃げる途中で男は3枚の鱗を拾い、屋敷に埋めて塚を立てたが、何かと祟りがあった。
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