ユウレイ 1973年 ある時太閤が数奇屋に入って炭を用意していると千利休の幽霊が現れ炉の近くに座った。その眼から光をはなち、息をつくごとに焔を吐いていた。太閤が幽霊に向かって無礼者と一括して白眼視すると幽霊の姿は消えた。
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カヤ 1937年 京都府 昔、秀吉が伏見城で病にかかり。回復の見込みがなかったとき、保津村のある家の庭先の榧で抜風呂を作って入浴すれば治るというので準備をしていたが、間に合わずに秀吉は亡くなった。
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(ヒデヨシノイン),リュウシン 1974年 静岡県 むかしから遠江洋に武具や馬具を乗せていく船は必ず壊れてしまうという。天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、同じように逆風が吹いて船が転覆しそうになったが、秀吉が竜神に宛てた書を海中に入れるとしばらくして波が穏やかになったという。
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キツネツキ 1954年 岡山県 宇喜多秀家の妻に狐がついたという。宇喜多秀家の妻は秀吉の養女であったこともあり、秀吉は朱印状をもって伏見稲荷に秀家の妻の狐を早く退去させよ、さもなければ当社を破却するだけではなく狐を皆殺しにする、と命令を下したという。
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エンシュウナナフシギ 1983年 静岡県 遠州七不思議のひとつに片葉の葦の話がある。秀吉が毎朝釜の切れ味を試したので片葉になったのだという。
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(ニチリンジュタイ),ユメ 1973年 母親が、日輪が懐に入る夢を見て懐胎したので、豊臣秀吉の童名は日吉丸であったなどというのは、天子の御種を宿したことをさしているのだろう。
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レイカウ,オトコヤマハチマン 1978年 秀吉在世の頃家康が男山八幡宮に参詣して祈願した夜に霊夢を見た。僧に判じさせたところ徳川家の行く末を示していた。
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カミカクシ 1978年 山梨県 女の人が行方不明になり、大勢で探したら岩の上に座っていた。3日間座っていたという。その間のことは何も覚えておらず、神様に連れて行かれたのだといわれた。
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ユウレイ 1974年 ある人の召使の小姓が、さしたる科もないのに処刑された。以来その家に小姓の霊が現れ、多くの人に目撃された。嫡子が病にかかり、仏神を祈る験で病は治ったが、幽霊は出続けた。3年後その家は断絶したが、小姓の霊が原因であろう。
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キシタケナガレ,キシタケトウノオンリョウ 1999年 佐賀県 呼子には豊臣秀吉に滅ぼされた、岸嶽一党の墓が点在している。これを岸嶽流れと呼び、その怨霊が人に憑くと信じられている。
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キツネ 1979年 岐阜県 ある人が山から帰らず、迎えに行くと座っていた。連れがいたから山にいたのだと答えた。狐の仕業。
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ヘビ 1956年 福島県 豊臣秀吉が蛇に追いかけられた時、菖蒲の藪に隠れて助かった。蛇は菖蒲に潜れない。これから5月5日には菖蒲を軒に挿す。
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ミシラヌコショウ 1937年 大阪府 夜中、便所に立つと、その先を見知らぬ小姓が案内する。用を足し終えると、小姓はどこかへ去っていく。
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メイドウ 1975年 和歌山県 太閤秀吉が高野山に観世太夫を連れてゆき、笛を吹く事が禁じられているのに笛を吹かせたら、晴天が急に曇り、大風、大雨、雷が鳴り、山谷が鳴動した。
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ダイジャ 1982年 滋賀県 松の丸太のようなところに腰掛けて煙草を吸っていたが、お尻がむずむずする。見ると大蛇の上に座っていたのだった。大蛇を見に行く人がいたが見られなかった。
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レイコク,エト 1978年 秀吉が在世中、家康が男山八幡宮に参詣し祈願したところ、その夜霊夢を見た。僧にその内容を判じさせたところ、六代目に移るのが容易でないといわれた。確かに綱吉の時に天下が乱れた。
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ケンムン 1996年 鹿児島県 中腰で座っていることをケンムンイル、もしくはタッチャイという。座っている膝に隠れて頭が見えないのがケンムンの特徴である。
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ボウレイ 1933年 鳥取県 昔々、秀吉の時代にあった大富豪があった。家の主人が金銀大判小判を埋めに行ったとき、それを負っていった下男を口封じに殺し、供養のために墓を建てた。その墓から下男の亡霊が現われることがあり、幽霊墓と呼ばれた。
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イタチ 1985年 新潟県 ある人が山に行き帰らない。迎えに行くと草むらに座っていた。イタチが頬かむりをして踊ったり芸をしたりするのを見ていたと言った。
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(カミカクシ) 1980年 青森県 小さな子供がいなくなり、夜になっても帰らなかったが、山の畑のクレにきょとんと座っていた。
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(リュウグウヘノテガミ) 1976年 秀吉が小田原征伐の時、馬を乗せた船を送ろうとしたが、遠州灘の内駒がたという所は、馬具さえ積んで渡ることができなかったため、竜宮殿に手紙をしたためて送ったら、無事に渡ることができた。
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