コウボウダイシ 1980年 岐阜県 弘法様が喉が渇いたので水をくれと言った。土地の人が「この水は飲めない」と言ったので、弘法大師は水を止めていった。それ以来水が出なくなり、水無という地名になった。
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ヤマンバ 1999年 静岡県 とてもきれいな水があった。山姥がその水を飲みに来たという。
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イド,コウボウサマ 1929年 岩手県 上飯岡にあるヨーカハゞという部落に、弘法様が来て水が欲しいと言った。しかし女が断ったので、以来水が出なくなった。井戸の水は飲めないような水なので、澤の水を飲んでいる。
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カミナリ 1975年 山形県 智憲院が月山に登り、雷岩のそばを通りながら「雷を神に祀るなんてばかばかしい」といったら、急に雲が出て大粒の雨が振りだし、雷鳴がとどろいた。智憲院は月山行きをあきらめ下山したが、雷は彼を追うように鳴り響いた。智憲院は呪文を唱えながらようやく寺に辿りついた。
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コウボウダイシサマ 1984年 山梨県 弘法大師様が水を求めたので、井戸のない家のおばあさんは遠いところまで行って水を汲んできた。そのお礼に、一生水に不自由しないようにと弘法大師が杖をついたら、そこから水が湧いてきた。一方、水はないといった家は水が出なくなった。だから人には親切にしなければならない。
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テング 1988年 長野県 道に天狗が出る。
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コウボウサマ 1983年 東京都 弘法様が水をもらいに行ったが「水はない」と断られた。「カラサクかな」と言って弘法様が杖でつくと、水がなくなって、ずっと下の方へわくようになった。
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コウボウダイシサマ 1983年 山梨県 弘法大師様がつょ(杖)をついたらとたんに水が湧いてきたので、弘法水という。
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〔コウチホウイン〕 1973年 広智法印はかつて高野山に登ろうと思って、ある土地に来た際に、飛瀑に紫雲が生じるのを見てここが浄土だと思って入定した。それから470年にわたって体はなんら損なわれることなく、いまもなお在るという。また、900年ほど前にも比叡山で伝教大師の弟子で広智という人がいたのは、この人のことだろう。
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キツネ,(ミチニデルヨウカイ) 1989年 長野県 道にキツネが出るという。
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キツネ,(ミチニデルヨウカイ) 1990年 長野県 道にはキツネが出るという。
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キツネ,(ミチニデルヨウカイ) 1989年 長野県 道にキツネが出るという。
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キツネ,(ミチニデルヨウカイ) 1990年 長野県 道にはキツネが出るという。
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キツネ,(ミチニデルヨウカイ) 1989年 長野県 道にキツネが出るという。
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ギョウジャ 1989年 山梨県 Aさんの家の方にイドバタという家があった。昔は水がなくてそこへ行者だかが来て喉が渇いたというのでその家の人が親切に水をあげた。そうしたら、一生飲める水を出してやるといって、杖でついたら水が出てきた。そこには、ずっと水が出ていた。タカギシというとその井戸の出るうちの上がタカギシという名字である。
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(ホウリキデカジヲケス) 1929年 青森県 或る日始覺山本覺寺五世貞博上人が、村人を呼び集め急いで山門に水を注ぎかけさせた。火事でもない所に何故水をまくのか村人はわからなくて上人に尋ねると、「只今京都の智恩院が大火である。せめて山門なりとも助けたいから皆に水をかけてもらったのじゃ」と述べた。後日智恩院から使僧がお礼にやってきた。
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キツネ 1988年 長野県 道にキツネが出る。
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チショウ 2002年 智証大師が唐から帰った後、日本でにわかに灑水を取り出し、戌亥の方角に向かって灑いだ。後に唐土に消息を尋ねる書状を贈ると、清涼山寺が火難にあったとき、日本の方から団水がきて火を消したと返事があった。これが智証の灑水である。
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(サワノミズ) 1990年 長野県 三河の老人が病気になったとき、「昔飲んだことのあるしげ沢の水が飲みたい」と息子に言った。息子ははるばるやって来て水を汲み帰ったが、最初の水は違った。もう一度詳しい場所を教えてもらって水を汲み帰ってその水を父親に飲ませたところ、病気はたちまち治った。
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アズキザックリ 1988年 長野県 道に小豆ざっくりが出る。
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ムジナ,(ミチニデルヨウカイ) 1990年 長野県 道にはムジナが出るという。
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