ダイジャ 1993年 岩手県 毘沙門山の杉林の沼に大蛇がいた。大蛇が昼寝をしているのを和尚が見てしまった。大蛇は二度と見ないよう言ったが、和尚はまた見てしまった。大蛇は怒って和尚を追いかけた。和尚は猿ヶ石川に沿って逃げ、大蛇も川を下って追いかけた。立花と言う所で「成島恋し」と言って振り返ったとたんに石になってしまった。大蛇も川の中で石になってしまった。それが坊主石と蛇石。
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ダイジャ 1943年 香川県 昔字黒羽に一匹の大蛇が住んでいて、田畑を荒らし、人々は心を悩ませていた。ある時、大蛇の前に女人が現れ、その大蛇をめがけて小刀を投げつけると、大蛇は死んだ。女人もかきけすように消えた。女人は毘沙門天の出現であったので、村の人々は塚をたてまつった。
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ダイジャ 1984年 福島県 口太山の夏無し沼の主の大蛇が度々暴風雨や山崩れを起こして田畑を駄目にするので、恵知之丞という若者の指導で沼の堤土手を壊して、沼を干すことになった。大蛇は風雨を起こして抵抗したが、やがて土手は壊れ沼は狭くなった。その日の夕刻に、恵知之丞の家に蛇の目傘をさした美女が来て「長々お世話になりました」と挨拶をし、消え去った。その夜、大蛇は黒雲に乗って夏無し沼から吾妻山の女沼に移ったという。
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ダイジャ,ガマ 1941年 朝鮮 平北宣川の街から3里くらいのところにある険しい山は、2つの頂がある。険山には大蛇が住んでいた。ある日、少年が大蝦蟇を連れて黍畑の番をして夜更けを待っていると、大蛇が現れ少年を一呑みにしようと襲いかかってきた。すると大蝦蟇が青い煙を噴いて蛇に応じた。大蛇は力尽き、大蝦蟇も夜明けとともに死んでしまった。その後大蛇と大蝦蟇の墓ができたが、洪水で流されてしまった。今でもその墓のあたりに夜行ってみると、蛇の青い目玉が光るという。
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ダイジャ,オンナ 1936年 香川県 田畑を荒らす大蛇の前に女が現われ、小刀を投げ付けて退治した。女は毘沙門天の化身であった。
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ダイジャ 1984年 山梨県 ある村人が白滝の渕へ大きな石を落とした。ところが翌朝、渕に行ってみると石が元通りの所にある。その話が村人に広がったあとに大水があった。その流れの中を提灯のような眼をした大蛇が流れていった。村の人は石の原因は渕にすむ大蛇のせいだと言い合った。
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ダイジャガオコシタオオミズ 1987年 長野県 ある日,二人の猟師が本沢にやってきた。岸の茂みに大蛇がおり,恐ろしくなった若い猟師は年上の猟師の制止にもかかわらず鉄砲で大蛇の頭を撃った。大蛇は死なず,淵に飛び込んで見えなくなった。覗き込んでみたが影も形もなく,やがて淵の中からもうもうと霧が立ち昇り,真っ黒な雲が空を覆った。その日から3日間大豪雨となり,近辺の村に大きな被害が出た。5日目になってようやく晴れた。村人の中に,蛇が流れ下っていくのを見たものがおり,きっと赤沼の池の主が池と一緒に流れ下ったものだと言い合った。
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ダイジャ 1961年 静岡県 昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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ダイジャ 1940年 福島県 娘が若者と恋に落ちたが、親たちに反対され、沼に身を投げて死んだ。2人の怨霊は大蛇になり、沼に潜むようになった。その後、大蛇がこの土地を泥海にしようとした。大蛇は秘曲を聞かせてくれた琵琶法師だけにそのことを告げた。琵琶法師は逃げようとしたが、大悲山薬師如来の諌めにより、殿様に知らせた。殿様は藩内の人を総動員して、大蛇を退治した。
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ダイジャ,ヤ,タケ 1930年 長崎県 龍が池という池には、昔為朝に退治された黒髪山の大蛇が住んでいた。為朝がこの池から験の矢を射ると、池の鬼門にあたる古野村に落ちた。そこが竹林となって今も残っている。
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ドクジャ 1976年 静岡県 桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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ダイジャ 1971年 福島県 八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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ヘビ,ダイジャ 1936年 鳥取県 五百年程前、若桜の城に矢部山城守がいた時、根安橋の上の淵に大蛇が住んでいて、道行く人を騒がせた。それが殿様の耳に入り、その家来の武士が退治しようと淵に出かけた。幾日も待ったが現れず、「もしいるのなら姿を見たい」と言うと、小さな蛇が現れた。この蛇に切りつけると、淵はにわかに湧き立ち、水は朱にそまり、大蛇があばれた。死体は長さ十四間もあった。
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ダイジャ 1967年 福島県 菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
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ダイジャ 1989年 静岡県 大池に大蛇が住んでいた。あるとき、江間小四郎の嫡子安千代丸を呑んでしまったので小四郎が大蛇の片目を射た。大蛇は池に入り、やがて池は浅くなって田畑になった。
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ダイジャ 1967年 福島県 沼沢には昔、雌雄の大蛇が住んでおり、霞が窪と呼ばれていた。建久の頃、領主佐原十郎義連はこの地を開き人民の安定を図ろうと、従者を従えこの霞が窪に向かった。すると水が逆行して雷がとどろき、忽然と小山のような怪物が水上に現れた。主従力を合わせ立ち向かったが、乗っていた筏は水中に引き込まれた。しかしまもなく大波が逆立ち、波間に大蛇が横たわり、義連はその上にまたがっていた。義連の兜にはえんぷだこんの観音様をいただいていたので大蛇の腹を割くことができた。
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ダイジャ,ダイジャノチ 1989年 長野県 温田から来る途中に沼があり、大蛇が住んでいた。大蛇は男に化けて矢野部落に住む娘に通い、娘は子を孕んだが、男の正体が分からない。親が入れ知恵をして娘は男のほっかぶりの手ぬぐいに糸のついた針を刺した。親が糸の跡をつけていくと、蛇が蛇の親に「鉄の毒で死ぬが、子供を残した。ただ、蓼を飲ませると子が落ちる」と語った。娘の親は娘に蓼を飲ませ、子を堕ろした。沼から流れてくる水が時々赤くなるのは、蛇の血のせいだという。
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ダイジャ 1932年 福岡県 本村の山に昔大蛇がいた。ある猟師が鉄砲で仕留めたが、蛇は死ぬとき「お前の命もあと一年だ」と言い残した。翌年猟師が近くに来た時蛇を仕留めた場所へ行ったところ、白骨となって残っていた。何かのはずみで骨で足を突いたが、それが原因になって猟師は死んだ。
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ヌマノヌジ,ダイジャ 1976年 秋田県 堂ヶ岱堤には沼の主、即ち大蛇がいた。村人が供物を捧げないので大蛇は沼の土堤を壊した。古老の話では、沼には赤と黒の主がいて八巻山方面で遊び、月夜の晩には巨体を沼に浸して戯れることもあったという。
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ダイジャ 1982年 群馬県 弘法大師空海上人が第二の高野山を捜して袈裟丸山に登ったが、千谷は見つからなかった。尾根伝いに歩いてさいの河原まできたとき、白い大蛇が大師を呑もうと襲い掛かってきたので、経文を唱えたら大蛇は去った。大師は夢で川の中に仏像があることを知り、村人とともに捜してお祀りした。そのときの庚申様がある大沢寺は、大蛇と戦ったいわれがあるので山号が竜宝山。
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