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検索対象事例

テング
1993年 群馬県
上州の迦葉山弥勒寺を再興した天巽慶順の弟子である中峰は特殊な才能があり、師匠のために毎晩飛ぶように里へ下って、酒を買ってきたという。天巽の死後、中峰は中峰尊者という寺の護法天狗になったという。

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チュウホウソンジャ,テング
1935年 群馬県
龍華院弥勒寺(迦葉山)で、900年ほど前に中興の天巽禅師に師事した中峰という神童がいた。天巽が大法を大盛禅師に伝え、後に憂いがないのを見定めて、中峰は「我釈迦の化身にして既に権化の業を了せり自今上天して末世の衆生を抜苦興楽せしめん」といって両禅師に別れを告げ、案山が峰から昇天したという。当地の天狗面は中峰尊者をかたどったものという。
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テング
1935年 群馬県
龍華院弥勒寺(釈迦山)に、昔一人目立って利発な小僧がいた。当時の上人は般若湯が好きで信州から取り寄せてたしなんでいた。ある日その小僧に使いを命じると、その夜のうちに帰山した。その時は気にしなかったが、度重なるうちに様子を見れば見るほど合点が行かぬ事が多くなり、結局天狗の化身と分かった。
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テング
1982年 群馬県
天狗が迦葉山に寺の小僧に化けて住み込んだ。ある年の十五夜の晩、その小僧がいい事をして見せると言ってススキの葉の上を飛び、白い馬に乗って行ってしまった。以来迦葉山では天狗を祀る。
類似事例

ボサツドウリョウ,テング
1928年 神奈川県
關本道了権現の本尊である菩薩道了は、了庵の徒弟であり、大力無双であった。この寺が建つ時にも尽力し、死後は天狗となってこの寺を守ってきた。
類似事例

テング
1982年 群馬県
迦葉山の天狗は寺の小僧に化けて住み込み、いろいろと奇異な行動をした。
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テング,アキバサンジャクボウ
1921年 徳島県
木登りばかりしている小僧がいつしか天狗になったという。ある夜小僧が師の僧の枕もとにたち、裏山に祠を建ててくれれば火難を防ぐといったので、僧は堂をつくり、秋葉神社を作った。
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スギノボウ
1919年 群馬県
紀州法燈寺は数度の火災で再建できず、住職が困っていると、旅僧が建立を申し出たので頼んだ。旅僧は赤木山の杉の坊と名乗ったが、それは名高い大天狗であった。言いつけどおり村の火を消し物音をたてないようにしていると、一夜にして立派な伽藍が建っていた。
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コウボウダイシ,サンココンゴウショ,イヌ
1932年 和歌山県
弘法大師が密教相応の霊地を占うため、唐の明州から三鈷金剛杵を投げた。その後帰朝し各地を巡歴していた折、狩場明神の化身なる猟師に出会い霊地を尋ねると、猟師の連れていた犬が大師を導き、高野山に到達した。山上の老松には唐から投げた三鈷金剛杵がかかっていたので、この地に霊場を開いた。
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ミチビキイヌ,コウボウダイシ
1935年 和歌山県
弘法大師が帰朝し弘仁7年密教禅院を開創しようと巡礼中、大和国宇智具にやってきたとき白黒2頭の犬を連れた狩人明神に出会い、地形についてたずねた。狩人は紀州伊都郡の南に霊地があるとして2頭の犬を先頭にして進むと突然丹生都比売神が現れ山上に導いた。その時老松の上に大師が唐から投げた三鈷金剛杵が燦然と輝いていた。大師はその利験を喜び霊場を開いた。導いた犬を伝えて導き犬という。
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レイム
2004年 岩手県
奥州忍の里に住むタカソトハノタケトシが,息子を光明寺に入れる。息子は光明寺一の学匠となり,比叡山に移ることになった。その頃叡山の高僧は,山王権現から「東から来る童子を弟子とすれば山門の誉れとなる」との霊夢を授かっていた。果たして息子は一大学匠となり,後に盲目の父母と再会を果たす。息子は慈覚大師であり,観音菩薩の化身である。
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センニン,エンノギョウジャオヅヌ
1993年
役行者小角は、十三歳で葛城山に入り、十七,八歳頃には山の神を自由に扱えた。三十四歳で大峰に入って千日修業をし、神格を備えた。山の神霊や天狗を使役したという。六十四歳で島流しになった後も修業を続けたという。
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タロウボウ,シンゼイ,オオテング
1974年 京都府
文徳天皇の時、太郎坊(真済)という僧は弘法大師に密教を受け、高雄の峯で修行していた。しかしいつの頃か、染殿后を見た真済は心迷って死んだ。その執心は青い鬼となって染殿后を驚かし、最後には大天狗になったという。その山は軍を守り、火の難から逃してくれるので、皆が崇拝した。
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テング
1974年 栃木県
下野国宇都宮あたりにある東盧山盛高寺の祥貞和尚が、ある時天狗に腕を貸してくれと言われた。和尚は手を引抜いて持っていかれては困ると言うと、天狗はそういうことはしないが、ただ手を貸すと言ってくれと頼む。そこで和尚が貸す言うと天狗は感謝して帰ったが、和尚の腕は短くなった。しかし30日ほどたった時に、天狗が再びやってきて腕を返すと言い、火除けの銅印をくれたという。その日から和尚の腕はもとにもどり、またその書は火防になった。
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テング
1918年 京都府
愛宕山には太郎坊という天狗がいる。もとは名僧として高雄山にこもり、行徳すぐれていたが染殿の後にまどって恋死して天狗になったという。
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テング
1954年 島根県
昔、高崎山にあったある寺の坊さんは、天狗をよく使い、入り用の物を持って来させるなどしていたという。後に、別の坊さんが寺に住むようになると、天狗はその坊さんを嫌ったため、坊さんは下山してしまった。以後は誰も寄りつかなくなり、寺は潰れてしまった。
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テング,コウリンボウ
1995年 和歌山県
高野山には護法天狗高林坊がおり、空海を山上に導いた地主神狩場明神ではないかと言われる。伝説では815(弘仁6年)、狩場明神と会った大師は、明神の使者である黒白二匹の犬に導かれて高野山へたどり着いたという。
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テング
1974年 和歌山県
たびたび火災に遭う法灯寺に上州赤城山から杉の坊という僧が来て造営してやろうと述べた。礼を言いに赤城山へ使者が行き里人に聞くとそれは大天狗だと言った。造営の約束の日、一夜のうちに七堂伽藍が完成していた。
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テング
1974年 和歌山県
ある雨の日、高野山の金剛三昧院の下人が住職を迎えに来たが雨具を持っていなかった。しかし雨に濡れないので住職が下人に正体を尋ねると、下人は門前の杉と楓に住む天狗であり、「住職の行跡が貴いので仕える。今から寺に火難はない」と言って飛び去った。
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テング
1921年 徳島県
関口流の剣術師範広瀬権太夫が大龍寺に篭り七日七夜怪異に動じないのを見て、七夜目に天狗が現れ勝負を挑んだ。権太夫が天狗の左足をきり天狗は権太夫の弟子となった。正月には道場で天狗が稽古し、広瀬家代替わりには必ず大龍寺で天狗の仕込を受けるようになった。
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イヌ
1975年 静岡県
寛永の初め頃、尾州熱田白鳥の住持慶呑和尚が、浜松普済寺の住職になった。そして町の人が犬を連れてきて飼えと勧めた。珍しい犬だったので飼っていたが、年限が来て寺を離れる時、犬を連れてきた人に返したところ、僧の夢に犬が現れ、我はお前の親であるという。故に犬を呼び戻し再び丁重に飼った。
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