スズメ,ツバメ 1913年 和歌山県 昔、燕と雀の姉妹の所に親が臨終だとの知らせが来た。燕は着替えて盛粧をして行ったので、親の死に目に逢えず、雀はお歯黒をつけたまま飛んで行ったので、親の死に目に逢うことができた。それで雀は美しくないが米粒を食べ、燕は美しいが土を食べるようになった。
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スズメ,ツバメ 1971年 長野県 母親が病気になった時、雀は普段のなりで飛んできたので「穀類を食べても良い」と言われ、燕は化粧をしてしゃれた格好で後から来たため「おまえは泥と虫だけ食べとれ」と言われた。
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ママコノウッタエ,スズメ 2001年 父が旅をしている間に兄妹が継母に殺される。帰ってきた父が子供たちを捜していると、雀が飛んできて、みやげはもういらぬ、父に会いたい、と鳴く。父が鳥のとまった木の根元を掘ると子供たちの死体が出てきたので、継母を処刑する。
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カッパ 1955年 青森県 お人よしの兄が頼まれた品の代わりに片目の鷹を買い、家を追い出される。川のほとりに来るとカッパが現れ、鷹とカッパが闘う。激闘の末カッパは降参し、宝物を差し出す。その宝物で鷹と安楽に過ごす。
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カッポウドリ 1934年 大分県 昔、2人の兄弟がいて、弟は「かっぽう」という名前だった。兄は弟が自分ばかりいいものを食べていると勘違いして、弟の腹を切ってしまった。弟の腹からはろくなものが出てこなかった。兄は自分が悪かったことを知り、「かっぽう、かっぽう」といいながら鳥になってしまった。これがかっぽう鳥である。
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シロギツネ 1929年 石川県 白狐の親子がいたが、先年親は亡くなった。狐はある家の漁を守り、来れば赤飯などでもてなす。粗末にすると家人が病気になる。狐が泣くと明朝の網には必ず魚がかかる。
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フキヒキホグセ,スズメ 2000年 埼玉県 昔、母親を亡くした8才ぐらいの女の子がいた。継母が「糸をかえせ」とその子に命じたので、一生懸命糸をほどいたが、ほどけなかった。そのとき、死んだ母親が雀になって現れ、「フイテホゴセ」というように啼いた。そのとおりにフイテホゴスと糸はほどけた。
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サルノヨメ 1960年 秋田県 日照り続きに悩む百姓は、庚申の日に末娘を猿の所へ嫁に行かせた。すると、その家だけは沢山米が獲れた。実家帰りの際、お人好しの猿は嫁の言うままに臼を背負っていき、川に落ちて死んだ。それは秋の庚申の日だった。
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バカムスコトカゲボウシ 1956年 宮城県 老夫婦に息子が3人いて、兄はたいへん利口、中の兄は中くらい、末っ子は馬鹿だった。上の2人はよく稼ぐから婆もひいきで、羊を2匹買って1匹ずつ任せた。あるお天気の日に兄たちは羊に草を食わせに行き、末子は婆の作った団子を届けにいった。途中、末子の脇の方を痩せた病人のような奴がゆーらり、ゆーらり歩いているので、末子はわかいそうに思い、団子を食わせようとした。しかしさっぱり食おうとしないので、竹で土の中へ埋めて歩き出した。ところが今後は痩せた奴が後から歩いてくるので又団子を土に埋めた。どこまで歩いてもその痩せた奴がついてきて、その度に団子を食わせたので、兄たちのいる山に来た時は団子がなくなってしまった。その話を聞いて兄たちが言うには、「そいつは影法師といって、お天気のいいときにゃ、いっつも出るのさ」といって、家に帰ってお昼を食べたという。
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キツネ 1922年 茨城県 治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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ヤマバト 2001年 青森県 飢饉のときに、炒粉(麦を炒って臼で引いて、藁を混ぜて粉にしたもの)を食べていた。子供が父親に炒粉の弁当を届に行ったが、魚がそれを食べるのが面白くて全部やってしまった。子供が畑の父のところに行ってみると、父は餓死していた。子供は「テテ、コケ、アッパ言(へ)った」と叫び、喉から血を吐いて死んだ。父が蒔いた蕎麦が、血が流れたところから芽を出した。だから蕎麦の根は赤い。そして山鳩は「テテコケ、アッパヘタ」と鳴く。
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サルカニガッセン 2000年 東京都 昔々、蟹が猿に殺された。子蟹が泣いていると、栗と蜂と臼がやってきて「仇を討ってやろう」と言った。猿が囲炉裏に火を入れると、栗がはじけて向うずねに当たった。「あちいあちい」と言って猿が味噌部屋に飛び込み、火傷に味噌を塗ろうしたところに、蜂が飛んできて刺した。「痛え痛え」といって外に飛び出したところ、屋根から臼が落ちてきて猿を押しつぶした。そこへ子蟹が出てきて、鋏でちょきんと首を切って仇を討った。
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フキヒキホグセ,コトリ 2000年 神奈川県 昔、お糸という糸繰り名人がいたが、病気で死んでしまった。娘のおチヨは8才だったが、人並みに糸繰りができた。継母は自分より仕事ができるおチヨを面白くなく思い、もみくちゃにした糸を渡した。どうしようもなくて泣いていると、「おチヨ、おチヨ、フキフキホグセ」と小鳥が鳴いたので、「フーッ、フーッ」と一生懸命ほぐすと、するするとほぐれた。死んだ母親が小鳥になっておチヨを助けに来たのだという。
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カサ 1934年 鹿児島県 昔、親孝行の子の親が病気をしていた。ある日、コバ笠を着けて出かけると、カジマルの木の上で鳥が人語を話しているのを聞いた。その話のとおりに賭けをして、200枚の蓆をもらって、親の病気もよくなり、一生楽に暮らすことが出来た。
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サルノヨメゴ 1956年 宮城県 昔、ある家に娘が3人いた。ある年の日照りに、どこの田にも水がなくて困っていると、1匹の猿が来て、「あんたの田に水をいれてやるから、娘を誰か1人くれ」というので父が承知すると、猿は忽ち水をためる。父が猿との約束を心配していると、末の娘が快諾して猿の嫁となる。2,3日後、猿と娘がお舅礼に来る途中、藤の木の前で、父にこの藤の花をとっていきたいと娘が言う。猿は木に登ってとろうとし、娘がもっと先というのにつられ、先まで行った。するとからまった藤のつるが木からはなれて猿は川の中に落ち、娘は無事家に帰ってきた。
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オシドリ,オンナ 2002年 栃木県 昨日この池で鷹に鴛を獲らせた。そのまま雨のためにここに一泊すると、夢の中に女が出てきて、白い芦の葉を渡された。見ると虫食いの歌があり、あそ沼で菰に隠れて独り寝するのはつらいとあった。そこで夢が覚め、鴛の女鳥と確信した。不憫に重い、その跡で弔いをした。
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キツネニョウボウ 1949年 山梨県 子供まで生んだ狐女房が、太い尻尾を出して台所を掃いているところを見られその正体を知られたために、歌を残し、泣く泣く子供を夫のもとにおいて去った。それから、子供が泣いて困る時には、森に連れて行き呼ぶとこの女房が出てきて乳をくれた。田植えの際、子供を抱えた夫が困っていると、狐女房が人間に化けた手下の狐を大勢連れてきて手伝ってくれた。秋になるといつもの倍米がとれた。
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ツル,イキカエリ 1934年 香川県 昔、深い坊さんが猟師から着物と引き換えに鶴を買い、逃がしてやった。尚庵さんは寒さで死んでしまった。鶴が3年間墓の廻りで舞いながら「尚庵さん、尚庵さん」と泣きつづけると、和尚さんは生き返ったが、鶴は羽毛の抜けたむごたらしい体を残して尚庵さんの身代わりに死んでいた。尚庵さんは鶴の死骸を抱いていつまでも泣いたという。
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ウマ 1976年 大阪府 高槻の近村の農家の男児が城下から村へ帰る途中、川が氾濫して渡れずに困って泣いていると、連れていた馬が男児をくわえて川を渡った。しかし闇夜の雨なので帰り道がわからずに困っていると、馬が先に立って歩き出したので、綱を持ってついて行くと家に帰れた。
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オニ,ウチデノコヅチ 1915年 和歌山県 昔、継母が娘を憎み、底の抜けた籠を渡して林の中へ木の実を取りに行かせた。日が暮れても籠が満たず泣き、遠くに見えた家を訪ねた。家には老媼がおり、鬼が来るというので床下に隠した。鬼が帰ってきて娘を見つけ食おうとしたが、事情を聞いて涙を流し、振ると銭が出る打出の小槌を与えた。娘が継母に小槌を与えると継母は喜び、以後実子と同様に扱うようになった。
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