ムラヲスクッテクレタオオカミ 1987年 長野県 昔,大屋のこの村は信濃十六牧の一つで,毎年三歳馬を一定数朝廷に送っていた。ある年子馬が全て狼の餌食となり,怒った村人は山のいたる所に罠を仕掛けた。狼の子が一匹罠にかかったので,夜,狼の群れが村を襲ってきて一晩中吠え続けた。村長がやぐらの上から「狼たちよ,お前達も子が捕らえられれば一晩中吠えるではないか。馬の身になってみよ。ましてこの村は馬を飼わねば生きていけないのだ。これからは野山で鳥や獣を取ることをやめるから村を襲うのはやめてくれ」と叫び,狼の子を放すと狼は帰っていった。以後狼を神様として祀り,安心して馬を飼うことができるようになった。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ 1976年 兵庫県 康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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シラコマノイケ 1987年 長野県 昔,長者の娘と作男が恋をしたが,長者は作男を山へ追い払ってしまった。悲しんだ娘は,作男を捜して山へ入ったが,深い霧で道に迷ってしまった。そこへ1頭の白馬が現れたので,その後を追っていくと池の淵に出た。白馬が「あなたの捜している人はこの池の奥にいる。会いたければ私の背に乗りなさい」というので,娘がそのようにすると,そのまま池の中に沈んでしまい,二度と姿を現さなかった。白馬にちなんで今でも「白駒の池」と呼んでいる。
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ヤマイヌ,バケモノ,タヌキ 1990年 長野県 伊那にある寺の縁の下に山犬が子を5匹生んだ。和尚はこれを大事に育て、そのお礼に1匹を貰って早太郎と名付けた。そこから遠方に天神宮があった。そこの祭りでは、毎年娘を天神様に差し出さなければならない決まりがあった。3匹の化け物が毎年差し出された娘を喰らっていたのだが、これを知った神主は早太郎を探し出し、化け物退治を依頼した。化け物はこうのついたたぬきであった。早太郎は3匹の化け物を倒したが、自らも死んでしまった。死後、早太郎は和尚の寺に祀られたという。
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ウマ 1978年 香川県 安永末年、ある伊予の農人が象頭山へ、仔馬が生まれた場合にはそれを神馬として奉納することを約束して馬の治病を祈願した。その後仔馬が生まれたが奉納するのを忘れていたら、仔馬が勝手に象頭山へ行った。その馬の背中には斑毛で金の字が成長とともに現われた。
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ウマ 1967年 福島県 坂上田村麻呂が大滝根山の石窟に住む大多鬼丸という夷賊征討の出発に際し、清水寺開祖といわれる延鎮上人が仏像を刻んだ余材で鞍馬100匹を刻み田村麻呂に贈った。田村麻呂はこれを鎧櫃に納め戦に出たが、苦戦状態の時どこからか鞍馬100匹が陣営に走りこんだ。兵士たちはそれにまたがり大滝根山に攻め込み勝利した。ところが凱旋の時には鞍馬は皆消えていた。翌日1匹の木馬が三春近在の高柴村で汗まみれになっているのを杵阿弥が見つけ、延鎮上人の鞍馬に違いないと、残りの99匹を自ら刻み補った。3年後には見つけた1匹も行方不明になり、99匹を子孫に伝えた。杵阿弥の子孫は木馬を模作し村人に与えたところ、それで遊ぶ子供は強健に育ち、病気も軽くなったので子育駒の名がたった。
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オシラサマ 1975年 岩手県 金満長者の飼い馬が長者の娘に恋をしたため娘が病気になった。怒った長者が馬の皮をはぎ栗の木に掛けた所、蚕が生まれ繭をかけた。その後娘は全快したが、馬に乗って宮参りに出たところ、天上から馬の声がして娘と馬が消えた。それでオシラサマを作り供養した。
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ウマ 1967年 福島県 昔、ある武士が娘と一緒に住んでいた。武士がある日狩りに出かけて何日たっても帰ってこなかった。娘は自分の家の馬に、父を探してきてくれたら嫁になってやると言ったところ、馬はどこかに走って行き、夕方になって武士を背に乗せて帰ってきた。それから馬は変ないななき声をたてるので、娘に聞くと娘は今までのことを話した。父親は怒って娘を島流しにした。それを知った馬は彼女のあとを追って行方不明になったが、やがてすごすご帰ってきた。それが駒帰り、今は駒ヶ嶺となった。
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ウマ,カイコ 1940年 中国 頼みごとを叶えてくれたら妻となることを、飼っていた馬と約束した女がいた。ところが、望みが叶っても実行に移さないばかりか、父親がその馬を殺して皮を巻中に晒した。すると、その皮が女を取り巻き、桑樹に飛び去った。女は蚕にされてしまったのであった。
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ケモノ 1980年 静岡県 遠州見付の天神さまに、人身御供の風習があった。通りかかった六部がお告げを聞いて、お告げ通りしっぺい太郎という犬を娘の代わりに箱に入れて連れて行く。しっぺい太郎は娘を食べようとやってきた獣をやっつけるものの、傷を追って、観音山まで来たところで息を引き取ってしまった。あるいは、観音山まで来たところで、しっぺい太郎は六部と大木の下で眠っていた。すると突然しっぺい太郎が吠えだし、六部に飛びかかろうとしたので、六部は鉄砲で撃ち殺してしまった。しかし、しっぺい太郎は木の上の大蛇に飛びかかろうとしていただけであったとも言う。
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シラコマノイケ,ユメマクラ 1987年 長野県 長者が重病にかかって寝込んでしまった。すると信仰の篤かった娘の夢枕に女神が現れ,「池の底の黄色い花を取って,その花の中で生活すればよい」と告げた。娘が父を連れてお告げどおりにすると,父はたちまち丈夫になった。長者は家に帰ったが,池の底に行った娘は,池から迎えにきた白馬の背に乗せられて池の底に沈み,二度と姿を現さなかったという。池の名前は白馬にちなんでつけられた。
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ウマ,カイコ 1932年 昔、ある所にたいへんな長者がおり、その家にひめこという美しい娘がいた。その家の馬がひめこに恋をした。親は馬を殺し、皮をはいで外に干した。数日たったある日、突然雨が降り国運とともに観音様が現れ、ひめこを馬の皮で包み連れ去ってしまった。のちにひめこは蚕になって地上にもどり、ひめこ蚕と言われるようになった。
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ロクブ,ヤマノカミ,ハクバニノッタカミ 1950年 山梨県 六部が山の神の処で寝ていると、白馬に乗った神がやってくる夢を見た。白馬に乗った神は山の神に、楽ジンと乞食に子供が産まれたので、それぞれ竹やりと米一石五斗を与えたと言った。朝起きてみるとその通りになっていた。成長した乞食の娘は楽ジンの子と一緒になり3年楽に暮らしたが、娘は乞食の子であるとして離縁され、奉公に出、その後別の楽ジンのもとへ嫁に行った。しかし元夫の楽ジンはその後落ちぶれた。
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アカイテ 1990年 長野県 三才山の庄屋の娘・おみつは働き者の美人で、ムラの若者と恋仲になり、芦ノ田の池の淵で逢瀬を重ねていた。松本の殿様がおみつを見初めて城へ召し上げようとしたが、おみつは断って若者と会っていた。殿様は二人を切り捨てて池へ投げ込んだ。以来、馬を連れて池の端を通ると、池から血まみれの赤い手が出てきて、馬の尻尾を引っ張ったという。
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オシラサマ 1956年 中国 晋 娘が父を思い、飼っていた馬に父を無事に連れて帰ったならば馬の嫁になると約束した。馬は父を連れ帰ったが、父は怒り馬を殺して皮を晒してしまう。皮は娘を捲いて桑の木の間に飛び去り、やがて蚕となった。
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ガラッパ 1937年 鹿児島県 天保8年ごろ、ある人が馬を五郎池の辺に繋いでいると、馬が急に暴れだし駆け出した。取り静めてみると河童のようなものが馬の足に綱で絡まって死んでいた。馬を引き込もうとして失敗したのだろう。以降この家では子供ができず、代々養子を入れ家を継いでいる。
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コマガタイワ 1987年 長野県 昔,滝の沢の山道を,まだ小さい兄妹が馬でやってきた。霧の深い日で一寸先も見えず,まず兄が,次いで妹が谷底に転落した。谷は高さ数十メートルもあり,落ちればまず助からない。しかし,しばらくして村の者が白い馬に抱かれるように気を失っている妹を見つけた。妹には怪我一つなかった。妹は駒形(馬の形)が岩に刻まれていたと聞き,信心深い兄が身代わりになって命を助けてくれたのだと言った。兄妹は名のある土豪だったが父が防人に召されている間に手代に家や土地を奪われ,父を探す旅をしていたのだという。丁度この時武人が通りがかり,騒ぎを知って女にあった。武人は父であった。父はその後村人と協力し村のために尽くした。村の発展は駒形岩のおかげだと,今も駒形神社で祭りが行われている。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ) 1990年 長野県 有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。八面大王が生き返って悪さをしないように、その体を切り刻み、耳は耳塚、足は立足に埋めたという。
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キヌカケヤシキ,キノガケヤシキ 1956年 宮城県 助左衛門という者の飼馬が寝てばかりいて役に立たず、堤に捨てる。馬は堤の池を平地を走るように渡ったので再び飼う。これを聞いた源頼朝の舎人が千貫文で買い、頼朝はこれを佐々木高綱に与えた。宇治川に先陣した生月*はこの馬という。馬が鎌倉に上るとき、馬衣を懸けたので屋敷名となる。鴇毛(赤くして白みを帯びた色)の馬だったので、助左衛門の家では代々鴇毛を飼った。*生食(いきじき)とも池月とも。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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