ケチミャクザクラ 1931年 北海道 松前城本丸に隣り合った寺の光善寺と龍雲寺があり、この2本の桜の根はつながっているといわれる。この桜には伝説があり、昔、お芳という娘が芳の山から手折って持ち帰った桜が成長したもので、一重桜に八重の花が咲いたという。ある時、この桜に血脈がかかっており、誰も取りに来るものがいないので、桜の霊魂が血脈を頂いたのだという噂がたった。
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ワザウタ 1974年 京都府 寛延の頃「かくおもへはかはるかやし」という童謡が流行り、程なく桜町天皇が崩御した。また宝暦12年には「安本丹猿にあり」という童謡が流行り、その年に桃園天皇が崩御し、仙洞がにわかに践祚した。安の字は女に冠を乗せており、また緋の宮というのも丹の字明けとよむ。また猿年であった。
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ジャシン 1976年 中国 宋の張敬夫がある司戸に淫祠を壊させた。司戸が、その祠から神像を取り出し、割ったところ、中に大きな白い虫がいた。これを焼くと、司戸の足はたちまちに癒えた。
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シロイカラス 1987年 静岡県 カラスモリとは白い烏がいた所だという。田遊びが終わると、白い烏が飛んで、天白さんへ帰ると言われている。
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キマメ 1976年 長崎県 宝暦6年4月朔日夜、黄豆が降った。
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ジ,コマイヌ 1974年 天皇が即位をする際は兕の像を造って庭に置くという。この兕は一角の獣であるという。
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カミカクシ 1955年 静岡県 子どもがいなくなり、しばらくして宝樹寺の門の上にいるのが見つかった。
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オンリョウ 1977年 早良親王は、光仁天皇の第2子だが、延暦4年9月、謀反の疑いで淡路島に流刑され、当地で息絶えたが、怨霊が祟りをなしたので、延暦19年7月に祟道天皇の追号を送られた。
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フダンザクラ 1940年 三重県 白子山子安観音の境内に桜の古木がある。この桜は四季花を絶やしたことがないという。昔、寺が火災に遭ったときに桜だけが一本芽吹いていた。聖徳天皇がこれを聞いて南庭に植えるよう命じたが、一夜で枯れてしまった。天皇は不思議に思って、これを観音寺へ再び返したという。不断桜の葉は妊婦の安産守りになる。葉が裏向きであれば男の子が、表向きであれば女の子が生まれるといわれている。
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カクレザト 1977年 兵庫県 この里の長者は一つの宝槌で万宝の第一とする。
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カラス 1976年 島根県・富山県 聖武帝の天平11年、出雲国より赤い烏が献上された。また、越中の国からは白い烏が献上されたという。
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(ゾクシン),カラス 1933年 栃木県 烏があんまり鳴くと人が死ぬという。
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カラス 2003年 山口県 志度石神社付近の山には翼の下に白い紋のある烏がいて,神様の御手飼だとされる。正月11日御鳥喰と言う神事を行い,この烏に食物を与える。烏が供物を啄ばまない年は凶作だと言う。
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セチエサクラ 1983年 愛媛県 伊予国和気郡山越村に、毎年正月16日に桜がある。伝えるところによると、この近くに了恩寺という寺があり、住僧が桜を愛していた。しかし1年して病に臥し、今年はもう桜をみる事ができないと木に向かって嘆いたところ、翌日にことごとく咲いたという。そこから十六日桜ともいう。
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ゴシンタク,サトミヤ 1931年 長野県 里宮は鎌倉時代からあったが、荒れてしまっていた。延宝か天和のころに冠者殿宮を造営しようとした時、山から切った木材を運ぼうとしても動かなかった。里宮の祟りだと思い伺いをたてると「我が宮を建ててから彼の宮を建てよ。神は逆礼を受けない」という御神託があった。その後、旱魃のときに里宮に願をかけると、5月27日の午の刻に雨を降らすというご神託があり、その後雨が降った。
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サクラ 1975年 愛媛県 昔、竜岡木地から奈良原神社へ行く参道には、桜の古木がすらりと並んでいた。この桜を切ると、祟りがあるといわれている。山の持ち主が桜を切って売ったところ、その人の家は没落してしまったという。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その桜の木に傷が付くと、血が流れ出たという。
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ナエシロサクラ 1987年 長野県 堂の山の墓にある苗代桜の枝を,邪魔だといって切った人は病気になったという。この桜は,六川長三郎勝家が神から授かって植えたものとされ,この桜が咲けば苗代を作ってよいとされた。
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カラス 1998年 静岡 家の屋根に烏が止まるとその家の人が死ぬ。
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ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田には烏が2羽以上増えない。それは、烏が作物を荒らして部落のもの達はたいへん困ったので、孝謙天皇は烏を集めて作物を荒さないことを約束させたが、言いつけを守ったものは2羽しかおらず、帝がそれ以外を追放したからである。帝はその時烏の腹の中まで調べたという。
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(ゾクシン),コヨミ 1935年 長崎県 暦を夜間見るのを忌むが、大晦日に見ておけばいつ見ても構わぬという。
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