スルスミ 1974年 静岡県 源頼朝が梶原景季に与えた磨墨という名馬は、当時の持ち主である梶原頼実が駿河の狐崎で死んだ時、その場所の笹葉を食い切って死んだという。その場所の笹葉は食いきった様に生じるという。
 類似事例 |
|
ウマイシ 1974年 徳島県 馬石は源頼朝が佐々木高綱に与えた生唼という名馬が変わった石である。
 類似事例 |
|
ウマイシ 1967年 福島県 馬石は義家朝臣の馬が落ちて石になったと伝えられている。
 類似事例 |
|
コマノヒヅメイシ,ショウトクタイシ 1991年 兵庫県 聖徳太子が馬に乗ってこられたときの馬の蹄のあとの残る石が駒蹄石(こまのひづめいし)である。
 類似事例 |
|
テンバセキ 1976年 徳島県 阿波勝浦田の村にある天馬石は、宇治川の合戦の時、梶原源太の乗っていた池月という名前の名馬が、先陣を別の馬に取られて、遅れたのを恥じ、怒りのあまり、この場所で死に、石となったともいう。
 類似事例 |
|
オウマイシ 1943年 香川県 後陽成天皇の文祥年間の頃、細川国広という人が前田から小倉山に行く途中、老婆が道をさえぎった。国広が石を投げつけると老婆は飛び去り、今度は馬に化けた。馬を投げ飛ばすと大石になった。これが御馬石で、小倉山の入り口の畑の中にあり、他に移すと夜の間に元も畑に帰るといわれる石である。
 類似事例 |
|
カッパノショウモン 1956年 宮城県 葛西氏家臣小泉宝領館主三条小太夫近春が夏のある日小泉川に馬を洗いに行った。日ごろおとなしい馬なのに,川に引き入れると暴れだすことが5,6日続いたので近春がよく調べると,河童が馬の尾に悪戯をして驚かしていたのであった。近春が鞭で河童を強く叩くと河童は失神した。蘇生してからは平身低頭して謝り,詫びの証に水遁の術の巻物と詫び証文(直径5,6センチの平たい石)を差し出した。この石は天気の観測に役立つとも,水に潜るときに役立つとも言われた。
 類似事例 |
|
テンバセキ 1976年 徳島県 阿波勝浦田の村にある天馬石は、天より下りてきた馬が石になったものという。
 類似事例 |
|
ウシノヨウナモノ 1966年 香川県 昔、金毘羅さんの山で、ある猛者が牛のようなものに道をふさがれたので、小癪とばかりに牛を投げつけると岩になった。この岩は牛の小岩とと呼ばれている。
 類似事例 |
|
キヌカケヤシキ,キノガケヤシキ 1956年 宮城県 助左衛門という者の飼馬が寝てばかりいて役に立たず、堤に捨てる。馬は堤の池を平地を走るように渡ったので再び飼う。これを聞いた源頼朝の舎人が千貫文で買い、頼朝はこれを佐々木高綱に与えた。宇治川に先陣した生月*はこの馬という。馬が鎌倉に上るとき、馬衣を懸けたので屋敷名となる。鴇毛(赤くして白みを帯びた色)の馬だったので、助左衛門の家では代々鴇毛を飼った。*生食(いきじき)とも池月とも。
 類似事例 |
|
バカクサン 1931年 和歌山県 馬角さんは漁労の神で、紀州徳川家初代の頼宜公の馬に生えた角を家臣の某かが藤白権現に奉納したものであるといわれている。三葉葵の紋が入った厳重な5重の箱に入れられ、大きさは1寸弱の蛹くらいに見える褐色物であり、牙には見えない。魚の取れないときに馬角さんを漁場に持っていくと魚が集まると信じられており、遠くからもこれを迎えることがあったという。
 類似事例 |
|
ヤハズイシ 1956年 宮城県 河伯に奉納するために源義家の軍勢が河中に投じた矢がみな石と化した。矢祭石とも。細長い石で今でも岸に多い。
 類似事例 |
|
ヤマウバ,ヤマウバ 1933年 山口県 馬の爪にある巨石は、山姥の捨石といわれる。山姥が遠くから運んできて重いので捨てていった石だと言われている。
 類似事例 |
|
ヤクシニョライ 1989年 長野県 源頼朝が非公式に信濃を回った折、落馬した後目が見えなくなっていた。神仏の祟りではないかと尋ねると、西に一里ほど行った正面に大島山瑠璃寺という薬師如来を祀る寺があり、その前では必ず乗り物を降りなければならなかった。頼朝は詫びに鎌倉の館にある桜を献ずる誓いの証に山桜を一枝地にさした。すると、目が見えるようになった。
 類似事例 |
|
カッパ 1989年 群馬県 河童が馬の尻尾にぶら下がって遊んでいたらつかまって怒られ、石垣を作って詫びた。その石垣を河童の石垣という。
 類似事例 |
|
スズキ 1932年 静岡県 多吉山の三石の滝は、流人時代の源頼朝が酒を飲んだ場所。頼朝が片身の鱸を流れに投じたら、そのスズキは泳いだという。
 類似事例 |
|
タメトモ,オニ 1929年 東京都 大賀郷村には、為朝石がある。昔は血石とも鬼剉石とも言った。『伊豆海島誌』には、ここに為朝が鬼を殺して埋め、そのしるしの石に血をつけたので、血石と呼ばれるようになったと伝えられている。
 類似事例 |
|
コマイシ,ヨシツネ 1984年 長野県 弁慶が道を塞いでいる大石を切りつけようとすると、義経が駒に乗って見物していた石が駒石である。今でも蹄の跡が残る。石の平らな面に、浅い円形の凹があるものが駒石である。
 類似事例 |
|
コマスイシミズ 1965年 岩手県 源義家の乗っていた馬が吸い出した清水。
 類似事例 |
|
イヌイシ 1967年 福島県 狗石と称する石がある。昔、上国の狗と村の狗が戦ったが、勝負がつかずにそのまま石になったという。あるいは畠山の狗と佐渡の狗ともいう。
 類似事例 |
|