タチエボシ 1965年 三重県 立烏帽子は坂上田村麿の妻を奪うが、清水寺の観音の霊験に倒される。
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オニ 1975年 三重県 坂上田村麿は天皇の命令によって、鈴鹿山で鬼を討ったという。
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オニガミ 1965年 三重県 鬼神が坂上田村麿を襲うが千手観音に討たれる。
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ヤノネミズ 1967年 福島県 坂上田村麿が東征の時、矢の根をもって岩をうがち、飲んだ水だといわれている。
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キョウノイワノナナフシギ,トビトカラスノマイチガイ 1987年 長野県 京の岩の入口の岩穴の中にあり,鳶と烏が石になった形をしている。昔,坂上田村麿が武将鳶尾三郎の菩提を弔う場所を探していると,不思議なことに,鳶と烏が飛んできて田村麿を誘い込むようにこの岩穴に飛び込み,石になってしまった。この岩穴をとび穴ともいい,右がからす,左が鳶だという。
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ヨウカイ,サカノウエタムラマロ 1929年 滋賀県 滋賀の田村神社には、坂上田村麻呂が鈴鹿にいた妖怪を退治したという伝説が残っていると言う。
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タロウボウ 1976年 京都府 太郎坊は魔所であるため、地主の魔を祭っているのだろう。
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チカタショウグン,キシン 1977年 三重県,滋賀県 千方将軍が鬼神を使役して旅人を悩ましていたために田村麻呂に討たれた。
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タテエボシ,アグロオウ 1965年 三重県、陸奥国 鈴鹿山で狼藉をはたらいていた立烏帽子は、利成という男の妻になることを条件に、夫の阿黒王という鬼を殺させる。
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キョウノイワノナナフシギ,ニチリンイワ 1987年 長野県 京の岩の入口の泉付近にあり,昔,坂上田村麿が休んだとき,かぶとを乗せた岩だという。直径20センチメートルくらいの跡がへこんで残っている。
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メオトイシ 1930年 岩手県 岩手郡西山の雫石口から岩手山に登山する本道の傍らに夫婦石という石がある。また、別名「カラト石」とも呼ばれている。田村将軍の家来に好丸という美男子がいて、里の長者の女と固い約束をしたが、将軍が京都から召し出されて旅立つ際、好丸も当然旅立つことになったが、娘は恋情やるせなく、ふたりで連れ立って泣いていたが、そのまま石になったのがこの夫婦石であるということである。
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ヤマオトコ 1959年 長野県 山男が出てきたので、ナベアシ(鉄丸)を討つと落ちてきた。目を撃とうとすると、これから守ってくれることを約束した。だから鉄丸を持って山に入る猟師が多い。
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タテエボシ,カガミイワ 1977年 三重県,滋賀県 鈴鹿峠の旧道にある鏡岩は、昔立烏帽子がこの岩に向かって化粧をしたと伝えられている。
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フクロカツギ 1931年 長野県 夕方隠れ鬼をすると魔に隠される。魔をふくろかつぎという。
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ドウジキリマル,ノロイ,タチ,イブキドウジ 2002年 滋賀県 源頼光が伊吹童子を切った太刀は「童子切丸」とよばれ、これにかかった恐ろしい呪いが所持者に次々に悲劇をもたらしたことで有名。頼光の弟美女丸はそのせいで手のつけられない乱暴者となり、父満仲は家臣藤原仲光に美女丸を討てと命じた。仲光は代わりに自分の息子の首を差し出した。美女丸はこれを知って改心し、比叡山で高僧となった。
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ダイジャ 1990年 福島県 魔がっ淵には大蛇がいた。
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ヘビ,タムラショウグン 1974年 宮城県 島流しにされた田村将軍が、女に化けた蛇との間に子どもを作った。
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テング,テンゴサマ 1977年 富山県 テンゴサマが入ってこないように新築を建てた後に、魔除けをする。そうしないとテンゴサマが音を立るので、寝られなくなる。
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ヘビ 1966年 静岡県 昔、田村将軍が天竜川を渡ろうとしたときに、アリマタの池の蛇が松の木を倒して渡してくれた。そして蛇は田村将軍の妻になり、9尺四方の部屋で子を産んだ。ところが、蛇が赤子の腰のあたりのコケラ(鱗)を舐め取ってしまわないうちに田村将軍に覗かれてしまい、蛇は子どもを置いて逃げてしまった。その子は後醍醐天皇を祀る奥山の半僧坊に祈祷して鱗を取ってもらった。今でも「コケカクシ」という袴が祀ってあるという。
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ホウカンボウ,ナマメ,マスジ 1982年 岡山県 延風部落ではなまめのことを魔筋という。魔筋を夜通ると髪の毛が一本立ちになる。魔筋で鴉が鳴くと必ず人が死ぬ。昔ある婆さんが死んで葬式をした。棺桶に入れて墓へ担いで行っていると、ちょうど魔筋で大夕立にあった。ところが棺が急に軽くなり、空けて見たら死人がいなかったという。
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オニ 1993年 岩手県 昔岩手山の辺りは大猛丸という鬼の領地だったが、797年に坂上田村麻呂が攻略し、大猛丸は霧深い岩手山鬼ケ城に立てこもった。田村麻呂は霧の晴れ間に一挙に攻め、八幡平に追いつめて滅ぼしたという。
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