国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

キュウビノキンモウハクメンノロウコ,セッショウセキ
1961年 和歌山県
9000年生きた九尾の金毛白面の狐が鳥羽法皇の女官の玉子の前に化けて法皇を苦しめたので、助七、助八の二人が下野那須のナガ原まで追って退治したところが、殺生石になった。人がそれにつくと死ぬので回収したら、破裂してちらばった。その石のかけらを踏むとコマメができる。

類似事例(機械学習検索)

セッショウセキ,キツネ
1989年 山梨県
栃木県那須野ヶ原に殺生石という石がある。狐が化けたという。金毛九尾の狐が都で宮廷まで入ったが見破られ、那須野ヶ原まで飛んできて殺生石になった。有毒ガスが出て人が死ぬので殺生石という名前になった。狐が化けた石というので玄翁和尚がやってきて、玄翁で石を叩くと狐が通力を失い人は死ななくなったが、その破片が全国へ飛んだ。その石へ登って転ぶと怪我をするとか、鎌いたちのように怪我をするとか、何の原因もないのに足の平が痛くなるのは殺生石のかけらを踏んだからイシブという病気になったからという。
類似事例

クダギツネ,キュウビノキツネ,セッショウセキ
1977年 神奈川県
クダギツネの由来は以下のように言われている。昔、中国から日本へ逃げてきた九尾のキツネを退治しようとしたところ、那須ノ原へ飛んで殺生石となってしまった。この殺生石に法術をかけたところ、石が割れ、そこから目には見えない幾千ものクダギツネが天に散り、これが日本中に広まって人に憑いたりするようになった。
類似事例

ヨウコ
1983年
古に三国から伝来したという妖狐は、金毛白面九尾と言われている。
類似事例

〔イキイシデンセツ〕
1986年 大分県
石が生きている。
類似事例

オヽサキ,オトウカ
1969年 埼玉県
オオサキという言葉は金毛九尾の狐に由来する。この悪狐が退治された時、殺生石となった。これを割り、その害を除いた際、和尚の法力が十分でなかったため、石が飛散して、各地に害をなした。特に魔力を持った尾の先の部分がオサキになった。
類似事例

クダギツネ
1964年 神奈川県
支那から日本へ逃げてきた金毛で九尾の狐が、正体を見破られ、野州の那須ノ原へ飛んで殺生石になった。ある和尚が法術の法を石にかけると、石は割れ、目には見えないクダの狐が幾千となく天に散り、日本国中に広まって人に憑いたりしたという。クダ狐に憑かれると、飯を何人前も食べるのに身体はやせてしまうという。横浜市港北区十日市場町原村の事例。
類似事例

ヒトトリイシ
1974年 福島県
奥州磐梯山の人捕石は毒石であって、殺生石と同じである。
類似事例

イタチノカイ
1973年 京都府
治承4年、5月12日午の刻あたりに、鳥羽院に鼬が大量に走ったので、法皇は安倍泰親に占わせると、喜ばしいことと悲しいことがあると言い、その通りになった。
類似事例

セッショウセキ,ヤカンタマモ
1975年 栃木県
殺生石は下野国那須野にあり、方五間ほどの垣で囲んだ毒石で、この石に触れた人や虫、獣は死ぬ。近くにある那珂川を渡る人がよく溺死するのは石の毒気のためだという。野干玉藻が精霊石になったという。会津磐梯山にも毒石があり、触れた禽獣は皆死ぬ。
類似事例

ドクロ
1976年 京都府
後白河法皇は前世で熊野の蓮華坊という山伏であったが、谷へ落ちて落命した。その後、柳が生えて髑髏を貫いたために、風で柳が揺れるたびに法皇は頭痛を病む。ゆえにその髑髏を埋めて柳で三十三間堂の棟木にした。このことから、蓮華王院の名がありながら頭痛山平癒寺とさへ呼ぶようになった。この縁起は花山院の話を元にしたものであるだろう。
類似事例

タマモノマエ,シロギツネ,セッショウセキ
1976年 栃木県
宮中に潜り込んだ狐の正体がばれ、下野のこの地に逃げてきて石となり触るものはみな死ぬようになった。深草帝の御世に石は砕かれた。昔の石は埋まってしまって、今ある石は別の石である。
類似事例

キュウビノキツネ,セッショウセキ
1974年 栃木県
中国から来た9つの尾を持った狐が化した殺生石に近づくものは死んでしまうといわれている。
類似事例

シメカケイシ
1967年 福島県
この石を踏むと必ず災いがあると言われている。
類似事例

キュウビノキツネ,イシ
1970年 滋賀県
九尾の狐が中国から来て美女に化け、妃になっていたが、山鳩の尾羽を輪にして覗くと狐の本性が現れたので関東の那須の原に逃げて岩と化した。この岩に近づくもの壊すものが死ぬので、ある坊さんが経を上げ、玄翁で粉々に砕いて全国へばらまいた。その一つが話者の家にあり、毎月17日に赤飯を供える。この石をなぶるな、庭石に使うな、この石は家の難逃れになる、などという。
類似事例

カマイタチ
1940年 岐阜県
痛くないのに体が切れていることがあり、その傷は決まって鎌の切り口をしている。2度3度やられる人もいるが、まったくやられない人もいる。那須の殺生石の破片が起こすともいう。
類似事例

キュウビノキツネ
1958年 栃木県
シモツカレとは人参・大根を荒おろししたものに塩引の頭、油揚げ、酒粕、年越しの夜の豆を入れて煮た汁である。昔、那須の九尾の狐が悪さをするのでこれを餌におびき出し殺生石のところで殺した。その供養のため初午にこれを作りウチガミ様(稲荷様)に供える。
類似事例

オオイシノタタリ
1970年 山梨県
ある家の庭に明治40年の洪水で大棚から流れてきたという大きな石がある。数年前にその大石を除去するために石屋さんに頼んだところ、2,3日してその石屋さんが死んだ。それ以降、この石を割った者は死ぬといわれる。
類似事例

セイメイセキ
1981年 神奈川県
晴明様の石を踏むと罰があたる。知らずに踏むと足が丈夫になるが、知りつつ踏むと足が悪くなったり病気になる。この時は足を清水で洗い、塩や線香をあげて拝むと良い。だからこの石を「ビッコ石」とも言う。また、車で石の上を通ると車が引っくり返る。
類似事例

ダケイシ,コウボウダイシ
1958年 岐阜県
ダケ石は弘法大師の杖が石になったといわれている石で、この石に触ると怪我をするという。
類似事例

(サイシニヨルヘイアン)
1976年 京都府
安元3年、樋口富小路より出た火は神祇官に及び、御正体が焼失した。その年の11月に、後白河法皇は平清盛によって鳥羽殿へ閉じ込められ、後鳥羽院は佐渡国へ移され、天皇は武家の食客のようになり世が乱れた。元和の頃漸く平穏になったのは、神社を造営し祭祀礼奠を厳重に行って復古したためだ。
類似事例

ネンブツイケ
1972年 岐阜県
西国三十三番を花山法皇がお参りしたときに、帰り道に谷汲山で休んだ。そこで念仏を唱えると、その地から水がわき出たという。お地蔵さんが祀ってある。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内