国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ツエ
1925年 兵庫県
伊丹に近い大鹿の妙宣寺には、文和の頃に大覚僧正が紫竹の杖をさしたところ、竹になったという逆さ竹がある。

類似事例(機械学習検索)

ツエ
1925年 新潟県
親鸞が杖をさしたところ、竹となった竹薮が彌彦山に近い鳥屋野の里の紫竹林である。
類似事例

サカサダケ
1986年 大分県
(弘法大師が)竹の杖を逆さに挿したところ芽をふいた。
類似事例

サカサダケ
1987年 長野県
北相木村と南相木村の境になる大ひれ峠のしの竹。相木森之助が杖を立てると,そこからしの竹が生えた。そのしの竹は葉の表に細毛があって,普通のしの竹とは表裏が逆なので「逆さ木の竹」と呼んでいる。
類似事例

ツエ
1925年 山梨県
日蓮が金桜神社に参詣するために滞留したとき、丈杖を地に刺したところ、後に杖から枝葉が生じて竹となり、宮本の逆さ竹といわれている。
類似事例

サカサダケ
1987年 長野県
大ひれ峠に生えているしの竹。相木森之助が突き刺した杖が,逆さのまま成長したという。葉の表に細毛があり,裏にはないので「逆さ竹」と呼んでいる。
類似事例

ツエ
1925年 群馬県
天海僧正の杖が成長した竹が世良田の長楽寺にある。
類似事例

ツエ
1926年 熊本県
阿蘇小国の杖立温泉に、弘法大師の立てた杖が成長した竹がある。逆杖の竹と言われる。
類似事例

ツエ
1925年 和歌山県
空海の杖が成長して竹になった。
類似事例

アシタケ
1931年 岐阜県
源義朝は青墓の宿をでるときに1本の竹を植え、この竹に「源氏が栄えるなら蘆竹になれ」と言った。頼朝が天下統一を果たし、征夷大将軍になるころ、竹は本当に蘆竹になったという。
類似事例

オニノホネ,オンノホネ,ムシヨケ,タケ
1950年 長崎県
正月2日にオンノホネ(鬼の骨に見立てた餅)を焼く。この時に竹を焼くが、焼いた竹を伐ってきた竹藪の竹はこの年虫が喰わないという。
類似事例

サカサダケ,ソメワケダケ
1949年 新潟県
染分け竹と逆竹というものがある寺がある。染分け竹は半分が白く半分は紫である。逆竹は、義家の箭を地中に植えるとそこから生えてきたものだといわれる。この他に台湾の逆竹の伝説も紹介する。
類似事例

サカサダケ
1930年 愛知県
月の地内に御殿山という山があり、非常に美しく気高い女郎であったとも、座頭であったとも言われる千代の御前という女性を祀っている。その祠の脇に逆さ竹というのがある。草刈男に故意に間違った道を教えられた座頭が山深くに分け入ってしまい、頂上にたどり着いたときには息絶えてしまった。そのときついていた竹の杖に根がついたものが逆さ竹になったのだといわれている。
類似事例

キョウモン,アオダケ
1926年 山口県
三恵寺の境内にある逆さ竹は、昔、天竺から経文をはさんだ青竹がこの地に飛び来て、その竹が根を生じたと伝えられている。
類似事例

タヌキ
1937年 京都府
夜竹を切る音がするので翌朝行ってみると、まったく切っていない。竹切狸の仕業だという。
類似事例

ニチレン,サカダケ
1935年 山梨県
日蓮がこの村に来た時に、持っていた竹杖を地下に突き込んで言うには、後の世に自分の教えが世に広まったならば、この竹に根が生じるだろうと。実際教義が流布したのに合わせて、不思議に根が生じたという。しかしこの町の竹枝は逆だったので枝は下方に向かった。御嶽金櫻神社の神事にはこの竹を用いる。
類似事例

ツエ
1925年 和歌山県
空海が清水を加持したとき、投げ捨てた杖が竹になった。
類似事例

トキワゴゼン
1973年 京都府
常磐御前が子供たちを連れて杖をついて渡ったという瀬を常磐の瀬といい、その竹杖を岸にさしたところ、芽が出て竹やぶとなった。
類似事例

エチゴナナフシギ
1926年 新潟県
越後の七不思議のひとつに、逆さ竹がある。親鸞上人の杖が逆さに成長して出来たものといわれる。また、八房梅といって一花に七・八も実を結ぶ梅も不思議の一つとなっている。
類似事例

イヌガミ
1917年 徳島県
お竹にお増の生霊が取り憑き、お竹の秘密を奉行どもに話してしまった。お竹が在所に戻り、お増に詫びると、その後は何も起こらなかった。
類似事例

ヤノタケ,キジョ
1930年 長野県
戸隠の西谷にある社の周囲は杜があり、箭箆竹と呼ばれるところがある。ここは昔、維茂が鬼女を射た矢を二本土に立てて、そこから根が生えてきた所だと言われている。竹の産地ではあるが、領主がみだりに竹を切ることを禁じていた。
類似事例

キタムキカンノン
1940年 神奈川県
お竹という勤勉な女がいた。熱心に観音を信仰しており、御光がさすほどで「御如来様である」といわれた。嫁入りの祭、観音様にお暇を乞うと、「お竹、帰るのか」と別れを惜しんだ。お竹が観音様を振り向くと、今まで南を向いていた御霊体が北を向いてしまった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内