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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

(ユメノオツゲ)
1939年 東京都
出羽の本楯村の桃の木林の桃助という男が、正月の初夢で観音様に江戸の日本橋に行くと運の玉を拾うとお告げを受けた。夢を信じるのはつまらないと日本橋の袂で教えさとし、自分が見た夢を話したのは同年配の立派な商人だったが、その人は後に双子の兄弟だと判ったという。

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カッパ,ガワッパ
1913年 熊本県
河童は桃を好むから、桃を食べた後には水泳に行かないほうがよい。
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テング
1975年 東京都
江戸日本橋で消えた人から手紙が来て帰り難いという。天狗であろうかと人々は怪しんだ。
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コウボウダイシ,ヤニモモ
1948年 兵庫県
昔、弘法大師がきたとき桃を一つほしがったが、あまりにみなりがいやしかったので婆さんは返事すらしなかった。それ以来、ここではいくら桃を作っても「やに桃」しかできなくなったという。
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モモ,モモタロウ
1974年 宮城県
桃から産まれた子どもが、鬼を退治した。
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(ゾクシン)
1963年 愛媛県
火が燃える夢・死人が家を取り巻く夢は良い夢といわれている。逆に、お金を拾う夢は悪い夢だといわれている。
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ユメミコゾウ,ユメ
1937年
ある小僧が正月早々よい夢を見たと嬉しがっていて、主人にそれを話すように言われても話さなかったので追い出されてしまった。それから段々運が向いて、夢の通り万福長者になった。
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ユメ,ユメノナカニデテキタオンナノヒト
1999年 栃木県
夢を見ている時、夢の中に出てきた女の人に血液型を教えると、夢の中から出られなくなると言う。
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(ゾクシン)
1968年 愛媛県
一富士・二鷹・三茄子の夢が良いという。葬式・火事の夢は良いという。棺桶が家へ入る夢は良いが、反対に出て行く夢は悪いという。親の夢をコタオマエといい、不幸があるという。蛇の夢は良いが、3日間人に言ってはいけないという。歯が抜けた夢は良くないという。子供が生まれる夢を見ると、人が死ぬという、など。夢に関する俗信。
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ゾクシン
1953年 鹿児島県
桃の木を実らすには、桃を五つカマスに入れて「重い重い」と木のまわりを三回ぐらいまわるとなるそうだという。
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(ユメノケン)
1974年 東京都
折原岩之助という男が文政9年3月16日の夜の夢に、江戸神田小柳町辺りの道具某の店に希代の霊剣があるとの夢を5回見た。実際行ってみると、夢にあったように剣があり、買いしぶり帰るとまた2回同じ夢を見た。それを買い求めると夢に人が現れ、剣の霊験を語った。
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ヘビ,ユメ,シノヨチョウ
1950年 千葉県
蛇の夢を見ると死ぬ。
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ユメ
1956年 宮城県
夢またはうつつでそこにいない親兄弟を見ると、たいてい自分の死が近いといわれる。
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(ゾクシン)
1982年 群馬県
夢に関する俗信一束。蛇の夢は金が入る、天王様の神輿を担いだ夢を見ると死ぬ、など。
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カンノンサマ
1957年 愛知県
夢に観音様が現れて祀られたいと言った。そのとおりにすると疫病除けの観音様になった。
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ユメノキッキョウ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
つごもり(大晦日)の晩に、茄子、富士山、鷹の夢を見るのは良いといい、病気になったり、追われたり、嫌われたり、人にいじめられたりした夢を見ると運が悪いという。
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(ゾクシン)
1969年 岐阜県
夢に関する俗信。歯が抜ける夢をみると近親に悪いことが起こる。牛が追われる夢を見たら、その日のうちに神社にお参りしなければならない。蛇の夢はお金が入る、など。
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(ゾクシン)
1974年 愛媛県
馬の夢はいいが、牛の夢は悪いといわれている。
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(ゾクシン)
1961年 鳥取県
夢に関する俗信。田植えをしたり、魚をとったりする夢は、後で病人や死人の話を聞く。蛇の夢は良い。
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カネダマ
1996年 神奈川県
昔はカネ玉せというのがあったらしい。それが家に落ちると金運がよくなる。色は真っ赤である。そういうのを見る人はあまりいない。
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(ゾクシン),ユメ
1935年 鹿児島県
一週間墓参りをするが、死んだ者の夢を見ないと、「夢をみせんなア」と言って心配する。夢をあるべきものと思っている。
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トヨムアカボステダナフラマヌス,ダイジャ,カリマタムラ
1972年 沖縄県
豊見赤星天太なふら真主(トヨムアカボステダナフラマヌス)という神が或る夜若い男と見合いするという夢を見、7ヶ月後に双子の男女を生んだ。父親が分からなかったが、双子を見た大蛇が喜んでいる様だったのでその大蛇を父親とした。これが狩俣村の始まりである。
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