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検索対象事例

キツネツキ
1968年 埼玉県
昭和の初め、女中が狐つきになり、柞稲荷の御分身の前につれて行ったところ、失神状態になり、正気に戻った。その時、口内に煮干しがいっぱいつまっていた。

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キツネツキ
1938年 鳥取県
狐つきということがある。
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キツネツキ,タヌキツキ
1938年 鳥取県
狐つきや狸つきなどを信じている。
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ウブ
1973年 愛媛県
小児などが失神状態になることを「うぶがぬける」という。精気魂魄が肉体から遊離した状態と思われている。そうなると「うぶいれ」をする。子供を臼の中に入れて呪文を唱えながらしゃくしで招くなどする。
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エンコウ
1938年
えんこうと相撲を取ると、たとえ勝っても正気を失ってしまう。樒を煎じて飲ませると正気に戻るという。
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エンコウ
1955年 島根県
浜田のある家で、よく働く女中を雇ったが、不思議なことに毎晩台所に大きな魚が下がっていた。ある日、股鈎を金物の鈎にしたところ、その日から魚が下げられなくなり、女中もいなくなった。この女中はえんこうであったろうと言われている。
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キツネ
1926年 長野県
ある女を女中に雇った。明日田植えの日、女中は狐の姿になって昼寝していた。悟られた狐は突然姿を消した。翌朝、田には苗を逆にして植えてあり、狐のたたりを恐れてそものままにしておくと、その秋は豊作になった。
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オニ
1980年 青森県
鬼がいて人をさらって食ったので、退治することになった。偉い人が鬼が島に行き、鬼が飲むと毒になる酒を飲ませて退治した。残った鬼に煮干が動き、炒り豆から芽が出て、岩にごぼうが生え、竹が桃になるまで人を食うなと念を押した。正月、煮干を挟む行事の由来。
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キツネ
1931年 山梨県
婆が山へ行ったとき狐に憑かれて、馬鹿になって帰ってきた。そこで小豆粥を食べさせて、焙烙を焼いてかぶせたりして、2日ばかりしてやっと正気に戻った。
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タヌキ
1983年 愛媛県
昔、神経異常のことを狸つきとか犬神つきと呼んでいた。
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ゴコウ,イワシノアタマ
1973年 三重県
ある家の女中が一寸八分ほどの小さな観音像を祀っていた。あるとき、風呂へ入っているうちに他の女中が観音さんの代わりにいわしの頭を入れておいた。女中がそれを拝むのを見て他の女中は笑っていたが、そうしているうちにいわしの頭に後光がさしたという。
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キツネツキ
1938年 鳥取県
狐つきが一般に流布している。
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キツネツキ
1937年 鳥取県
狐つきの事はほとんど物語に過ぎない程度になっている。
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ツキモノ,キツネ
1986年 長野県
きつねが人に憑くことがあるという。そうなると、失神したり、枯れ葉をせんべいといって食べた。化かされているようであった。
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キツネツキ
1937年 鳥取県
狐つきに関しては昔ほど甚だしくはないが、時々祈祷するものがいる。
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キツネ
1982年 宮城県
1930年頃のこと。草刈りに行った男がなかなか帰らないので探しに行くと、峠で座り込んでいた。正気に戻ってからきくと「美しい宮殿にいた」と言った。狐の仕業。
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キツネ
1938年 青森県
人間に化けて娘を嫁にもらおうとした狐がいたが、正体が露見して皆殺しにされた。逃げた狐が茸に化けて仇を討とうとするが、煮干を入れて煮られて殺された。
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サラヤシキ
1919年 高知県
皿を割った女中を主人が折檻したことに耐えられなくなった女中が、瀧に身投げをして死んだ。その亡霊が毎晩皿を数えて泣きながら出てくるので、皿をそろえて女中の墓に供えることにした。
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ヘビ
1978年 愛媛県
庄屋の女中のところに、若者がいつも通っていた。奥さんが若者の裾に糸を縫い付け後を追うと、それは淵に住む蛇だった。女中は驚き嘆いたがすでに身篭っていた。女中は決心して淵に飛び込んで死んでしまった。
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キツネ
1952年
畑の中を肥を担いだ男が同じところを往復していた。それを見て狐にたぶらかされていると思った爺さんが、狐を見つけて石を投げつけると、狐は逃げ、男も飛び上がって尻餅をつき、やっと正気に戻った。
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コヒョウ
1938年 鳥取県
狐つきや、人狐もちとも呼び、地方的に信じられている。
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テング,カミカクシ,アカイカオノヒト
1982年 新潟県
昭和の初めころに村の子どもが神かくしにあった。夕方遊んでいるうちにいつのまにかいなくなり、大さわぎになって村人が一升マスの底をたたいてその子の名をよんでさがしたが、みつからなかった。二、三日して青海町外波から、帰ってきた。赤い顔の人につれられて山へいったというが、くわしいことはわからない。
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