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検索対象事例

スミヨシ,マツ,スワジンジャ,ダテマサムネ,ユメ
1956年 宮城県
国分三十三邑一ノ宮諏訪神社の別当宮ノ坊が寛永11年(1634)大晦日と翌元旦、「世を永く保つ心は政宗の世界静かに住吉の松」という夢想の歌を得て、これを政宗公に告げる。公は宮ノ坊に金を与えて、夢想披きの式を、近くの栗生西館に隠居していた元国老の茂庭了庵延元宅で行わせた。また延元を奉行として現在の社殿を建てて諏訪夢想大明神と号した。その神木が住吉の松である。

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モニワノヤケウス
1985年 福島県
あるときに、伊達政宗が戦にやぶれて逃亡中に茂庭家の何代目かに救いを求めた。そのとき茂庭家では大きな臼を作っていたのでその下に政宗を隠した。追っ手がやってきて火をつけると大きな臼もガワは焼けたがその中の政宗は助かった。この臼を茂庭の焼け臼という。助かった政宗から自分が築城したらこれをもって会いに来いと書きものを渡されたので行くと、命の親として客分に迎えられたという。
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キョウガミネ
1956年 宮城県
萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
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ゴシンタク,サトミヤ
1931年 長野県
里宮は鎌倉時代からあったが、荒れてしまっていた。延宝か天和のころに冠者殿宮を造営しようとした時、山から切った木材を運ぼうとしても動かなかった。里宮の祟りだと思い伺いをたてると「我が宮を建ててから彼の宮を建てよ。神は逆礼を受けない」という御神託があった。その後、旱魃のときに里宮に願をかけると、5月27日の午の刻に雨を降らすというご神託があり、その後雨が降った。
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ヤマガミョウジン
1956年 宮城県
山家清兵衛公頼は伊達家に信任され、長子秀宗の懐守役となり、元和元年(1615)秀宗が宇和島十万石の封に就くとき、付け家老として従う。公頼の忠誠は上下の信頼を集めたが、家老桜田監物がそねみ讒訴したので、秀宗は公頼の屋敷を襲って殺させる。時に元和5年(1619)6月晦、公頼は死すともこの冤を雪ぐといって死ぬ。その夜仙台城の政宗の前に血まみれの公頼の姿が現れ、冤を訴える。政宗は怒って秀宗を勘当、監物以下次々に変死する。宇和島に和霊明神を建てて祀り、仙台にも立町通東二番丁南角の山家氏邸内に山家明神を建て、毎年6月晦に祭りを行なう。公頼が蚊帳の釣り手を切り落として殺されたというので、昔この夜は蚊帳をつらなかった。
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マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。
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コテング
1954年 三重県
上野市射手八幡神社は以前宮坊で、仏性寺といった。裏山に小天狗がいて、一時宮坊の再興に努めたという。数々の記録に小天狗の名がある。
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(ナナフシギ)
1956年 宮城県
満興寺(まんこうじ)は曹洞宗、永徳2年(1382)の開山。伊達政宗が狩りに行くたび休息したという元の建物は政宗の造営で、その位牌を安置する。境内に一夜で生えたという樹齢数百年の桂があり、山号を大桂山という。七不思議で名高い。
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スミヨシジンジャ,イヌガミ
1944年 山口県
住吉神社の氏子が所々いる。これは住吉神社の氏子には、イヌガミがつかないといわれるからである。
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タケジョ,シウン,イコウ,ムソウ
1983年
元和寛永の頃、武蔵国比企郡に戒行堅固という、日頃から正身の大日如来を拝みたい僧がいた。そして出羽の羽黒山に登山した時、夢想に江戸にいる佐久間某の召使い竹女を拝せという。そこで江戸に向かうと、佐久間某も同じ夢想があった。そして竹女を拝むと、全身から光明を放っていた。寛永15年3月21日の暁に、屋上に紫雲がたなびき、異香が漂っている中で竹女は大往生を遂げたという。
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ジングウコウゴウ,スミヨシノカミ,フナダマノカミ
1935年 千葉県
房総では船玉神として住吉の大神を祀る。神功皇后が三韓征伐の際に住吉の神を祀り、諸神が神功皇后を助けて順風を起し、三韓を征伐したために、帰国の後に摂津住吉に三神を祭った。以来船玉様として住吉の大神を祀る。
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アラマキノモンジュ,ユメノツゲ
1956年 宮城県
相馬中村の山伏佐藤八大院長秀は、弟甚次郎定次と共に父の仇の山伏上之坊を大和大峯の果無し峠に討った。仙台に移って伊達政宗に召しだされ、嶺八郎と改めて禄若干を賜る。ある日文殊菩薩の埋木像が賢渕に沈んでいるのを夢想の告げによって引き上げ、これを本尊として荒巻山街道沿いの丘上に堂を建てた。昔は女の子が13歳になれば、知恵を授かるといって必ず参詣した。
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コテング
1954年 三重県
上野市愛宕神社は小天狗が建立したといわれ、その中に大福寺という宮坊があった。小天狗は坊の衆に忍術のことなどを尋ねたという。
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トウセンボウ
1941年 岩手県
強大な力を得た宗元は、桜を折っておいて近寄ってきた人がいると、桜を元の幹に戻すなどの嫌がらせをする。困った人々が、酒盛りに誘い酔った宗元を後ろから海に突き落とした。その亡魂が海風となり、とうせん坊の風と呼ばれている。
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イケナカノクラ
1913年 石川県
長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
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カミサマ,トリイ
1929年 富山県
神様が暴風で村を失った人に、かがり火をともして湖からできた陸を下さったというので、生地の字阿弥陀堂浜に西ノ宮と呼ばれる神社が建てられている。以前に宮のあった鳥居は、現在海底にあり、そのまま立っているので、もし近くに網を打つと、鳥居に引っかかってしまうと言う。
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シイノキ,シンボク
1986年 茨城県
古河城の出城諏訪郭に諏訪三河守が諏訪大社を勧請し、神木として椎の木を植えた。大木になったので近所の人が切り倒し、薪にした所祟りがあったという。
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レイブツ
1988年 愛知県
祐福寺の善導像は、漁師が海中から網で引き上げたものを光明寺に安置し、それから夢想によってこの寺に送ったという霊仏である。
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イシノタタリ
1972年 長崎県
小干神社近くの畑にあった石が祟ったという。キリシタンの墓あるいは処刑地であるといわれている。現在は個人宅に小さな宮があり、サクラ権現として祀られている。
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〔ヒモロギ〕,タタリ
1983年 京都府
御香の宮は八幡大菩薩の御母后神功皇后を祀っている。太閤秀吉公が伏見城を築いた時、神籬を東の岡に移動させた。これが神の御心に適わなかったのだろうか、しばしば祟りがあったので、太閤は驚き、神威を畏れて旧地に返し奉ったという。今の宮がある所がこれである。
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ボウレイ
1978年 広島県
名主の養子である宗信という男は仙養坊の善養院という修験山伏であり、法螺貝の名手であった。福山城主が宗信の腕をかって戦陣に立たせようとしたが、宗信は、法螺貝は仏具であり、戦のためのものではないといって拒絶した。そのため城主は宗信を処刑した。後日城主は宗信の亡霊に悩まされ、遂に城内に小祠を建てて祀った。
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