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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ボウレイ
1978年 広島県
名主の養子である宗信という男は仙養坊の善養院という修験山伏であり、法螺貝の名手であった。福山城主が宗信の腕をかって戦陣に立たせようとしたが、宗信は、法螺貝は仏具であり、戦のためのものではないといって拒絶した。そのため城主は宗信を処刑した。後日城主は宗信の亡霊に悩まされ、遂に城内に小祠を建てて祀った。

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ツグノブ,レイ
2001年 香川県
至徳元年に、奥州の佐藤一門の空信という僧が、佐藤次信の墓に来て、「痛わしや君の命をつぎ信がしるしの石は苔衣きて」と追悼の和歌を詠じた。空信はこの石碑の辺りに一夜泊まったが、その夜に次信の霊が現れて、「惜しむともよも今迄は存らへし身を捨てこそ名をばつぎ信」と詠んだ。
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ツグノブ,ボウレイ
2001年 香川県
石屋和尚が八島の浦を渡るときに次信の墓を見て、「あわれなり名をはのこせる次信かはかは八島の浦にこそあれ」と読むと、次信から、「哀れとも事問う人のはかなさよ身を捨ててこそ名を残しけれ」と返歌があった。
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ツグノブ,ボウレイ
2001年 香川県
奥州の佐藤次信の末裔が、永徳年中に西国巡礼中に、佐藤次信の墓にやってきて「痛や君の命に次信の印の墓は苔ころも着て」とよむと、「惜しむともよもいまてはなからえし身捨こそ名をはつきのふ」と空に返歌があった。
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サクラソウゴロウ
1972年 三重県
佐倉宗五郎の芝居をすると祟る。
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キョウガミネ
1956年 宮城県
萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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モニワノヤケウス
1985年 福島県
あるときに、伊達政宗が戦にやぶれて逃亡中に茂庭家の何代目かに救いを求めた。そのとき茂庭家では大きな臼を作っていたのでその下に政宗を隠した。追っ手がやってきて火をつけると大きな臼もガワは焼けたがその中の政宗は助かった。この臼を茂庭の焼け臼という。助かった政宗から自分が築城したらこれをもって会いに来いと書きものを渡されたので行くと、命の親として客分に迎えられたという。
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ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
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イッポンツノノウマ
1978年 愛媛県
宝暦元年の頃、一本角の馬が宗楽寺の近くに現れ、田畑を荒らし家畜をおそった。皆は困り、宗楽寺の和尚に相談をした。白元和尚は秘仏本尊の前にひれふし、二夜三回の回伺をした。満願の日の午の刻に、宗楽寺の裏山に馬が現れ、天に向かって叫ぶと倒れた。
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トウセンボウ
1941年 岩手県
人に鬼のように怖がられる宗元は、人の嫌がることをやってきた。人に嫌われた宗元は、子供を盗んで、山を移動して、とうせん坊と名乗った。人と共に酒宴を開いて、飲んでいたところを、後ろから海に突き落とされ、亡魂となりとうせんの風を吹かせるようになった。
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ヤマガミョウジン
1956年 宮城県
山家清兵衛公頼は伊達家に信任され、長子秀宗の懐守役となり、元和元年(1615)秀宗が宇和島十万石の封に就くとき、付け家老として従う。公頼の忠誠は上下の信頼を集めたが、家老桜田監物がそねみ讒訴したので、秀宗は公頼の屋敷を襲って殺させる。時に元和5年(1619)6月晦、公頼は死すともこの冤を雪ぐといって死ぬ。その夜仙台城の政宗の前に血まみれの公頼の姿が現れ、冤を訴える。政宗は怒って秀宗を勘当、監物以下次々に変死する。宇和島に和霊明神を建てて祀り、仙台にも立町通東二番丁南角の山家氏邸内に山家明神を建て、毎年6月晦に祭りを行なう。公頼が蚊帳の釣り手を切り落として殺されたというので、昔この夜は蚊帳をつらなかった。
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ウマ
2001年 東京都
浄福寺の、狩野法眼之信の絵馬の馬が田畑を荒らし、人に怪我をさせたので、手綱を描き添えた。
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ウマ
1936年 香川県
名馬・太夫黒が討ち死にした主人・佐藤継信の墓前で死んだ。馬塚を建てて鎮魂した。
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トウセンボウ
1941年 岩手県
強大な力を得た宗元は、桜を折っておいて近寄ってきた人がいると、桜を元の幹に戻すなどの嫌がらせをする。困った人々が、酒盛りに誘い酔った宗元を後ろから海に突き落とした。その亡魂が海風となり、とうせん坊の風と呼ばれている。
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オヒメサマ,ヘビ,リュウ
1995年 愛知県
福富信蔵という男の下に夜な夜なきれいなお姫さまがきて話をしては入鹿池に飛び込んで、蛇になり、龍になりして消えた。男に嫁に貰ってもらえなかった女が怨んで出たという。
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ダイジャ
1963年 愛知県
城主が昼寝をしていると飼い犬がうるさいので、首を切って殺した。犬の首は大蛇に噛みついて、城主の命を救った。城主はこの忠犬の首を祀って、犬頭霊神と呼び神社の祭神とした。
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オニ,サツキセック
1940年 秋田県
軒先に蓬と菖蒲を刺すのは、鬼が近づけないようにである。一向宗の家では大方の行事をしない。
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ネズミニコロサレタハナシ
1956年 宮城県
享保の頃(1716~1736),仙台城下での話。享保5(1720)年4月新妻胤信より採集。伊藤氏の家来の六兵衛が鼠の妖災によって病に臥し,危篤になった。ある夜亥の刻頃,伊藤氏の義兄新妻胤信が様子を見に行くと,六兵衛は毎夜安眠できずすっかり疲労していると嘆いた。胤信が慰めていると,何処からともなく大小の鼠が6,70匹ばかり現れ,寝床の辺を這い回る。六兵衛がいくら追い払っても効果がなく,家人が来てようやく追い払った。六兵衛の話では,毎夜このような状態で医師も祈祷も効かず殆ど寝られないという事であった。間もなくして六兵衛は死んでしまった。鼠の祟りか何か,その辺の事情は不明である。
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テンニョ
2001年 沖縄県
『中山伝信録』では察度王は天女の息子と伝えられるが、ゴービルは言及していない。
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ツキモノ,キトウシ
1989年 長野県
動物や霊物など、特別な力を持つ物が人間に取り憑くことを憑き物という。中信地方ではキツネがほとんどである。こういったものを離して正常な状態に戻すための方法は様々あるが、そのうち最も多い物は祈とう師によるものである。
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(ナナフシギ)
1956年 宮城県
満興寺(まんこうじ)は曹洞宗、永徳2年(1382)の開山。伊達政宗が狩りに行くたび休息したという元の建物は政宗の造営で、その位牌を安置する。境内に一夜で生えたという樹齢数百年の桂があり、山号を大桂山という。七不思議で名高い。
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トリノハカ,ネコ,ユメノツゲ
1956年 宮城県
青竜山宗禅寺の山門入って左にある「鶏の墓」の由来譚。寛文年間,宗禅寺の住職の夢に鶏が現れ,主人が飼猫に毒殺されようとしていることを告げる。これによって難を逃れた主人は供養碑を建てて鶏を厚く供養した。また,この怪猫の死骸を埋めると,翌年その眼窩から大瓜が沢山実った。
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