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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

モニワノヤケウス
1985年 福島県
あるときに、伊達政宗が戦にやぶれて逃亡中に茂庭家の何代目かに救いを求めた。そのとき茂庭家では大きな臼を作っていたのでその下に政宗を隠した。追っ手がやってきて火をつけると大きな臼もガワは焼けたがその中の政宗は助かった。この臼を茂庭の焼け臼という。助かった政宗から自分が築城したらこれをもって会いに来いと書きものを渡されたので行くと、命の親として客分に迎えられたという。

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キョウガミネ
1956年 宮城県
萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
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イケナカノクラ
1913年 石川県
長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
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(ナナフシギ)
1956年 宮城県
満興寺(まんこうじ)は曹洞宗、永徳2年(1382)の開山。伊達政宗が狩りに行くたび休息したという元の建物は政宗の造営で、その位牌を安置する。境内に一夜で生えたという樹齢数百年の桂があり、山号を大桂山という。七不思議で名高い。
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ニワトリイシ
1967年 福島県
伊達政宗が二本松城を攻めたとき、鶏石が鶏の鳴き声をしたので夜が開けたと思い兵を引き上げたといわれている。
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キノシタノヤクシ
1956年 宮城県
伊達政宗が大崎義隆と戦って旗色がわるかったとき、48人の法師武者が現れて敵を切り崩し、伊達勢に勝利をもたらした。政宗が「いづこの御僧か」と尋ねると、宮城野の木ノ下の住人とのみ答えて姿を消した。家臣に調べさせると野中に石殿があって薬師如来が安置してあった。その夜、夢の告げでこの薬師如来の加勢であったことを知った。
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マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。
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テング
1932年 群馬県
上総の千葉左衛門経政は、一子相満を船尾山水澤寺にあずけた。相満が14歳になったとき、行方不明になった。経政は息子を和尚が隠したと思い寺に火をつけた。炎の中に白髪の老人が現われ、背後に息子の姿が見えた。息子が天狗にさらわれた事を知った経政は谷間で自害した。村人は憐れんで経政神社を建てて、その魂を祀った。
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ウス
1916年 山口県
空の臼をつくと、鬼が来る。
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オダイシサマ
1985年 愛媛県
年に一回、床の間に臼を置いておくと、夜、お大師さまが来て、臼の目切りをしてくれる。
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スミヨシ,マツ,スワジンジャ,ダテマサムネ,ユメ
1956年 宮城県
国分三十三邑一ノ宮諏訪神社の別当宮ノ坊が寛永11年(1634)大晦日と翌元旦、「世を永く保つ心は政宗の世界静かに住吉の松」という夢想の歌を得て、これを政宗公に告げる。公は宮ノ坊に金を与えて、夢想披きの式を、近くの栗生西館に隠居していた元国老の茂庭了庵延元宅で行わせた。また延元を奉行として現在の社殿を建てて諏訪夢想大明神と号した。その神木が住吉の松である。
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ソウシキ
1939年 長野県
葬式から帰ってきたときには、家の入り口に臼と杵を出しておく。杵で臼の中を二三回搗いてから、家に入るという。
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ハナサカジジイ
2000年 東京都
(犬の)お墓に1本の木が生えてどんどん大きくなった。この木を切って臼をつくり、餅をついたら臼の中からお金がざくざく出てきた。
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シロイイヌ
2001年 青森県
どれほど経っても犬が帰ってこないから迎えに行ったところ、死んでしまったと告げられた。爺さんはその死骸を引き取っていって家の栃の木の下に埋めたが、やがて木が大きくなりすぎてしまったので、これを伐って臼を作った。すると、その臼でついた餅が、大判小判となった。それを見た隣の爺さんも儲けようと思って臼を借りたが、ついた餅は犬や牛の糞になってしまった。怒った隣の爺さんは、この臼を割って燃やしてしまった。
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ヤマガミョウジン
1956年 宮城県
山家清兵衛公頼は伊達家に信任され、長子秀宗の懐守役となり、元和元年(1615)秀宗が宇和島十万石の封に就くとき、付け家老として従う。公頼の忠誠は上下の信頼を集めたが、家老桜田監物がそねみ讒訴したので、秀宗は公頼の屋敷を襲って殺させる。時に元和5年(1619)6月晦、公頼は死すともこの冤を雪ぐといって死ぬ。その夜仙台城の政宗の前に血まみれの公頼の姿が現れ、冤を訴える。政宗は怒って秀宗を勘当、監物以下次々に変死する。宇和島に和霊明神を建てて祀り、仙台にも立町通東二番丁南角の山家氏邸内に山家明神を建て、毎年6月晦に祭りを行なう。公頼が蚊帳の釣り手を切り落として殺されたというので、昔この夜は蚊帳をつらなかった。
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ボウレイ
1978年 広島県
名主の養子である宗信という男は仙養坊の善養院という修験山伏であり、法螺貝の名手であった。福山城主が宗信の腕をかって戦陣に立たせようとしたが、宗信は、法螺貝は仏具であり、戦のためのものではないといって拒絶した。そのため城主は宗信を処刑した。後日城主は宗信の亡霊に悩まされ、遂に城内に小祠を建てて祀った。
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カッパ
1985年 福島県
5月4日には中茂庭では、河童にあげるといって餅を1つ川に流した。
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テング
1967年 栃木県
宇都宮神社の臼ぬき様は天狗で、お産の神様。臼ぬき様に安産祈願して叶ったら、お礼に1臼の餅を1重ねにして奉納する。その餅は妊婦などに分けると良い。
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キツネ
1984年 大阪府
昔、八尾の太田から土臼ひきに手伝いに来てもらっていた。夜の2時頃、臼をひきおわって帰るとき、きれいな女の人が堤の所に出た。
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オニスルスイシ
1956年 宮城県
甲冑堂の東二町、岩倉山の鬼が旅人を捕らえて臼でひいて食った。この臼が石と化した。
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オシラサマ
2002年 岩手県
馬を殺された娘が家を出るとき、父親に春の3月16日の夜明けに臼の中を見るようにと告げる。娘は馬と共に天へ飛び去り、娘の言うとおり臼を覗くと、中には馬の頭をした白い虫が湧いていた。
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