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検索対象事例

マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。

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ニワトリイシ
1967年 福島県
伊達政宗が二本松城を攻めたとき、鶏石が鶏の鳴き声をしたので夜が開けたと思い兵を引き上げたといわれている。
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タカモリジョウ,〔ソバゴメザカ〕
1956年 宮城県
伊達政宗がこの城の今市某を攻めた時、山城で井戸がなく、水は利府の神谷沢から運んでいるのを知って水の手を絶った。城方は寄せ手を欺き、白米と蕎麦粉を高いところから落として馬の脚を洗うふりをしたが、鴉がとまったので計略がばれて落城する。城の西側、青麻道の辺りに蕎麦米坂というところがあって白い米粒のような砂と蕎麦粉のような砂が見られる。落城した後、米と蕎麦が砂に化したという。
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イケナカノクラ
1913年 石川県
長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
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ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
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キョウガミネ
1956年 宮城県
萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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モニワノヤケウス
1985年 福島県
あるときに、伊達政宗が戦にやぶれて逃亡中に茂庭家の何代目かに救いを求めた。そのとき茂庭家では大きな臼を作っていたのでその下に政宗を隠した。追っ手がやってきて火をつけると大きな臼もガワは焼けたがその中の政宗は助かった。この臼を茂庭の焼け臼という。助かった政宗から自分が築城したらこれをもって会いに来いと書きものを渡されたので行くと、命の親として客分に迎えられたという。
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ヒカクノシロ
1931年 宮城県
館山という山にはかつて城があり、渋谷某という小大名が篭っていた。伊達正宗がここを攻めようとしたが、攻めるはずの城の影も形もなくなっていた。城を厳重に取り囲んだところ、真夜中に鳥の羽ばたきの音と共にまた城が消えてしまった。しかし、ある武者が裏切って、山が鶴の形をしているから城が飛ぶのだと教え、山の形を変えてしまったので、城は動くことが出来なくなり、落城したという。
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〔ボウフリダ〕
1956年 宮城県
天正18年(1590)、葛西大崎一揆の時、伊達政宗が黒川月舟の鶴巣城を攻めたが落ちない。農家で水を飲んだとき、そこの老婆がこの城は鶴の形ゆえ頭のところを断てば落ちると教えた。城を落としたのち褒美に金をやるといって老婆の首を斬る。その首は飛んで田に落ちる。以来、田植えになると髪を振り乱した老婆の亡霊が現れ、棒を振り回して邪魔をしたので、今も耕作しない。
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ダイジャ
1932年 島根県
昔、毛利氏が丸山にあった城を攻めた時、城には2匹の大蛇がいて、交替で濃霧を吐いて城を隠すので攻めあぐねていた。小春日和のある日のこと、長い籠城に飽いた若侍が小蛇を矢で射た所、屋根から落ちた小蛇は、地上に落ちた時には丈余の大蛇となった。その後霧を吐く蛇がいなくなり、城は落ちた。
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テンノコニギリ
1956年 宮城県
宮城郡岩切(現在の仙台市)の鴻ノ館が敵に包囲され、水源を絶たれて水がなくなったとき、館の中に水があるようにみせかけるため米を流したところ、鳥が群がったために見破られた。この伝説を忘れないように、餅米の原料を水飴で固めた菓子に、鳥を表す黒豆をあしらったものを売り出したという。
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テング
1932年 群馬県
上総の千葉左衛門経政は、一子相満を船尾山水澤寺にあずけた。相満が14歳になったとき、行方不明になった。経政は息子を和尚が隠したと思い寺に火をつけた。炎の中に白髪の老人が現われ、背後に息子の姿が見えた。息子が天狗にさらわれた事を知った経政は谷間で自害した。村人は憐れんで経政神社を建てて、その魂を祀った。
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(ナナフシギ)
1956年 宮城県
満興寺(まんこうじ)は曹洞宗、永徳2年(1382)の開山。伊達政宗が狩りに行くたび休息したという元の建物は政宗の造営で、その位牌を安置する。境内に一夜で生えたという樹齢数百年の桂があり、山号を大桂山という。七不思議で名高い。
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キノシタノヤクシ
1956年 宮城県
伊達政宗が大崎義隆と戦って旗色がわるかったとき、48人の法師武者が現れて敵を切り崩し、伊達勢に勝利をもたらした。政宗が「いづこの御僧か」と尋ねると、宮城野の木ノ下の住人とのみ答えて姿を消した。家臣に調べさせると野中に石殿があって薬師如来が安置してあった。その夜、夢の告げでこの薬師如来の加勢であったことを知った。
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レイ,ボウコン
1929年 青森県
高館でも、ある城で水の手を切られて困ったことを隠さんが為に、馬に白米を注ぎかけて水で洗っているようにみせかけようとしたが、見抜かれて弱点をつかれ終に落城した。城主は馬で新法師という村に走り込んで戦死し、其の後作られた塚からは霊が祟り、落城の際に死んだ者の亡魂が現れた。
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タタリ
1957年 熊本県
人吉城が攻め落とされた際、山田城の長続が城を奪い返して堯頼を帰城させようとしたが堯頼が死亡した為、長続が後を嗣いだ。その後、城を攻めた頼観兄弟を滅し、その首をさらしたところ祟りがあった。
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オオモリジョウ,チ
1967年 福島県
大森城は平ヶ城とも白鳥城とも呼ばれていた。この城を破却した時、この道の堀を切ったところ、土のそこから血が流れ出したという。
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ホンジョウヤマノシロ
1931年 千葉県
本城山にはかつて、臆病な殿様が城を築いていた。酒井小太郎の大軍が攻めたとき、城は山の頂きと共に高くなり、一向に近づくことができず、引き返すとまた、元のように低くなった。しかし、臆病な城主が抜け穴のトンネルを掘ったことで城は奇跡を行う力を失い、城は落ちた。山の咽喉を切ったのが悪かったのだと言われた。
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ダイジャ
1989年 長野県
天正十年、織田軍が武田軍を破るために攻め込んできたとき、台城の下の淵から大蛇が霧を吐き、城が霧に包まれたので攻めあぐんだ。淵に住む大蛇の仕業だと言うことで、淵に矢を打ち込んで、とうとう大蛇を殺した。その後霧は出なくなり、城はまもなく落ちた。以後、城を大蛇ヶ城という。
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(ゾクシン)
1942年 岐阜県
箸が折れるのを忌む。2本持って、外側が折れると他人が死に、身に近い方が折れると自分か近親者が死ぬという。
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カタメノヘビ
1949年 福井県
天守閣を建てる際、人柱を立てる事になり、片目の男が自ら名乗り出て、必ずお城を守ると言って生き埋めになった。お城の蛇が片目なのはこのためで、城が大軍に攻められると、蛇は霞を吹き出して救った。
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ウシイシ
1956年 宮城県
大館城には水の手がなかったので、下の沢から樽につめ、牛の背につけて運んだ。落城の後、その牛が石となった。
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