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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ゴリョウ
2000年 京都府
応永25年に足利義嗣は兄義持によって林光院に幽閉中に殺される。応永31年6月14日に、将軍足利義量が病臥したおりに、「故林光院御事」をしばしば口走った。義持は義嗣の怨念であろうかと思い、醍醐の満済に相談したところ、ひたすら故林光院の霊を弔うことが大事という意見であったので、7月4日から7日間将軍義量のために将軍御所において愛染護摩供に法華供、光明真言供をあわせた祈祷が修された。

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ウラミ
1943年 山形県
東林坊は智憲院や能林院の陰謀に加担したために僧・天宥の怨みの念をうけ、次第に没落して見る影もなくなった。
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シシミサキ
1957年 愛媛県
城辺町僧都にはシシミサキという場所がある。比叡山焼き討ちの時、上岡道近の供の人がホバシロ山に隠れた。僧都のある人が追っ手を指揮し、その指示通りに供の人の犬を連れて猪狩りをすると、子が泣いて隠れ場所がわかり、供の人は捕らえられ、殺された。供の人は、山の神の姿となり、敵を指揮した人の家に猪を出した。そこをシシミサキと言っている。
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ナナフシギ
1915年 栃木県
足利学校や、寺社などの建造物に関する、足利の七不思議。
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ダイジャ
1932年 愛知県
文明年間、鳴海高橋の鶯好きな郷士が、良い鶯がいると聞いて、供の男1人と入鹿の里を訪れた。鶯を求め山中に入ったが見つからない。帰ろうとすると、供の男がいなくなり、大蛇がとぐろを巻いていた。さてはと思い大蛇の腹を裂くと、中から供の男が出てきた。入鹿の里まで出て人を雇って羽黒村まで送らせたが、榎というところまで来ると毒が廻って死んでしまった。
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イチョウノセイ
1955年 山形県
正光院の大銀杏は、住職が碁盤にしようとしたとき、女の姿になって三日三晩夢枕に立ったので、切るのを止めた。
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ヘビ,タムラショウグン
1974年 宮城県
島流しにされた田村将軍が、女に化けた蛇との間に子どもを作った。
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ムジナ,チョウチン
1974年 茨城県
山王様の下で子供の頃、提灯の光を見た。兄が迎えに来てくれたと思い、兄の名を呼んだが返事がなかった。それでも呼び続けていたが、提灯の光はフッと消えた。
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ムジナ
1923年 神奈川県
狢が人を送り、その後は林の中でがさがさと音を立てる。
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シリョウ,タマ
1941年 岐阜県
山の中を歩いているとき、供の者が主人を殺し、死体を竹薮に放ったまま山を下りた。そこへみずぼらしいお坊さんがやってきて、「お前は殺した死骸に取り付いていないと死ぬ」と忠言する。そこで供の者が主人の死体に取り付いていると、朝になると魂が戻ってきて「今日も探し出せんで残念な」と言って死体に入る。夕方また出て行って「今日は地を六尺掘っても探し出す」といい、そのたびに大きな音を立てる。三日目「この位探しても見つからないならあの男は死んだに違いない。これで成仏できる」といって魂は死体に入った。供の男は助かった。
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キツネツキ
1991年 愛媛県
昔、狐が憑いた人がいた。法院で祈祷してもらったが、治らなかった。
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タマシイ
1939年 長崎県
2人の男が飛んでいた2つの光をステッキで叩いたり足で蹴ったりした。その光を追いかけると、光は家の中に入った。そこには婆さんと爺さんがいて、木で叩かれたとか、足で蹴られたとか言っていた。
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ヘビ
1966年 静岡県
昔、田村将軍が天竜川を渡ろうとしたときに、アリマタの池の蛇が松の木を倒して渡してくれた。そして蛇は田村将軍の妻になり、9尺四方の部屋で子を産んだ。ところが、蛇が赤子の腰のあたりのコケラ(鱗)を舐め取ってしまわないうちに田村将軍に覗かれてしまい、蛇は子どもを置いて逃げてしまった。その子は後醍醐天皇を祀る奥山の半僧坊に祈祷して鱗を取ってもらった。今でも「コケカクシ」という袴が祀ってあるという。
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イタチノアオボウズ
1990年 福島県
イタチの青坊主というものが、林から出てきて人を化かしたという。
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キツネ
1913年 和歌山県
昔、金剛院という山伏がいた。金剛院に驚かされた狐が仕返しに池の藻をかぶって金剛院に化けるようになった。ある時、他の山伏たちが金剛院に化けた狐を懲らしめるために袋叩きにした。けれども、化けの皮がはがれず、実は本当の金剛院だった。
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キツネツカウノトモガラ
1977年
中原康富記応永27年10月9日の条に狐を使うという理由で讃岐国に流された人のことがある。
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タヌキ
2000年 愛媛県
昭和50年頃までは、近道をしようと松林に入ったおばあさんが、林の中にタヌキが出てきた。それにみとれていたおばあさんは、林の出口が分からずに日暮れまで迷ってしまった。
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ヨゴショウグンノオクガタ
1959年 新潟県
ヨゴ将軍(平維盛)の奥方が身投げした川のほとりに、早朝、十二単が干してあるのを見ると悪いことが起きるので朝寝をする。ヨゴ将軍の墓の後ろにある大杉を舟の帆柱にしようとしたら、一夜のうちに土の中に潜ってしまった。
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ビシャモンテン,(アマゴイ)
1976年 大阪府
白河院の御宇、永保2年に旱が起こった。その時、大江神社(乾の社)の毘沙門天像を葭島にわたして雨を祈ったところ、たちまち霊応があった。以来、6月16日を夏祭りとして、神輿を葭島にわたし、神供をそなえていたという。
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テンペンチカイ
1978年
元禄年中は世の中が穏やかではなかった為、宝永と改元された。しかし天変地怪は続いたので天子は自らの不徳を嘆き、10歳の東宮へ国を譲り、宝永6年より本院御所と称し別に御所を造営し移られた。その後本院御所は奇怪が続き、程なく崩御があったので、御凶殿となり、建物は取り払われ空き地となった。
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カッパ
1924年 岩手県
東林家の座敷には海から河童が上がってくる。
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マサカド,クビ
1995年 滋賀県
滋賀県愛知郡の将軍塚は、将門の首を葬った所であるとされている。
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