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検索対象事例

オイツキサマ
1983年 岡山県
落合町下河内の下河内神社にも、当屋がオイツキ様を祀る習わしがある。

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オイツキサマ
1983年 岡山県
落合町上河内の熊野神社でも、当屋になると、屋敷の一隅に祠を設けてオイツキ様を祀る。
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オイツキサマ,ヤテイサマ,オンザキサマ
1983年 岡山県
勝山町横部の一宮神社の宮座の行事では、当屋になった者たちが祠を設け、オイツキ様、ヤテイ様(オンザキ様)などを祀ることとなっている。
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ベンジョガミ,フドウサマ
1983年 岡山県
落合町上市瀬では、便所神を不動様と呼んでいる。
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ワラニンギョウ,ジュソ,(ゾクシン)
2001年 福島県
藁人形二体を作り、村外れに縛りつける習わしがある。また、他の村でも立木の高い所に藁人形を縛り付ける習わしがあるという。
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ベンジョガミ,サスガミ
1983年 岡山県
落合町栗原では、便所神をサス神と呼ぶ。
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マリシテン
1983年 岡山県
落合町下方では、摩利支天を武士の守り神であるといっている。
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ウジガミサマ,ヤテイサマ
1983年 岡山県
久米町宮部下の国司神社の当屋ではトコの間に氏神を祀るが、その表の縁側は夜でも少し開けておくことになっている。それは、夜中、庭先に祀られているヤテイ様に氏神様が召されることがあるからなのだという。
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ミコガミ
1983年 岡山県
落合町田原では、屋敷の東端に小祠があって、そこでミコ神を祀っている。これは腫れ物の神とも、屋敷の守り神ともいう。家によっては、旦土や関にこの神を祀ったりもする。
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ミサキ
1983年 岡山県
落合町栗原不動寺の丘の東南斜面にある墓地の端には塚があり、ミサキを祀っている。この部落の別の山裾にある墓では、墓石とは別の自然石が置いてあって、これをミサキとして祀っている。
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マリシテン
1983年 岡山県
落合町上山では、元々玄朴医哲庵という医者の屋敷で祀っていた摩利支天を、東の山裾に移して屋敷神として祀っている。
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コウジン
1983年 岡山県
落合町下田原にある荒神の社地は元々田の中であったが、今は付近に人家がある。それは屋根などはなく、露天のままである。
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ヤテイサマ
1983年 岡山県
落合町下市瀬では、災難がある前に馬のようなヤテイ様という神の使いが、馬の走るような音とともに地響きのするような大きな叫び声をあげて通るという。これは不吉の予告であるから、神社に参拝して無難を祈る。
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マリシテン
1983年 岡山県
落合町では株内の祀る摩利支天が多いが、鹿田の陽堂では、家の前にある大岩の上に摩利支天を祀って福の神としているという。
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ヤマノカミコウジン,ヤマノカミ,タノカミ
1983年 岡山県
山の神荒神は山の神の荒神である。古くから、春に山の神を迎えて田の神として祀り、秋の取入れがい終わると再び山に送り返すという習わしがある。
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ナナフシギ
1920年 東京都
霊岸島の七不思議。落雷なし・南天木実のつくことなし・川口町に花屋という材木屋にあり・白銀町に糊屋という銭湯あり・港町に米屋というそばやあり・箱崎町の金毘羅の縁日が9日で10日ではないこと・圓覚寺の薬師は7月11日が縁日であること。
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コウジン
1983年 岡山県
落合町上田原にある荒神はその垣すらもなく、ただ少しの窪地がある所で、祭りのときにはそこに青柴を立てて供え物をするだけで特にそこに目印はない。
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バケイシ
1987年 山形県
神室山の化け石は、山中で美女に化けて出た。その石が今でも落合集落にある。
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オニ
1971年 岐阜県
落合と言うところに、畳10枚はある大岩があり、穴が開いている。鬼が出入りする岩だという。
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テング,カミカクシ
1960年 埼玉県
吉田屋の親戚の子が三つの時、子守に負われて落合の裏山へ栗拾いに行ったまま一週間見つからなかった。天狗にさらわれたということだがその子は元気に成長している。
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ジゾウサマ
1976年 大分県
三原家の庭には防空壕跡があり、地蔵様が祀られている。これは以前は山の上に祀られていたものを下に降ろしたまま祀らなかった。すると、三原家の死んだお婆さんの所に祀ってくれと地蔵様から指示があり、今の場所に祀ったという。
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フドウサン
1979年 徳島県
落合に不動さんが祀られている。道路を造るときに石を割ったところ、土方の腹が痛くなった。下を見ると不動さんが埋もれかかっていたので上に祀りなおした。
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