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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オオカミ
1986年 奈良県
昭和10年くらいまではオオカミがたくさんいたが、伝染病のために死んで、いまは全然いない。オオカミが殺したシカを拾って帰ると夜必ず家まで来て鳴く。これをシュウタンという。塩を一つかみやると帰る。山中でオオカミの殺した獣を拾ったときには、その場に塩を一つかみ置いてくるとシュウタンに来ない。

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オオカミ
1965年 和歌山県
オオカミを見たことが無い、という人に、「見せてやる」と言うと、オオカミは本当に出てくる。
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オオカミ
1965年 和歌山県
魚を持って夜歩いていると、オオカミがついてくるという。
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オオカミ
1982年 群馬県
話者の祖父の5代前のお婆さんが熊野神社の峠からの帰り、オオカミに行き会った。オオカミがお婆さんをくわえて橋の下に連れて行くと、40頭ほどのオオカミが続いてぞろぞろ通っていった。
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キツネ
1965年 和歌山県
新宮の玉木神社はオオカミの神を祀る。キツネのついた人を連れて行くと、オオカミの威力でキツネが落ちる。
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オイヌ,オオカミ
1987年 山形県
稲沢集落には昔、夜に山からオオカミが川なりに降りてきて、朝に川なりに帰って行ったという。オオカミは橋をウッチョウという狩猟罠の一種と思って、絶対にくぐらないのだという。
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(ゾクシン)
1982年 山形県
10月1日に生まれた人はオオカミにほられる(さらわれる)。
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オオカミ
1985年 和歌山県
昔は山に炭焼きに行ったときによくオオカミが出た。オオカミは怒ると怖いが、恩を知っていて、弁当や魚を食わしてやれば恩を感じて送り迎えしてくれるという。
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オオカミ
1986年 奈良県
山で弁当を食べたとき、箸を半分に折って捨てる。そうするとオオカミの魔除けになる。
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オオカミ
1989年 三重県
おくりオオカミは山の中を通ると家まで送ってくれる。人は家につくと塩を上げたりした。わらじを脱いで歩かないと、後ろからわらじを踏んで倒し、その人の上を飛び越えて人を食べたといわれる。
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マモノ,ヤマイヌ,(ゾクシン)
1988年 長野県
塩を買って帰るときは、山犬あるいは魔物がついてくるのでできるだけ午前中に買って帰れという。もし夜に家に入る場合は、塩の上に火をのせて入れという。
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オオカミ
1977年 和歌山県
白川氏の父・小四郎氏が近露に行く途中でオオカミが現れて飛びかかろうとした。小四郎氏が「和田の氏子を知らんのか」と言うと、オオカミは身なりをなおしてくれた。氏は礼を言って戻ってきたという。
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(ゾクシン)
1972年 岐阜県
弘法さんは塩が嫌いなので、塩を入れてはいけないという。
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オクリオオカミ
1992年 奈良県
明治2・30年の頃、夜遅く帰ってきたら、送り狼がついてきた。倒れると飛びつかれるので、気をつけてゆっくり歩いて帰った。家の入り口についたら、家の人に塩をまいてもらった。狼は塩を舐めて、去っていった。
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カジ,シオ
1950年 千葉県
夜に塩を買うと火事になる。
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シオノヤクシ
1956年 宮城県
塩出山の下に塩水が湧き、1人の老僧が塩を焼いて12人の童子に命じ村人に分け与えた。この塩によって村人は病気が治ったので、老僧を薬師の化身としてまつり、塩の薬師と称した。塩の湧いたところを塩河原、塩を煮たので塩出と呼んだ。
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ミツミネサン
1988年 群馬県
かつて星尾には三峰講があった。三峰サンは盗難除けの神様で、手拭いを落として拾おうとしただけでドロボウと間違われ、オオカミに喰われてしまうという。
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シオノイケ,シオノイ,シヨミズ
1989年 山梨県
塩のない奈良田の村の人々のために天皇が祈願したところ、たちまち塩の池が出現した。
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(ゾクシン)
1942年 不明
櫛を拾うときは、3度蹴って拾うと良い。
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ダイジャ
1983年 愛媛県
塩売りが淵辺で昼寝をしていると、淵の大蛇が出てきて塩売りを呑もうとした。すると塩籠に入れてあった剣が自然に抜け出て大蛇を撃退した。以来この淵をは「塩売り淵」と呼ばれるようになった。
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キツネ
1982年 東京都
狐に憑かれると狐の命令で動くようになる。タモトに毛があったり、油揚げを食べたりする。また、食べても食べてもやせ細る。狐を出すためにオオカミサマのカワを借りてきて、寝床に置くこともある。
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オオカミ
1984年 福井県
昔は、お産があるごとに産小屋を建て、そこで分娩していたが、あるときオオカミがきて小屋を襲って母子ともに犠牲になったために、以降形ばかりの産小屋を建てて入るまねをするのだという。このような風習は昭和20年代まで続けられていた。
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