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検索対象事例

レイカウ,オトコヤマハチマン
1978年
秀吉在世の頃家康が男山八幡宮に参詣して祈願した夜に霊夢を見た。僧に判じさせたところ徳川家の行く末を示していた。

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レイコク,エト
1978年
秀吉が在世中、家康が男山八幡宮に参詣し祈願したところ、その夜霊夢を見た。僧にその内容を判じさせたところ、六代目に移るのが容易でないといわれた。確かに綱吉の時に天下が乱れた。
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レイコク
1978年 京都府
太閤秀吉公在世の時、神祖が浪速より伏見城へ帰られた際に、氏神の男山八幡宮に参詣し、祈願のため通夜をしたところ、その夜に霊告があった。南光坊僧正に判じさせると、天下を握る事を意味しているということだった。
類似事例

ホウ,カイブツ
1976年 静岡県
徳川家康が駿河にいた頃、ある朝庭に肉人とでもいうべき小児くらいの大きさのものが現れた。遠くに追いやったが、ある人が言うにはそれは封(ほう)というもので、食べれば多力武勇になるという。
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ヤクシサン
1955年 静岡県
徳川家康が大平の薬師様に参って目が治った。もっと人里に祀ろうとしたが、吉原まで来たら動かなくなった。薬師様は大平が見えない所に行きたくなかった。
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ユウレイ,ボウコン
1978年
ある時秀吉が数奇屋で茶を点てていると利休の亡魂が現れ炉の側に座った。その眼中は光があり、呼吸に火気を出していた。秀吉が無礼であると叱責すると少し離れて座った。秀吉が数奇屋を出て御小姓に見に行かせると利休の姿は消えていた。
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カヤ
1937年 京都府
昔、秀吉が伏見城で病にかかり。回復の見込みがなかったとき、保津村のある家の庭先の榧で抜風呂を作って入浴すれば治るというので準備をしていたが、間に合わずに秀吉は亡くなった。
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タロウイナリ
1983年 東京都
立花左近将監が朝鮮出兵の際、石田三成の讒言によって豊臣秀吉の勘気を蒙った。その時立花は本国に帰らずに、江戸の浅草観音の前に移住すること8年に及んだ。そしてある夜の夢に白髪の老人が現れて、白木の三方に祇園守を載せて与えた。この老人が太郎稲荷であった。その翌日に徳川家康から召状が届き、本領を安堵されたという。
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ドコモジゾウ
1975年
ある地蔵堂の堂守をしていた老僧が、参詣人もないのでどこかへ移ろうとしたところ、その夜の夢に地蔵が現れ、「どこもどこも」と告げた。これは「どこへ行っても同じ事」というお告げだと考えた老僧は、生涯をこの堂で終えたという。
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テング
1972年 岡山県
天狗はさらに苫田群鏡野町、男山、雌山に飛ぶという。
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(アミダノシュツゲン),クハウメウ,タクセン
1983年 京都府・大分県
僧行教が筑紫宇佐八幡宮に参籠し修行していた所、八幡宮から託宣があり、王城の近所に移り天子を守護しようと告げた。その後、行教の袈裟の上に阿弥陀の三尊が現れたので、これを写して絵像にした。行教が筑紫を発ち山崎に登ると夢告があり、覚めると峰に光明があったので,そこに八幡宮を勧請した。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ
1974年 東京都
寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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テンヨリクルトイフモノ
2000年 静岡県
駿府城の庭に、四肢に指がなく破れた衣を着て青蛙を食べる乱髪の者がどこからともなくやってきた。どこから来たのか尋ねると、天から来たと言った。家来が殺そうとしたが、徳川家康の命令により、城外に放った。
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コマクラ,アサ
1967年 福島県
相馬郡加島町の男山八幡宮では、拝殿にたくさんの小まくらが奉納されている。産婦はそれを借りてきてまくら元におき、ともにいただいてきた麻を出産の際髪をたばねるのに使う。安産後のお礼参りのとき、新しいのを添えて古いのをおかえしする。
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オタヌキサン
1976年 愛媛県
いなか道で夜に追いはぎが出現することがある。大宮八幡宮の宮司が日が暮れて帰るとき、大宮八幡宮社の定紋の入ったちょうちんが現われて家まで導いてくれた。
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シモヤマダイミョウジン,レイコ
1951年 鳥取県
元徳2年、大山参詣の際に闘死した武士の塚があったが、その塚に霊狐が住み種々奇異を示すので、これを神として祭ったものが下山大明神である。
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ユメ,ロウソウ
1985年 高知県
夢の中に現れた小僧が示した場所に行くと、老僧が待っていて体全体に円を書いた。そして息を三度吹きかけると、病気が治った。
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タタリ,カワカミハチマングウ
1934年 三重県
関ヶ原の戦いの時、大谷刑部の首を、家臣が菖蒲の根元に葬ったのを、柚師が見ていて、自分が討ち取ったと家康に申し出て、伊勢の藤堂家の祖となった。刑部の首は川上八幡宮に葬られたが、祟ったので、藤堂家の当主が参拝することはできなくなった。
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ヤクビョウガミ
1964年 福島県
疫病神はむしろ来訪されないように祈願する。
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オマンエノキ,ナナフシギ
1931年 東京都
徳川家康の妾のおまんの方が歯痛で困っていた時、千寿院の僧侶が榎の枝で楊枝を作った。おまんがその楊枝を一寸歯にあてるとすぐに歯痛が治ったという。千駄ヶ谷の七不思議の一つである。
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カタメシイアルヘビ
1976年 京都府
一病僧が宇治に安居していたところに、ある日、いつも出入りしている芋売りの男が行ったところ、門から片目盲ある蛇が入っていった。男は何となく恐ろしく思い、近くの家に入った。その時病僧は死んだ。その因縁とは、この僧が某国で醜い眇めの女と馴染んだが、僧はその内女が疎ましくなりその地を去った。しかし、その後も尼になり付きまとった。その後に僧は宇治に来たのだと言うことだった。
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(ゾクシン),コウボウサン,(サワリ)
1935年 滋賀県
海津村にいた彌右衛門という按摩の名人は、晴眼者だが、旅の僧から按摩術を授けてもらった。本人は、あの僧は弘法さんだったろうといっていた。患者の腹に手を当てて、「これは宅地内の木をなぶったからだ。元通りにして詫びないと、揉んでも治らない」などと判じることがたびたびあった。民間薬のこともよく知っていたという。
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