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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

キシ
1976年 京都府
都良香が羅城門を通った時に、歌を詠んだところ、門の上から声がして下の句を詠んだ。その話を聞いた菅原道真がその下の句は鬼詞であると言った。

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ミヤチヨヅカ
1956年 宮城県
松島寺に宮千代という美童がいて、和歌を詠んだ。あるとき宮城野で月を眺めて「月は露露は草葉に宿借りて」と上の句を詠んだが下の句が詠めない。そして間もなく病死する。里の人々が葬ってやると、毎夜塚の底から「月は露」という声がする。松島寺の徹翁禅師が来て「それこそそれよ宮城野の原」と下の句を手向けると、以後声はしなくなった。塚には秋に美しい紫色のスミレが咲いたという。
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カミ
1978年 東京都
天明5年6月3日から9日まで亀戸天神で雨乞い歌会をした。祈っている間は雨が降るが、それ以外は降らなかったので、9日に和歌の上の句を詠んで祈ったところ、11日の暁に夢告で下の句が詠まれ雨が降った。
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ナルユルリ,オショウノレイ
1940年 秋田県
ある寺の和尚が囲炉裏の灰をならしながら発句をしたが、下の句を考え付けないまま亡くなった。その未練で囲炉裏がガタガタと奇妙な音を出すようになり、寺に誰も住めなくなった。賢い小僧が下の句を付けると、和尚は化けて出なくなった。
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コリ
1974年
物を調伏するとき、その名を切って歌に詠み込む。北条氏康の城中で狐が鳴くので歌に詠んだところ多くの狐が死んだ。毎夜狸が馬を驚かせるので歌に詠んだら狸は来なくなった。
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レイム,スガカミ
1977年
先祖伝来の菅原道真真筆があり、毎年正月25日に祭礼をしていたが、3年間ほど途絶えたことがあった。宝暦2年正月25日の夜丑三つ時、主の夢に菅原道真の神影が現れ歌を詠んだ。ありがたいことだと、以降毎年正月25日には祭礼を行うようになった。
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イバラキ
2001年 京都府
都王城西の方、羅聖門で渡辺綱が茨羅鬼と出会い、茨羅鬼の左腕を切り取った。その腕は美濃国まで飛び、茨羅木はどこかに飛び去った。都に腕を送ったが、その腕は7日7夜の間5指が開閉したという。
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テング
1977年
赤羽川のあたりに一人の天狗が住んでいたが、弓術は下手で、普通の天狗より鼻が高く、歌を詠んだりするが他の歌を詠む天狗の仲間には入らなかった。文政の頃、神田や新堀、本所の天狗と戦ったことがあるが一度も負けなかった。
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メイドウ
1976年 徳島県
鳴門が強く鳴り、雷のように響いた。都で評議があり、小野小町に勅が下され、小野小町が下向して和歌を一首詠んだところ、鳴動はたちまち止んだ。淡路国の行者が嶽の下の海端にある小町岩の上で、小町は歌を詠んだという。
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ボウレイ
1974年
亡霊に水を供える事は日本に昔からある事である。『日本書紀』の歌にも詠まれている。
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ボウコン,チゴノミヤ
1977年 宮城県
松島瑞巌寺の児が歌を上の句しか詠めずにいる間、病に罹り亡くなった。児の執念は宮城野の原にとどまり、雨の夜に上の句を叫んだ。名高い雲居禅師は宮城野に行き、下の句を詠んで亡魂をしずめ、児の宮をつくった。
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ケシン
2004年
菅原道真は観音の化身で,王法を守るためにわざと流罪になった。
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ヒョウスベ
1963年
ヒョウスベが菅公に悪戯をしたが腕を切られてしまい、やっと返してもらった代わり、何か御礼をしましょうと約束したという。その時詠んだ歌が「ヒョウスベの約束せしを忘るなよ川立男我も菅原」である。
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キツネ
1980年 和歌山県
狐に騙されたときは、小倉百人一首を詠むとよい。
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カッパノテ
1988年 福岡県
天満神社の宝物の一つには河童の手がある。菅原道真が左遷されたとき、追っ手に討たれようとしたところを筑後川の河童が助勢して手を切り落とされたのだという。道真がそれを弔いまつった。
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ホトトギス
1934年 新潟県
順徳帝が佐渡に流された折、時鳥のなく声を聞いて、『啼けば聞く聞けば都の戀しさに此里過ぎよ山ほととぎす』と詠んだところ、時鳥はまったく啼かなくなった。
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オニ
1980年
日本の鬼とは、鈴鹿山と大江山と羅城門の3所にすむのが有名だが、それらは強盗や里を追われた力の強い者のことを指しているという。
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シュテンドウジ,イバラキ
2001年 京都府
正暦3年3月26日に大江山に登る。鉄門があり、酒田公時が打ち破る。都から持参した銘酒を鬼に飲ませる。酒呑童子は肴に人間の腕を取り出す。酒呑鬼は17、8歳に見える美男であった。酔って奥の一間に入り、正体を顕して寝入る。丈は9尺8寸もある。各々声をかけ目を覚まし、一言王の怨みと言い首を打った。その頭は天に飛び上り、頼光の頭に食いつく。渡辺綱は茨羅鬼の部屋に入る。茨羅鬼は綱の姿になる。大勢押しかけたがどちらが本物かわからない。頼光が都の綱には額に痣があるといい、急に眉間の上に痣の出たほうを退治した。外の鬼も撫で
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ワカ
1976年 静岡県
東海道金谷の駅で吉川惟足が神道の講釈をしていたとき、蛙がさかんに鳴いてうるさかったので、「暫くは先何地へも出ていねやがてかへるの名には逢ふとも」と詠んだ途端に鳴き止んだ。また、次の日の夜にかえるが鳴いたので、「頓てとは詞の花のつやと見てちりゆけはなと元へ帰らん」と詠んで後、そこで蛙は鳴かなくなった。
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アマゴヒワカ
1975年 広島県
備前国の水野義風という武士が、主人に命じられ雨乞いの歌を詠んだ。百姓は喜んでこれを持ち帰り、産土神に供えて効験を得たという。それから今に至るまで、日照りの時にこの歌を出して祈ると、必ず雨が降るという。
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(アメヲトメルワカ)
1974年
烏丸光広という公家が雨を止める和歌「祈るより水せきとめよ天河これも三島の神の恵に」を詠んだところ忽ち止んだという。また春日祭で上卿を務めた時も「ふらばふれみかさの山の雨なればさしては何かくるしかるべき」と詠んで雨を止めたという。
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ヨウジ
1926年 大阪府
鳥飼村に菅原道真が左遷の折に楊枝を地に挿して身の末を占ったところ、成長して柳になった。
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