ガマ,ヘビ 1974年 東京都 文政3年11月中旬、ある夫婦が東叡山根岸の弁才天の祠に参詣した。その夜に、下男の夢に蝦蟇が現れた。台所の流しの下に住む癩蝦蟇だと言う。今日参詣した際同道した婦人の月の障りの為にそこに住む蛇の行法が破れた。その蛇が仕返しに来るが守ってやると言った。翌日流しを見ると大きな蝦蟇が死んでいた。主人の夢の中に蝦蟇が現れ、自分は死んだが、数々の種を残したので、なお主人の家を守ると言った。翌日の夜、今度は蛇が現れて、自分もこの家を守ると語った。
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タコ 2002年 山口県 昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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ガマ 1976年 大阪府 桓武天皇の延暦3年5月、蝦蟇が2万匹ばかり難波の南から四天王寺の境内に入りどこかに行った。
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オオガマ 1962年 大阪府 明治33年ころ、大阪毎日新聞が三面記事で「信田山の大蝦蟇」について連日報道した。その夏、瀬戸物町陶器神社に、うっそうとした渓谷に人間ほどの大きさの大蝦蟇が大目玉を光らせている、という作り物が登場し、観客が群がった。
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コクノユ,カワワロ 1980年 広島県 安芸の山県郡羽生村の庄屋である六右衛門の家に、森源左衛門という武士が来て、卵状の物を6つ置いていったが、それを六右衛門は捨ててしまった。翌日また源左衛門がきて言うには、これはこくのゆという得難いもので、食べると奇功があるという。六右衛門が食べると、身体に神気が宿り、健やかとなったという。
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ヒヒ 1988年 奈良県 丹生川の上下社に猅々が出て田畑を荒し人を害した。ある年の6月、遍路の僧が猅々退治を引き受け、酒肴に朴の葉鮨を置いて隠れていると、猅々が来て飲み食いして酔いつぶれたので、難なく猅々を退治した。以来6月にはこの神社に朴の葉鮨を奉納することになった。
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ビシャモンテン 1984年 新潟県 12月31日の晩から正月2日の晩まで、脇坂甚六郎家と三浦甚吉家の当主は脇坂甚六郎家の地神としてまつられている毘沙門堂にお籠りをし、正月3日にはムラの人びとが集まって、毘沙門堂の堂押しが行われる。昔、脇坂家の先祖甚六郎の昼寝の夢に毘沙門天が現れて月布施に連れて行くように告げたので、毘沙門天を船に乗せて二度ヶ浜へ上陸し、屋敷内に堂を建てて安置した。商売繁盛のご利益で参拝する人は多い。また、当家では百足を殺すことは禁忌とされている。
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オミシャケサン 1956年 山梨県 耕念寺の下手にある家の婆様がある夜馬に餌をやろうと、アラ麦を煮て糠を混ぜたものを持って厩へ行き、フネの中に入れようとすると、船の中に何かいて、毛皮のようなものに手が触れた。婆様がその事を爺様に話すと、爺様は「それはオミシャケサンだ、そっとしておけ」と言った。多分婆様が去った後に再び現れてフネの馬の餌を召しあがるのだろうという。
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カワウソ 1935年 広島県 海に古来獺が住んでいて人を訛すと伝えられている。姿を見た人はいないが、砂浜に足跡があったとか、魚の目玉の周りの筋肉だけを食われたとかいう。何某が浜をふらふらしていたのも獺の仕業という。人家に侵入しないように9月16日に魔除けのお札を峠に立てる。
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(ツチノフクロウ) 1973年 支唐禅師が諸国行脚をしているときに、出羽国からある寺に行き滞在した。その庭先に大きな椎木が枯れているのがあり、うつろから雌雄のふくろうが出てきた。その中には土製のふくろうが3つあり、1つには毛やくちばしや足が生え、生気があったという。
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カイイヤシキ、オオニュウドウ、ヤシキカミ 1956年 宮城県 昔,新坂通台町五番丁南側東角の屋敷を拝領した侍が一人住まいをしていた。ある夜座敷に寝そべっていたところ庭先近くで呼ぶ声が聞こえる。障子の隙間から覗くと軒よりも高いような大入道が立っており,ここは昔から自分の屋敷だから早く立ち退けとわめく。主人が「ここは殿から拝領した我が屋敷じゃ。お前こそ立ち去れ。」と言い返すと,「ここはわしを粗末にしたので住み着いた者はいない。祭の日に神酒や供物をして厚く祀ってくれれば守護してやろう」といって消えてしまった。翌朝調べると屋敷の一隅に梅の老木があり,その下に小祠があった。それが前夜の大入道が屋敷神として棲んでいた祠だったのだろう。当時今泉孫八郎の屋敷であった。
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オオウナギ,タビソウ 1999年 旅僧がやって来て毒流しの漁を止めるようにと宿主に言った。しかし止めさせる手立てはなかったので、申し訳なく思った宿主は旅僧に粟飯を施した。藩主は漁を決行し、多くの魚が川面に浮上した。その中に大うなぎがいて、その腹を裂いてみると粟飯が入っていた。大うなぎが旅僧だったと人々は知った。その後大地震や藩主の早死になどが続いた。
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カエルカッセン 1974年 大阪府 桓武天皇の延暦3年5月に、蝦蟆が2万匹ほど集まり、難波市南道より南行し、四天王寺境内に入った後ことごとく散り去ったという。これを蛙合戦という。
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クギョウニバケタムジナ 1956年 宮城県 百五,六十年程前の話。地方巡検にきた公卿の一行が片浜下の畠山家に泊まる事になった。この公卿は魚が大好きで,鰹など家人の驚くほど貪り食った。七日ほど滞留したが,その間一度も入浴せず,また犬を大変嫌っていた。余り外出しなかったが,たまに出て行くと犬が集まってきて異様に吠える。出発の時も犬を避けるためか,舟で出て行った。公卿は気仙の有住で群犬に襲われて咬殺され,狢の正体を現した。この古狢は京都のある寺に棲んでいたのが奥州に下ってきたのだと言う者もいる。畠山家と階上村の近藤家には,お公卿様が書き与えられたという護符の掛軸がしまってあるといわれる。
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アジシマノオオニュウドウ 1956年 宮城県 網地浜地区では,漁があると初物を種ヶ崎の神社に奉献する習慣があった。しかし明治の中頃この部落にいた四郎右衛門という鰹船の船頭はとても吝嗇で,獲ってきた鰹を神前に供えず,申し訳程度に社前の海に投げては後でそれを拾って帰るということをしていた。ある夜遅く,眠っているところを雨戸の外から呼び起こすものがあるので出てみると,入り口に大入道が立っておりいきなり四郎右衛門の手をとって外に引き出そうとした。柱に掴まって抵抗すると,敷居ごとミリミリと壊れかけた。大入道は「行かぬなら馬を連れていくぞ」といって厩舎の方に行き,馬も入道もそれきり姿を消した。
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オオガネ 1972年 鹿児島県 慶応年間の6月の梅雨時、安山家の屋敷の前の道路とヤマンカン馬場の接する三叉路で安山松之丞等が甲羅の大きさが畳の半分ほどの毛が生えた蟹に遭遇し、これに刀で切りつけた。蟹の甲羅は固く刀の刃が折れたが、もう一本の刀で目を切りつけるとこれを切り落とすことができた。蟹は退散し、血痕は海まで続いていた。昭和六年ごろまでこの目玉は保管されていた。また、梅雨前になるとヤマンカン馬場の南方道路のほうからウーンウーンと正体不明のうめく声が聞こえてくることがある。
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コウシンサン,ニンギョ 1960年 山形県 庚申さんの師匠が庚申の晩に、海中の人魚のような魚を庚申さん達に御馳走した。皆気味悪がったが、庚申さんが一番に食べたので師匠は一番よい弟子だと感じたという。
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ガマ 1976年 陸国賓という道士が船遊びをしている時、白い虹が見えたので近づくと、筍程の大きさの蝦蟇が口から白い気を吹いていた。
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〔エキジン,エキビョウヨケノフダ〕 1975年 東京都 清次という男が釣船で、きすを100匹ほど釣った。築地本郷町之前海之波除内で船を留置すると髪や髯が逆立ち、唐人のような衣装を着た6尺余りの背丈の者がきすを所望した。1匹渡して名を尋ねた所、自分は疫神で、釣船清次と名前が書かれた家には参らないと言って去った。その後、同僚の妻が疫病を患っていたので、釣船清次と書いた札を渡した所、病は全快した。噂が近所に広まり、清次は皆に頼まれて札を書くようになったという。
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マルイワノゼンワン,ミズノセイ 1987年 長野県 働き者の若夫婦が道祖神にお参りしていると男の子が生まれた。お祝いをしたかったが客用のお膳がない。ある時二人が同じ夢を見た。美しい姫が現れて水の精の使いであると名乗り,必要な数を紙に書いて丸岩の割れ目に投げ込めば膳と椀を貸してくれるという。言われたとおりにすると,翌朝丸岩の前に膳と椀が並んでおり,元の場所に返すと何時の間にか割れ目の中へ消えていった。以後村中が借りるようになったが,誤魔化す者がいて二度と貸してもらえなくなった。
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