ムジナ 2001年 新潟県 狢は人の心を、目を見て読む。
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キツネ 1970年 滋賀県 集落境の赤土のめくれている箇所に狐が出ると、1960年ごろ話題になった。美女に化けて出て人の心を見る。にっこり笑う顔の美しさに心を奪われると化かされる、という。
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スマボウズ 1956年 家の怪。
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サトリ 1938年 サトリという怪物は人の心の中を見抜く。
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ムジナ 1965年 兵庫県 口寄せは、ムジナが聞く人の心をつかんで話すものであるという。
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ヤコ 1977年 人に憑いて虚言を言う。また人の心の隙も窺う。貴人に捧げる魚や鳥は奪おうとはしない。しかしそれらが台所などに置かれて、運ぶ人のそれを守ろうとする心に隙ができるとたちまち奪われる。
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ジゾウ 1973年 東京都 宝暦の末に、浅草寺のほとりにありがた坊と呼ばれた僧がいた。本名は楽心といい、つんぼであった。ある時、地蔵堂の常念仏の役を務めたが、その夜に地蔵尊が「楽心、楽心」と呼ぶ声が初めて聞こえ、また「ありがとうござります」と初めて話したという。それ以来耳も聞こえて、言葉も話せるようになったという。
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カシンコジ 1980年 松永秀久が多門城にいた時、果心居士という幻術使いがいた。ある日松永が自分を驚かせよと果心に言ったところ、果心は灯を消して前栽の間へと行った。すると周囲は何やらもの悲しい雰囲気となる。松永が果心を見ると、そこには病死した松永の妻がいた。松永が止めさせると、それは果心だったという。
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リョウニカンスルゾクシン 1940年 三重県 村内に、手掴み漁に禁物な人が2人いる。そのうちのどちらか1人でも漁を見ていると、うまくいかない。2人は心の曲がった人だから、漁がうまくいかないのだろうという。反対に正直な良い人が見ていると、漁はうまくいくという。また、心を正直にして、人と争うことがないようにしておかないと、漁獲が少ないという。
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ユワタシガミ 2001年 鹿児島県 ユワタシ神は、怪を見るような人には見えるという。
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ヒトヲノロウホウ(ゾクシン) 1923年 秋田県 呪いたい人の名前を心に唱えながら、家の柱に釘を打つと、その人は災難にあう。
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キツネ,イズナ,(キツネツカイ) 1980年 伊闘那という狐を使う男がいうには、人に狐を憑ける場合は相手の心が何かに強く執着している時、つまり心に隙がないと難しい。また人家に狐を入れる場合は、掃き清めていない部屋からしか入れることが出来ない。
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オト,ケンムン 1980年 鹿児島県 山や川で正体不明の音を聞くことがあるが、恐怖心からケンムンの仕業と決めてしまう。
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オニ 1976年 人を鬼に譬えるのは、武勇に長けた人、容姿は美しいが心が醜い女、心は醜くないが生まれながらに顔が赤く、目口が大きく、歯の出たような恐ろしい顔をした人と三通りの場合がある。本当の鬼もこのように形が定まったものではないのだろう。
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キシンボウ 1938年 熊本県 椿の木を檑木に使うと木心坊になるといわれている。
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ユウレイ 1989年 長野県 子供の弱い心を脅かしたり、強くするための手段として幽霊が出るぞと言った。
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キシンボウ 1956年 椿の木を檑木(擂木:すりこぎ)として用いると、後に木心坊というものになって怪をなすといわれた。
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ジャンジャンビ 1935年 奈良県 なぜ見てはいけないかというと、人が見ていたのでは2つの火が逢うことができないからである。
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ユウレイ,ヒトダマ 1937年 幽霊を見たことがある。ある人の後姿を見ると、死んだという電報が来た。小学校へ入る前頃であった。人玉も見た。
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テング,キシン 1977年 岐阜県 ある人が飛騨山で木を伐っていると鼻の高い山伏が現れた。天狗かと思ったら心を読まれ、何故天狗だと思うのかと聞いてきた。急いで木を束ねていると、手元が狂い天狗の鼻に木が当たった。すると天狗は汝の心が読めなかったと言って去った。
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タヌキ 1981年 和歌山県 若い男が古狸に憑かれて正気を失った。神様に心経をあげて治した。
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