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検索対象事例

オニノエ
1976年
鬼の絵に虎の皮の腰当を描くようになったのは、古法眼元信からであるという。

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テング,オニ
1977年
天狗を絵に描くときに立附と言うものを着た姿で描くが、これは東都の大工、大隈という人の祖父が始めたものである。また鬼の絵の虎皮の褌は古法眼元信が始めたものである。
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ヒャクキヤギョウ,バケモノ,キギョウ
1976年
「百鬼夜行の図」という古い絵を見たことがある。様々な道具類が化物になったのを巧みに描いたもので、朝日とともにそれらが消えうせるように描かれている。古法眼の絵だという人もいる。
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クラマソウジョウ,クモ
1974年
ある夜、徳川将軍が見た夢に鞍馬僧正という名の山僧が現れ、自分の像を狩野元信に描かせ、それを寺中に安置してくれと頼む。将軍はそれを元信に言うと、元信も同じ夢を見ていたという。しかし元信はその姿を描く事ができずにいたところ、クモが糸を引いて紙の上を歩くのを見ると、それが夢の中の人だったので描く事ができたという。
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スイコ,(アザラシ)
1993年
浜に上がった水虎の絵。
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ウシ
2001年 奈良県
天王社の、狩野元信の絵の牛が田畑を荒らしたので、松を描き添えて繋いだ。
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モウリョウ,スイコ
1993年
魍魎および水虎の手の絵。
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ウマ
2001年 富山県
安居寺の、狩野元信・永徳親子の絵の馬が田畑を荒らしたので、綱を描き添えた。
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(エマカラヌケダスウマ)
1974年 東京都
浅草寺に俗に狩野元信が描いたとされる古い絵馬があった。この馬の絵は毎夜板を放れて草を食うという。
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サギ
2001年 青森県
弘前城の、狩野法眼が描いた襖絵の鷲が飛び回ったので、眼を潰した。
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ウンリュウ
2001年 青森県
革秀寺の、狩野法眼が描いた絵の雲竜が池の水を飲んだので、釘で打ちつけた。
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ウシ
1988年 奈良県
旅の僧が中峰山の神波多神社に泊まり、壁に1頭の牛を描いて立ち去った。その牛が抜け出して稲を食べるので、僧を追い掛けて伊賀上野から連れ戻し、松の木を描き加えて綱で繋いで貰った。この僧は狩野法眼元信だったという。
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シガノヤクシ
1956年 宮城県
貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。
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ウシ
1979年
ある絵の上手な人が牛を描こうと、その事ばかりを考えて寝たら、その姿が牛に見えたと言う。その人はそれ以来仏画しか描かなくなった。
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〔スイコ〕
1975年
水虎とはかわ太郎のことである。
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テング
1974年
ある人が狩野元信の家にやってきて天狗の絵を依頼した。しかし元信は天狗の姿を知らないので困っていたところ、夢の中に老翁がやって来て天狗の姿を現したので、それを元に6尺ほどの紙に描き、依頼主に送ったという。依頼主はそれを鞍馬寺に奉納しようとしたところ、急に雲や風が発生し、霊像が自然と鞍馬に飛び去ったという。
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ヨナキノマジナイ,(ゾクシン)
1961年 愛媛県
鶏の絵を描いてコウジンサンに供えると、夜泣きによいといわれている。
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ヨナキノマジナイ,(ゾクシン)
1961年 愛媛県
鶏の絵を描いて布団の下に敷いて寝ると、夜泣きが治るといわれている。
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(ネコノエ)
1978年
天明か寛政頃、白仙という60才程の坊主がいた。出羽秋田の猫の宮に願をかけて猫と虎の絵を奉納した。町でも安い値段で猫の絵を書いて歩いた。その絵は鼠を追い払う力があったという。
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ウマ
2001年 岡山県
上遍照寺の、狩野法眼の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、木を描き添え繋いだ。
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ヨナキノマジナイ,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
夜泣きのまじないで、「鳥の絵を描いて、逆にはっておくと良い」という。
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リュウ
2001年 茨城県
正宗寺の、狩野法眼が描いた天井画の竜が抜け出たので、釘で打ちつけた
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