ダンダトウ 1992年 檀拏幢は棒の先に蓮台があり、その上に男女の頭が乗っている。閻魔のシンボルで、刑罰を意味するという。檀拏幢には罪の重さを量る秤がついていて、片方に石の分銅、もう片方に罪人をかけ、罪が重ければ人間の方が下がるというものである。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1989年 長野県 この世に恨みがあるとき、生前に惨い仕打ちをされた死者が化けて祟ったとき、世の中に思い残しがあるときに、幽霊になって出てくるという。死んだときの姿で、関係のある場所に出るという。
 類似事例 |
|
(ゾクシン),カガミ 1998年 静岡県 合わせ鏡をすると、その中に自分の死に顔が映ると言われている。
 類似事例 |
|
ヤタノカガミ,ナイシドコロ 1983年 京都府 天照大神が天の岩戸に閉じこもった時、その姿を映したという八咫鏡が、宮中から飛び出て天に上がろうとしたことがあった。その時、女官の衣の袖にかけて止めたことから、今でも神鏡をおさめる内侍所は女官が守護しているという。
 類似事例 |
|
ヒトダマ 1983年 東京都 人が死ぬとお山(本門寺)に魂が飛んで行き、墓に人魂が入ると人が死に、人が死ぬと墓から出て行くとも言う。袖越しに人魂を見ると顔が見えると言われる。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1987年 長野県 幽霊は,恨みを晴らすために,死んだときの姿で墓場に出る。
 類似事例 |
|
(ツキモノ) 1988年 長野県 憑き物に憑かれると、行者を頼んでお祓いをした。それと共に、鏡を見せたという。
 類似事例 |
|
カガミニウツルガイコツ 1986年 東京都 宿舎の入り口に大きな鏡がかけてある。夜中の2時になると、その鏡に骸骨が映る。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1990年 長野県 この世に恨みがあるとき、あるいは成仏できないときに、幽霊になって出てくるという。足がなく、髪の毛を乱した姿で出る。お墓や死んだ場所に出るという。
 類似事例 |
|
オニ 1970年 地獄で罪人が鬼に向かって、なぜ鬼は地獄に堕のかと聞けば、鬼はおぬしの子であると答えた。罪人が前世で罪を犯すたびに鬼の姿が出来上がったのだという。
 類似事例 |
|
カガミ 1998年 静岡県 夜、鏡を表にしておくと、あの世に吸い込まれる。
 類似事例 |
|
(ゾクシン),マ 1933年 島根県 人が死ぬと、夜具が逆さまにかけられて、屏風が逆に立てられる。夜具の上には短刀か剃刀を載せる。これは魔がささぬようにというのである。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1988年 長野県 幽霊は生前の怨みをはらすため、或いは恋しいときに出る。そして行燈を背負った姿だという。現れる場所はお寺である。
 類似事例 |
|
ボウレイ 1990年 神奈川県 神奈川県のある高校では、音楽室のうしろに等身大の鏡があるが、ある特定の日にこの鏡の前に立つと、きまって背後に亡霊がうつるという。亡霊は、学校が面している海で溺死した人であると言われているという。
 類似事例 |
|
タマシイ 1970年 鳥取県 死んだ人の魂は摩尼山に行くという。一周忌には摩尼参りをする。摩尼山の地蔵には、必ず死者に似た顔があるという。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1990年 長野県 恨みを晴らすために、幽霊になって出てくるという。その人の最期の姿で、恨みのある人の所に出るという。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1987年 長野県 幽霊は,この世に恨みがあるとき,足が無くふらふらと墓地や死んだ場所にでる。
 類似事例 |
|
ユウレイ 1990年 長野県 この世に恨みがあるときには、幽霊になって出てくるという。怨念を残したところに出るという。
 類似事例 |
|
ジゾウ(ゾクシン) 1971年 栃木県 地蔵の並ぶ岩船の山は、古くから死霊の集まる霊山だった。春と秋の彼岸には多くの参詣者が集まる。立ち並ぶ地蔵に失った愛児や亡き親の面影を発見できるとも伝えられている。
 類似事例 |
|
エンマオウ 2001年 大阪府 閻魔王が長宝寺の慶心を冥途へ呼び、地獄のありさまを見せ、逆修の善業を勧めさせた。
 類似事例 |
|