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検索対象事例

クナラタイシセツワ
2004年
クナラ太子は目を抉られて王国を追放された。後に無実が判明した時,人々が経を聞いて流す涙を集めて太子の眼を浸し,眼窩に入れると太子の視力は回復した。

類似事例(機械学習検索)

ショウトクタイシ
2002年 石川県
大正15年2月、聖徳太子さんの石碑にお太子さんの姿が出現した。
類似事例

バケモノ
1934年 山形県
11月30日の太子講の日に、山から下りないと、化け物が現れてひどい目にあわすという。
類似事例

ジョウグウタイシ
2002年 京都府
上宮太子(聖徳太子)の発願によって建立された、山城国の東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)は、治承年間や正応年間に火災に遭うが、太子の願力が非常に強いものなので、灰燼に帰することはないという。
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ショウトクタイシゾウ
2002年 石川県
延宝3年、加賀国河北田郡田近の里俵原村に住む人の夢枕に聖徳太子が立ち、夜明け近くに太子坂へと行った。その場所を掘ると聖徳太子の木像が現れ、家へと持ち帰った。夏のある日、雨が降ったため急いで家に帰ると、仏の手により干ものが屋内に入れられていた。また、秋の夕暮れに子供と遊ぶ太子の姿を見た人もいた。
類似事例

ショウトクタイシ
2002年 石川県
大正15年3月、聖徳太子さんの石碑に出現したお太子さんの姿が一旦消えて、また出現した。
類似事例

タイシノトナエゴト
1974年 兵庫県
山の恐ろしいところで「アブラウンケンソバカ」と3回唱えると恐ろしい目にあわないという。これは、太子の唱え言といわれているものである。
類似事例

マセキ,ホウセキ,オニ
1943年 山形県
推古天皇の6年、午の年、羽黒山の後の鬼名澤というところに麻石という鬼が現われて、人を悩ませた。能除太子が8月にこの鬼を封じたが、翌未の年に男鹿の島に包石という鬼が住み始めたので、太子は6月15日にこれも封じた。
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ノウジョタイシ
1944年 山形県
能除太子が阿古谷にこもって修行していた頃、国司が神罰で足腰を立たなくされていた。太子が祈祷に招かれたが、国司の家は火事になっていて、国司は布団を蹴って戸外に駆け出し、以後、起居が自由になった。この火事は般若の智火によって煩悩を焼いたものであったという。
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(ゾクシン)
2003年 福島県
いわきの長崎海岸では11月の中のダイシコ(太子講)はしてはならないと言われる。これは、この日子供が粥の中に入って死んだからだという。
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(アンザンノマモリ),ダンリンコウゴウ
1983年 京都府
梅宮社の砂を、安産を祈って産女の襟帯に含むと、出産が必ず安らかになる。その謂れは、嵯峨天皇の后・檀林皇后が、太子がないことを憂い当社に祈誓したところ、神感があって懐妊し、当社の砂を御座の下に敷いて太子を無事産んだことに由来するという。
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(ショウトクタイシノフエ)
1976年 大阪府
当寺(四天王寺)の宝器に京不見の笛がある。これは聖徳太子の御作で、後花園院が叡覧するため朝廷に運ぼうとした際、途中で二つに割れてしまった。やむなく叡覧を中止して寺に帰ると、笛は元通りになっていた。これは太子が秘蔵していた笛を惜しんだためだろう。今も聖霊会ではこの笛を奏し、太子を慰める。
類似事例

ショウトクタイシ
2002年 石川県
大正15年2月、聖徳太子さんの石碑にお太子さんの姿が出現して評判になった。娘から話を聞き、確かめるため夜11時頃に向かった人がいたが、ボンヤリと光を放っていたという。
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レイボク,ロッカクドウ,クロクモ
1983年 京都府
太子は淡路国の海から得られた如意輪像を、毎朝紫雲が覆う杉の霊木で建てた六角堂に安置した。その後、桓武天皇が平安京に遷都した時、六角堂が小路の中にあたった。都を造営する官使たちは、太子の建立した堂だから移すのもどうかと悩んだ所、黒雲がこの堂を覆い5丈北に退いたので、無事小路を通して都ができた。
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タイシサマ
1931年 宮城県
道際にある太子様は、子供が好きな神である。子供たちが仏像を苗代に持ち出し引きずっていたのを法印がとがめたところ、かえって法印が病気になり死んでしまった。
類似事例

タイシサマ
1934年 長野県
太子様という方が11月24日に粥が食いたかったが、煮る薪が無いので、村で盗んだ。その足跡を隠すために、雪が降ったのが元で、この日は必ず雪が降る。
類似事例

ショウトクタイシ
2002年 石川県
大正15年2月、聖徳太子さんの石碑にお太子さんの姿が出現して評判になった。その年の4、5月には越中、能登、金沢から参詣に来る人もいた。
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アクマ,リュウ
1928年 大阪府
天王寺の龍が井戸は、昔、太子が仏法の邪魔をする龍を封じ込めたと伝えられている。中ごろ、一舎利上人が龍の姿を見たいと念ずると龍が現われた。眼が潰れたが、一方の眼を手で押さえていたために片目だけですんだ。
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カメ
1934年 兵庫県
水戸の龜屋という穀物問屋の主が、眼病を患いついに失明してしまった。主はたまたま人丸塚の事を聞いて参篭し、不思議な夢を見た。大きな龜が主を乗せて、清水の側に下ろしたという夢で、実際に清水があったので、神のお告げと思い、その水で洗眼すると視力が回復した。
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オオカミ
1936年 兵庫県
女が狼に送られて、頭の上を飛び越されると、狼に眼を入れられて、死んでから必ず死骸を喰いに来る。それゆえ、眼を入れられた女を埋めた時は、村人が夜番をしなければならない。
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ニョイリンノゾウ,ダイクハウメウ
1983年 兵庫県
聖徳太子が13歳の時、淡路国岩屋浦で何かが大光明を放っていたので、猟師が怪しみ光をたよりに網を下ろしたところ、朱の唐櫃がかかった。その櫃の上に「正覚如意輪の像一体、謹上日本国王家」と書かれていたので急ぎ奏聞し、太子が開くと確かに如意輪像が入っていた。
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(ゾクシン)
1975年 山口県
葬送に関する俗信。火葬の際の灰で団子を焼いて食べると、夏病みをしないという。湯灌・入棺の際には涙をこぼしてはいけない、涙をこぼすと死者が鼻血を流すといわれている。友引など、日が悪いときは葬式を出さない。どうしても出さなければならない時は、一尺ほどの藁人形を作って棺の中に入れるという、など。
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