カッパ,ヒョウスベ 1958年 奈良県 三輪山麓にある穴師兵主神社の主神である兵主部(ヒョウズベ)とはカッパのことであり、水神である。
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キツネ 1952年 山梨県 お宮の前にいた老婆に狐が憑き「おれは若さんという狐だ」というので、明見の行者を呼んで落としてもらった。
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テング 1919年 京都府 牛若丸が天狗に剣術を学んだ場所を兵法場というが、そこの石を持ってかえると勝負に勝つという。
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ママコノウッタエ,スズメ 2001年 父が旅をしている間に兄妹が継母に殺される。帰ってきた父が子供たちを捜していると、雀が飛んできて、みやげはもういらぬ、父に会いたい、と鳴く。父が鳥のとまった木の根元を掘ると子供たちの死体が出てきたので、継母を処刑する。
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ママコノウッタエ,フエ,シャクハチ 2001年 父が旅をしている間に兄妹が継母に殺される。虚無僧が兄妹の埋められたところから生えた竹で尺八を作って吹くと、父の耳に、みやげは何になる、父は恋し母は恨めし、と聞こえる。父は子供たちの死体を掘り当て、継母を処刑する。
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モウレン 1960年 三重県 漁の途中でシガイ(屍骸)を拾わないでいたら、屍骸がモウレンになって祟ったという。
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ヤコ 1973年 鹿児島県 野狐がいたが、「日清日露戦争に行ってしまった」という者もいるように、全く見つからなくなった。
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タタリ,ヤマノカミ,カイブツ 1936年 兵庫県 1890年ごろ、兵右衛門という腕のいいサキヤマがいた。山神祭の当日に山に行き、帰りに中腹の宮の瀧のそばで一服していた。すると、川下から10畳くらいの大きさで茶褐色の、頭も尾もない怪物が上がってきた。兵右衛門は驚いて家に逃げ帰ったが、そのまま病気になり、数日後には死んだと伝えられている。
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イヌノナキゴエ 1960年 三重県 吉兵ヱ門坂から犬の鳴き声が聞こえると、人死にがある。
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セイタムジナ,ヒノタマ 1991年 石川県 清太という者が夜遅くカイケという昼なお暗い場所を通ったら、火の玉が出ては消え、そこから女が現れて清太を見つめた。脇差で切りつけると石にあたった音がして、火の玉も女も消えた。脇差は三寸から先が折れていた。
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タヌキ,ムジナ 2003年 山梨県 僧侶に化けて、泊った狸の残した書物が、藤兵ヱという人の家にあるといわれる。
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ドキョウ 1974年 円久と広清の両人は死後数日になっても読経の声が聞こえていたという。
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カニ,タキノヌシ 1989年 静岡県 大城の兵太ヶ滝の滝壷には、滝の主である1000年を経た大きさ1丈(3m)四方ある蟹がいて、時々稲取の海へ遊びに行く。そのときは山が鳴り、風が吹くので、土地の人は「兵太ヶ滝の蟹が出た」と怖れる。この蟹を目撃した古老もいる。
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フドウノカナシバリ 1982年 神奈川県 戦後、上大岡の大先達と副先達が御岳講で御座をたてた帰りの夜道で占領軍の黒人兵が現れて大先達の首を締め、金を要求した。大先達は口の中で何かを唱えて黒人兵を金縛りにしてしまったという。
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ヒタチボウカイソンセンニン,セイエツ,イジン 1931年 岩手県 寛永の頃まで、清悦という名の不思議な人がいた。その話すところによると、清悦は京都の者で、判官にしたがって奥州にきたのだという。ある日、衣川に釣りに行ったとき、異人の宿所の洞窟で赤い肉を馳走された。これを食べると三光をしのぐ長寿になるといわれた。それか死なずに今まで生きているということであった。
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ビナンヅカ 1981年 山形県 美男塚は、深草少将の生まれ変わりの清恋の塚と伝えられている。
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キリイシ,ベンケイ,ウシワカマル 1984年 長野県 弁慶と牛若丸がやってきた。道をさえぎる石を切ろうとして、弁慶は太刀を使ったが、石に傷をつけただけであった。次に金剛力がやってみると、石は見事に一刀両断にされた。
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バケイシ 1987年 山形県 有屋には化け石と呼ばれるものが4つあり、杉ノ入の化け石は美人に化けて侍の柴田清左ェ門を招き、不審に思った清左ェ門が石を斬りつけた、その跡が残っている。
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ツチグモ,オニ 1935年 京都府 壬生寺では4月に大念仏会と称し狂言が行われる。これに用いる仮面を張子に模したお面の数々が売られる。牛若、弁慶、土蜘蛛、鬼、地蔵などがある。
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ヤザイモンダコ 1985年 香川県 岩の上で大蛸が昼寝をしていた。それを見た八左兵門は、1日に1本だけ切りとって持って帰った。8日目、最後の足を切ろうとすると、大蛸は1本の足で八左兵門を海に引き込み、また昼寝をはじめた。それからその大蛸をヤザイモン蛸と呼ぶようになった。
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マツ,シトマエノマツ,ミナモトノヨシツネ,ナルコ 1956年 宮城県 平泉落ちの際、源義経の奥方が亀割峠で亀若丸を生むが、弁慶が「敵地ゆえ産声を立てないように」というと亀若は泣かなかった。尿前の関に出た時、弁慶が「ここは大口という平泉領だから安心して産声をあげてくれ」というと、初めて小便をした。これを記念して弁慶が松を植え、ここを尿前という。亀若が初めて産声をあげた地を鳴き子といい、鳴子の地名の起こりという。松は今はない。
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