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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カタメノサカナ,フナ
1936年 秋田県
長野町幕林の八幡神社の北方に小さな社があり、小さな池がある。その池の鮒は、源義家がこの池で馬を洗ったとき、馬の蹄にかかって目が潰れて片目になったといわれている。

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〔メアライイケ〕
1940年 三重県
鎌倉権五郎景政が矢で傷ついた片目を洗ったという眼洗池があり、ここに住む鮒は片目だったといわれている。
類似事例

カマクラヤマ,カタメノフナ
1956年 宮城県
新川の北の山にこもる貞任の軍を八幡太郎義家が攻めた時、鎌倉権五郎景政が砦とした峻しい岩山。景政が片目を射られた傷を洗った小さな池が北がわにあり、そこの鮒はみな片目であるという。
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メッコシミズ
1967年 福島県
昔、源義朝の臣、鎌倉権五郎景政が鳥海弥三郎と戦い、三郎が逃れながら射った矢が景政の左目に当った。景政はその矢も抜かず三郎に追って、ついに三郎を倒した。ここにきて景政は傷を洗った。血が流れ清水に混じったので、後にこの清水の湧く池の魚は左目が盲になった。そこで半盲清水といわれている。
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コマスイシミズ
1965年 岩手県
源義家の乗っていた馬が吸い出した清水。  
類似事例

ウマ
2001年 埼玉県
岩戸観音の、狩野法眼の絵馬の馬が田畑を荒らし、池の水を飲んだので、手斧で傷をつけた。
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〔メアライイケ〕
1940年 三重県
鎌倉権五郎景政の屋敷跡付近に眼洗池がある。景政が矢で傷ついた片目を洗ったため、この池に住んだ亀や魚は皆一眼だったという。
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カタメノフナ
1956年 宮城県
1人の侍が、落城のとき傷ついた目を洗う。ほかにも片目の鮒の話は古川市敷玉大坊沼、登米郡中田町上沼的沼にも。刈田郡蔵王町円田久保川(片目の鰍)。
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リュウ
2001年 岡山県
八幡神社の、左甚五郎の彫刻の竜が田畑を荒らしたので、眼を潰した。
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カタハノヨシ
1939年 茨城県
一群の葭が、すべて茎の片方にしか葉がついていない。昔、八幡太郎義家がこの葭原にある池で太刀を洗い、その時に片葉になってしまったのだという。
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カタメノフナ
1948年 新潟県
八幡宮の神体が鎌倉景政の念持仏だったところであり、その境内の池には片目の鮒が今でも住んでいるという。
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カタメノサカナ
1952年 三重県
神社の池にいる隻眼の魚は、祖神と喧嘩して片目を潰された。
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カタメノサカナ,カジカ
1936年 秋田県
西明寺村八津観音のそばに堂の澤という渓流がある。そこに鰍がいたが、その奥にある鉱山の坑道がつぶれたときにながれた坑夫の血で目が潰れて片目になったといわれている。
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クビナシウマ
1968年 愛媛県
梅の子付近で源氏と平氏が戦った時、馬が首を切られたため、その付近では毎晩首なし馬が出るといわれている。
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エマノウマ,タライノミズ
1978年 石川県
9月30日の神送りの日に、神さんは八幡神社の絵馬の馬に乗って出雲へ行くという。10月末日の神迎えの日に帰ってくるのだが、この日にたらいに水を汲んでおいたら、水が濁っていた。馬が足を洗ってから氏神様に行ったのだという。
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リュウ
1941年 朝鮮
大同郡龍淵面検浦里の西の方の村から1キロ程離れた所に小池がある。昔、農夫の馬が凶作で飢えて、池の傍で座り込んでしまった。そこで馬の首を切って池に投げ入れて、豊作を祈った。数年後、池から龍が出て黒雲の中に頭が隠れ、尾だけ垂れて見え、田畑がよく稔ったが、病気が流行った。村の名の龍淵面はこの池のことから起こっている。
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ウマ
2001年 岐阜県
一ノ宮の、飛騨の匠の作った馬が田畑を荒らしたので、眼を潰した。
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ヤクシニョライ
1989年 長野県
源頼朝が非公式に信濃を回った折、落馬した後目が見えなくなっていた。神仏の祟りではないかと尋ねると、西に一里ほど行った正面に大島山瑠璃寺という薬師如来を祀る寺があり、その前では必ず乗り物を降りなければならなかった。頼朝は詫びに鎌倉の館にある桜を献ずる誓いの証に山桜を一枝地にさした。すると、目が見えるようになった。
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ウマ
2001年 岐阜県
八幡神社の、狩野法眼の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、金網を張った。
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モクバ
1935年 群馬県
元禄11年に時の高崎城主大河内輝貞が、城の南方景勝の地に源頼政を祀る頼政神社を建立し、木馬を黒白各一頭づつ納めた。ある朝、村人が神社の西の烏川で水を飲んでいて2頭の馬を見た。馬を引く人もおらず不思議に思っていると、馬は歩き出し、その後を村人がつけると頼政神社の中に消えた。頼政神社の木馬だったという。その後は終始2頭の馬は水飲みに出たが、ある夜黒の木馬は出たきり行方不明になった。後年その黒の木馬は妙義白雲山の東麓にある妙義神社で発見された。妙義神社では今でもその木馬を見ることができる。
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ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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