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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

サル
1962年 山梨県
推古朝のころ、志羅古という造園の巨匠が猿橋に住み着いた。村長は息子恭任を弟子に、娘の美久里をかしづかせた。ある月明の夜、たくさんの猿が来て手と足をつないで橋を架けた。これをみて猿橋の断崖に架橋を考えていた志羅古は設計を完成させた。休んでまどろむと、急に2匹の猿が飛び込んできて、ここに橋を架けるのなら、病気の猿王様のために申年申の日申の刻に生まれた未婚の男女の生血を差し出せ、そうしなければ妨害するという。志羅古は架橋を強行するが暴風雨のために橋は何度も流されてしまう。志羅古は該当者である自分と美久里とでいけにえになり、あとは恭仁に託し、橋を完成させた。猿に因んで猿橋と名をつけ、猿王を祀る小社を傍らに立て山王宮とよぶ。

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カッパ
1985年 熊本県
河童は申年申の日申の刻に生まれた人を嫌うという。
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サル
1951年
爺さんは草取りを手伝ってもらった猿に娘を上げる約束をし、末娘が行くことになった。娘は猿と爺さんのところへ行く際、猿に臼を背負わせ、自分が餅をついた。橋の中ほどで猿を川に突き落とした。以後ここを通ると猿が来て子供のお守りをしたという。
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ヒトバシラ
1915年 大阪府
夫婦橋という橋が堀川に架かっている。昔、ここに何度橋を架けてもそのたびに落ちた。ある時夫婦の心中があったので、これを人柱にしたら、ようやく橋を架けることに成功した。それでこのような橋の名がついた。
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サル
1939年 和歌山県
猿屋が許してくれと拝む猿を撃ち殺したところ、妻が猿の子を産んだ。
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サル
1978年
柳生但馬守は猿を二匹飼って、その猿を相手に打ち太刀の練習をしていた。すると猿は手練となり、未熟な弟子では猿に勝てなくなった。
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サル
1926年 茨城県
猿のたたりの話は多くある。山で孕み猿が命乞いをするのを無視して殺したところ、猿と寸分違わぬ顔の女の子が生まれた。また、3人までもが唖の娘であった。猿殺しの祟りだといわれた。
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サルガミサマ
1975年 愛媛県
猿神様は竜岡下鍛冶屋部落にある。昔、村人が身ごもった猿を撃とうとしたところ、猿が両手を合わせて拝むようにして救いを求めたが、村人は猿を撃ち殺した。やがて部落内に様々な災いがあったので、宮を建てて猿神様として祀ることになったという。
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サルノヨメゴ
1956年 宮城県
昔、ある家に娘が3人いた。ある年の日照りに、どこの田にも水がなくて困っていると、1匹の猿が来て、「あんたの田に水をいれてやるから、娘を誰か1人くれ」というので父が承知すると、猿は忽ち水をためる。父が猿との約束を心配していると、末の娘が快諾して猿の嫁となる。2,3日後、猿と娘がお舅礼に来る途中、藤の木の前で、父にこの藤の花をとっていきたいと娘が言う。猿は木に登ってとろうとし、娘がもっと先というのにつられ、先まで行った。するとからまった藤のつるが木からはなれて猿は川の中に落ち、娘は無事家に帰ってきた。
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サル
1974年 滋賀県
猿を撃ったら、猿のような顔の子どもが産まれた。
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サル
1978年 石川県
ある老人が働きに行っている間に、猿が蓑や笠を着て化け、家に先に帰ってしまった。老人が家に帰ると猿がいた。猿に化かされると、猿は葬式が嫌いなので、葬式の着物を着て、灯籠を持って泣き真似をすると、猿は抜けていったという。
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サル
1961年 埼玉県
猿は山の神様なので、申の日は山仕事には出かけない。もし山に行くと、多くの過ちがある。
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サル
1941年 愛媛県
ある人は猿に笑われてその猿を捕まえて妻に調理してもらうことにしたが、妻は猿に騙されて釜に入れられて、夫がそれを食べたという。
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キツネ
1981年 和歌山県
1974年に木の橋が落ちて鉄筋の橋に架け替えるまで、小さな橋を架けて代わりにしていた。話者がそれを渡っていたところ、上流に立派な橋ができあがっていて、近くの陸を息子が檜林に歩いていったので、声をかけたが返事がない。不思議に思って帰ると息子は家にいて、林には行っていないという。橋もまだ出来上がっていなかった。狐の仕業。
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サル,カニ
1971年 鳥取県
猿と蟹が餅をめぐって争う。石の下に逃げた蟹に猿は糞をかけようとするが尻をはさまれてしまう。猿の尻が赤いのはそのためである。
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ヒイヒイザル
1993年 三重県
ヒイヒイ猿という猿が、黒田集落から娘を人身御供に取っていたので、旅の由井小雪が身代わりになった。小雪が神輿に乗って待っていると、松脂と砂で毛を硬くしたヒイヒイ猿が降りてきた。小雪は毛の隙間のある首と足を狙って猿を斬り捨てた。猿の頭は比奈知へ、足はサガラの橋へ飛んだ。猿は「去る」に通じて縁起が悪いから婚礼の行列はサガラの橋を通らない。比奈知では今もヒヒマツリという祭りをしていると言う。
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カッパ,ガワッパ,サル
1913年 熊本県
河童は猿に負ける。猿は河童を見たら取り殺すといい、猿の多く棲む山川には河童がいない。
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モッコ
1993年 岩手県 
子供がいうことを聞かないと「蒙古が来る」と威した。
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サル
1973年 三重県
大日照りがあったとき、ある人が猿に向かって「娘を嫁にやるから、雨を降らせてくれないか」と頼んだ。猿はその願いを聞き入れた。娘は鏡と茶壺を買ってくれたら嫁に行くと承諾した。そして娘は鏡を、猿は茶壺を背負って行った。猿が川を渡っていたら、茶壺に水が入って猿は溺れて流された。娘はそのまま家に帰ったという。
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サル
1941年 秋田県
猿との約束に従い、爺様は末娘を嫁にやった。娘は機転をきかせて、猿を河に落とした。猿は辞世を詠みながら流されていった。
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カッパ,サル
1953年 東京都
猿回しは河童の住む川を渡るときは猿の顔を包んだという。昔江戸でも河童の災いを逃れるには猿を飼うのがよいといわれた。猿は河童を見ると捕まえずにはいられず、河童は猿を見ると動けなくなるという。
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イヨウナヒカリ,モウコノコエ
1956年 東京都
蒙古が攻めてきて神風で全滅した。三宅島に蒙古の大将が流れ着き、死んだ。道下に葬ったが、毎夜王掘山で異様な光が見えたので、そっちに葬った。光は消えたが、ナライの風が吹くと今でも蒙古の声がする。
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