アクシンサマ,(ツキモノ) 1989年 長野県 悪神様が人に憑くことがあるという。離すときは、御嶽教の人に祈とうしてもらったという。
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シシャノレイ,(ツキモノ) 1989年 長野県 死者の霊が人に憑くことがあるという。離すときは、御嶽教の人に祈とうしてもらったという。
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ミサキサン 1970年 香川県 唐櫃の八幡宮の奥にミサキ神社がある。家浦の八幡宮の奥の岬にも「オンザキサン」があり、これも「ミサキサン」である。漁業、海難除けの神で、大きな錠を供えてある。
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アズキアライ,(カワヤイケニデルヨウカイ) 1990年 長野県 法教沢(ホッキザワ)にアズキアライが出るという。
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テング,マショ 1977年 福岡県 ある人が言うには、筑紫の彦山は天狗魔所という。
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ジングン,タクセン 1983年 大分県 この年に征夷が行われ、大隅・日向の2国が乱逆した。そこで内裏から宇佐八幡宮に御祈誓があり、八幡宮の禰宜が神軍を引率して両国を征し、敵を滅ぼした。その後、この合戦で多くの殺生をしたので放生会をするよう神託があり、諸国に至るまで放生会を行うようになったという。
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ギョウイシ 1982年 群馬県 昔、行者が行をしたといわれている石で、それがある畑を耕作すると病人が出ると嫌われている。
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オタヌキサン 1976年 愛媛県 いなか道で夜に追いはぎが出現することがある。大宮八幡宮の宮司が日が暮れて帰るとき、大宮八幡宮社の定紋の入ったちょうちんが現われて家まで導いてくれた。
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キツネ 1995年 愛知県 狐が人に憑いて病気が治らないときは、御嶽行者に行をしてもらった。
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アンドンババー 1988年 長野県 家や屋敷などに行燈婆が出る。
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ヤキンボサツ 1968年 愛媛県 御前場の磯に仏像が漂着したが、誰も上げられなかった。大酒のみの教円寺の僧侶が来て上げると簡単に上がり、教円寺の弥勒堂に祭った。この弥勒菩薩は弘法大使作といわれ、秘仏であるという。
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イズナ,(ツキモノ) 1989年 長野県 イズナが人に憑くことがある。離すために、水垢離をとったり、南無妙法蓮花教を唱えたりしたという。
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(スズメカッセン) 1974年 大分県 後一条院の時、長元4年5月2日に宇佐八幡宮の神殿で雀が闘い、また住処を作ったという。
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キツネ,(ツキモノ) 1989年 長野県 キツネが人に憑くことがあるという。憑かれると、譫言を言ったり、うなされたり、キツネの真似をしたりした。また、キツネの毛があった。離すときは、御嶽教の人に祈とうしてもらったという。
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ツチグモ 1974年 大分県 宇佐八幡宮の内の尾のいわむろは、広さがいかほどのものか分からないものの、いにしえの土蜘蛛などがこもった室という。
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ゴンゲン 1936年 青森県 八幡宮の権現の彫刻は、漁船に盗まれたとき沖から飛んで帰ってきた。
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(マナイノシントク) 1983年 兵庫県 淡路津名郡沼島では、井戸を掘っても2、3尺の下に金鉄よりも硬い岩盤があって掘れない。しかし八幡宮社地の岩石の元から、千軒の家が汲んでも尽きないほどの清水がでる。これは八幡宮の三女神真名井の神徳であるという。
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デーラボー 1978年 山梨県 大坊から教来石の池の平まで歩いたときの、デーラボッチの足跡と言われる跡がある。
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ゴオウサマ,シュゴレイ 1983年 岡山県 勝田町の梶並八幡宮当人祭で当人が大祭の際に捧げて行く小箱は、梶並八幡宮の分霊で、牛玉様と呼ばれている。
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スミヨシノマツ,ジャホウ 1983年 大阪府 戦国時代に南蛮の王が日本を傾けようとして、邪法(キリスト教)を流布させようとしたのだが、住吉大社の松が一夜のうちに66本枯れたという。これを神主が朝廷に奏聞したところ、朝廷は織田信長に異国襲来の恐れがあると、キリスト教布教を禁止させようとした。しかし信長は一旦認めたものをすぐに禁止すると軽んぜられるとして拒否した。だから明智光秀に殺されたのだという。
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バンバアイシ 1960年 神奈川県 昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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