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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ,ウラ
1979年 岡山県
垂仁天皇の時代、吉備国で略奪を繰り返す百済の鬼神、温羅を退治するため、イサセリヒコノミコトが派遣された。勢い凄まじい温羅を攻めあぐねたミコトは、神力を現して1度に2本の矢を放ち、温羅の左目を射抜いた。雉や鯉に姿を変えて逃れる温羅を捕らえたミコトは、首を刎ねて曝したが、その首が何年も大声でうなり続けたため、温羅の霊を祀って鎮めた。

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ウラ
1984年 岡山県
百済王温羅が垂仁天皇の頃一族郎党を引き連れて吉備国にやってきた。略奪の限りを尽くしたので、イセサリヒコノミコトが討伐に派遣された。盾築山、矢掛、血吸川と言った地名はその時の戦いによりついた地名と言う。温羅はミコトの矢に射られ、怪しい技を使い大雨などを降らせ鯉のように逃げた。ミコトは鵜に化身してこれを追い、ついに噛み捕えた。
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イバラキ
2001年 京都府
都王城西の方、羅聖門で渡辺綱が茨羅鬼と出会い、茨羅鬼の左腕を切り取った。その腕は美濃国まで飛び、茨羅木はどこかに飛び去った。都に腕を送ったが、その腕は7日7夜の間5指が開閉したという。
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〔トラ〕
1976年
鎮西の未申の方角のはるか沖に度羅島という大きな島がある。この島の人は、姿は人であるが人を食する。ゆえに人の中にあって人にふさわしくない物を食べる者のことを度羅人という。今、人に似ず行跡の悪い者のことを度羅うちというのも、ここから出た言葉だろう。
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コイ,ウ,ウラ
1935年 岡山県
吉備津彦神社で売る小ひねりの、小型3種のうち2個は狗で、1個の水鳥らしいものは鳩ともいうが、伝説から考えて雉または鵜と考えられる。温羅が鯉に化けて逃げたのを、吉備津彦命が直ちに鵜になって追跡したという伝説に基づいている。
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カマ,ウラ
1935年 岡山県
吉備津彦神社にはお釜殿があり、吉凶を占いたければ阿曾女という巫女に請えば、巫女は柴をたき、供米を篩に入れて釜の湯気にかざす。暫くすると釜は鳴動し、願主の願いが吉であるときは音が高く、凶であるときは低いという。これは昔、吉備津彦命が温羅の首をはねたときに、まだ生きているようだったので命はこれを釜の下に生められたため、その叫び声であるといわれている。
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リュウトウ
1989年 石川県
倶利迦羅不動には山燈・龍燈の霊験がある。
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サル
1962年 山梨県
推古朝のころ、志羅古という造園の巨匠が猿橋に住み着いた。村長は息子恭任を弟子に、娘の美久里をかしづかせた。ある月明の夜、たくさんの猿が来て手と足をつないで橋を架けた。これをみて猿橋の断崖に架橋を考えていた志羅古は設計を完成させた。休んでまどろむと、急に2匹の猿が飛び込んできて、ここに橋を架けるのなら、病気の猿王様のために申年申の日申の刻に生まれた未婚の男女の生血を差し出せ、そうしなければ妨害するという。志羅古は架橋を強行するが暴風雨のために橋は何度も流されてしまう。志羅古は該当者である自分と美久里とでいけにえになり、あとは恭仁に託し、橋を完成させた。猿に因んで猿橋と名をつけ、猿王を祀る小社を傍らに立て山王宮とよぶ。
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ラセキミョウジン,アマンジャク,イワノカケハシ
1913年 新潟県
羅石堂近くにある岩の掛橋の由来。昔、羅石明神が越後と佐渡の間を連結しようと、眷属を使役して橋を掛ける工事をはじめた。けれども眷族の中のアマンジャク(天彦または山彦)が鶏の鳴き真似をしたので、明神も眷属も姿を隠し、橋は出来上がらなかった。岩の掛橋はその時の名残だと伝えられている。
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ニョイジュ,タマツシマミョウジン
1974年 和歌山県
玉津島は神功皇后が新羅を伐った時に、如意珠を海中から得た場所である。
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オニ
1975年 京都府
美田源次綱頼光は家宝の剣を帯びて、夜に一条大宮の戻橋に派遣された。そこで鬼の手を切ったという。あるいは戻橋ではなく、羅城門ということもある。
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ナンジャモンジャ,タラヨウジュ
1956年 宮城県
拝殿前にある多羅葉樹の神木。昔、吉凶禍福を、神前で葉をあぶって卜占したという。
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オニ
1980年
日本の鬼とは、鈴鹿山と大江山と羅城門の3所にすむのが有名だが、それらは強盗や里を追われた力の強い者のことを指しているという。
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シロギツネ
1991年 愛知県
新羅三郎義光が年老いた白狐を射止め、その場に埋めて村を去ったあと、村に災いや病が次次と起こる。塚を作ってまつると災難は止まった。
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シュテンドウジ,イバラキ
2001年 京都府
正暦3年3月26日に大江山に登る。鉄門があり、酒田公時が打ち破る。都から持参した銘酒を鬼に飲ませる。酒呑童子は肴に人間の腕を取り出す。酒呑鬼は17、8歳に見える美男であった。酔って奥の一間に入り、正体を顕して寝入る。丈は9尺8寸もある。各々声をかけ目を覚まし、一言王の怨みと言い首を打った。その頭は天に飛び上り、頼光の頭に食いつく。渡辺綱は茨羅鬼の部屋に入る。茨羅鬼は綱の姿になる。大勢押しかけたがどちらが本物かわからない。頼光が都の綱には額に痣があるといい、急に眉間の上に痣の出たほうを退治した。外の鬼も撫で
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ヤサブロウババ
1989年 新潟県
猟師が山にいると空中から手が出て首を締め付ける。切り落として家に持ち帰ると、老婆がその手を引ったくり逃げた。鬼婆が老婆に化けていたのだ。その後鬼婆は弥彦山に住み、子供を食べた。困った長老は子供を殺さないよう「妙多羅天」という神に祀りあげた。
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ラクヨウ
1925年 千葉県
印旛の松虫寺に、行基が本願経を写し埋めた塚の上に枯葉から生長繁茂した貝多羅の奇木がある。
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オオクラヌシ,ツブラヒメ
1940年 福岡県
景行天皇が崗浦に船を浮かべて海上に出たところ、大倉主と菟夫羅媛によって船を動かなくされた。先導役の熊鰐は困り果てたが、天皇が伊賀彦を以って2人の神に奉仕させ、自らも祈祷を行ったため、船は再び進むことができた。
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バケネコ
1974年 新潟県
佐渡国雑太郡小沢で、老婆が夏の夕方山に登ったところ、老猫がいたので猫がするように砂の上を転がって遊んだ。すると老婆は化通を得て恐ろしい形相に変化して弥彦山にとどまり雨を降らせ里人を困らせた。これを鎮めて祭ったのが猫多羅天女である。
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(ゾクシン)
1983年
7月15日には地獄の釜の蓋が開いて、罪人が皆帰るので、槙の葉を買って、天王寺の亀井の水より先祖を迎える。京都では六波羅の鐘を合図に亡者が来るという。
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オニ,ミコト
1979年 岡山県
昔キビツヒコノミコトが吉備国に派遣され鬼と戦った。おにはいくら負傷しても勇敢に戦った。偵察させると、今の湯の池付近の出湯で傷を癒して出てきた。そこでミコトが封じたところ、鬼は傷をを癒すことができず、ミコトの勝ち戦となった。
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カイナンヨケ,(ゾクシン)
1968年 愛媛県
台風などで遭難しそうな時は、播州池田の観音様の白旗を立てるといいという。ただし、効力が1回限りなので、またオショウネを入れてもらうという。また、金刀比羅様の御札を帆柱にくくりつけて祈るといいともいう。
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